妊娠後期に「薄まる血液」―循環血漿量のピークと鉄欠乏性貧血
第99回医師国家試験 C問題 第38問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,37と38の問いに答えよ。 24歳の女性。月経の遅れを主訴に来院した。 現病歴:最終月経は平成16年12月10日から7日間。通常の月経周期は28〜30日。平成17年1月中旬ころから全身倦怠感があり,悪心も次第に強くなり,嘔吐も数回経験した。尿回数も最近増加しているが,排尿痛はない。昨日(2月18日)から褐色の帯下を少量認めている。 既往歴:初経12歳,0経妊0経産。他に特記すべきことはない。 家族歴:特記すべきことはない。 現症:身長164 cm,体重55 kg。体温37.3℃。呼吸数20/分。脈拍76/分,整。血圧110/70 mmHg。子宮は前傾前屈,手拳大,軟。腟分泌物は褐色,少量。経腟超音波検査で子宮腔内に胎嚢を認め,胎児頭殿長30 mmで胎児心拍動を確認できる。 検査所見:尿所見:蛋白(-),糖(-)。血液所見:赤血球396万,Hb 12.0 g/dL,Ht 36%,白血球8,800,血小板33万。
その後,妊娠が順調に経過したとき,平成17年7月上旬ころに最も発症しやすいのはどれか。
- a.睡眠時無呼吸症候群
- b.高血圧症
- c.鉄欠乏性貧血
- d.糖尿病
- e.深部静脈血栓症
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
妊娠中は循環血漿量が妊娠28〜32週ごろに最大(非妊時の約40〜50%増)となる一方、赤血球量の増加は20〜30%にとどまるため血液が希釈され、さらに妊娠中期以降は胎児・胎盤への鉄移行や母体赤血球増加で鉄需要が急増します。そのため妊娠後期は妊娠貧血、とくに鉄欠乏性貧血が最も起こりやすく、Hb 11.0 g/dL未満および/またはHt 33%未満が妊娠貧血の基準です。妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病も妊娠後半に重要な合併症ですが、危険因子のない妊婦での頻度は妊娠貧血より低く、深部静脈血栓症はむしろ産褥期に多くみられます。妊娠週数を正確に計算し、その時期の母体の生理的変化と合併症の好発時期を結びつけて考えることが、妊婦健診での予防的な管理や分娩への備えにつながります。
解答・解説
正解はcです
症例の整理
24歳の初妊婦で、最終月経は平成16年12月10日開始、月経周期は28〜30日と整である。受診日(2月19日)は妊娠10週1日にあたり、経腟超音波で子宮内に胎嚢と心拍動のある胎児を認め、胎児頭殿長(CRL)30 mmも妊娠10週前後に相当する。少量の性器出血があり切迫流産が疑われるが、胎児は生存している。身長164 cm・体重55 kg(BMI約20.4)で肥満はなく、血圧110/70 mmHg、尿蛋白・尿糖は陰性であり、高血圧・糖代謝異常を示唆する所見や既往はない。現時点のHb 12.0 g/dL、Ht 36%は妊娠貧血の基準(Hb 11.0 g/dL未満および/またはHt 33%未満)を満たしていない。
平成17年7月上旬の妊娠週数
最終月経開始日(12月10日)から7月1日までは、12月21日+1月31日+2月28日+3月31日+4月30日+5月31日+6月30日+1日=203日であり、29週0日となる。7月上旬はおおむね妊娠29〜30週、すなわち妊娠後期(28週以降)の入り口にあたる。
この時期に起こる母体の変化
妊娠中は循環血漿量が増加し、妊娠28〜32週頃に最大(非妊時の約40〜50%増)となる。一方、赤血球量の増加は20〜30%程度にとどまるため、血液が相対的に薄まり、HbやHtが低下する(生理的な血液希釈、いわゆる水血症)。さらに妊娠中期以降は胎児・胎盤の発育や母体の赤血球増加のために鉄需要が急増し、食事だけでは不足しやすい。この二つが重なるため、妊娠後期には妊娠貧血、とりわけ鉄欠乏性貧血が高頻度に生じる。本例は現時点でHb 12.0 g/dLと下限に近い値であり、今後貧血に至る可能性は十分にある。
設問の考え方
選択肢はいずれも妊娠中に起こりうる病態だが、問われているのは「順調に経過した妊婦に、妊娠29〜30週頃に最も発症しやすいもの」である。特別な危険因子をもたない妊婦で頻度が最も高く、この時期に好発するものを選ぶ。妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病も妊娠後半に生じうるが、頻度は妊娠貧血より低く、本例にはその危険因子もない。
選択肢考察
- ×a. 睡眠時無呼吸症候群
睡眠時無呼吸症候群(SAS)は睡眠中に無呼吸・低呼吸を繰り返す病態で、診断には一般に1時間あたりの無呼吸・低呼吸の回数(AHI:無呼吸低呼吸指数)が5回以上で日中の眠気などの症状を伴うことなどが用いられる。主な危険因子は肥満、小顎などの顎顔面形態、男性、加齢である。妊娠後期には体重増加や上気道粘膜の浮腫でいびきが増えることはあるが、本例は24歳・BMI約20で肥満もなく、妊婦の多くに起こる病態ではない。
- ×b. 高血圧症
妊娠20週以降に高血圧を発症する妊娠高血圧症候群(HDP)は妊娠後半に生じる重要な合併症であり、初産は危険因子の一つである。しかしその頻度は全妊婦の数%〜1割弱程度で、妊娠貧血より低い。本例は血圧110/70 mmHg、尿蛋白陰性で、肥満、高年、高血圧・腎疾患・糖尿病の既往、家族歴、多胎といったほかの危険因子も認めないため、最も発症しやすいとはいえない。
- ○c. 鉄欠乏性貧血
妊娠29〜30週は循環血漿量の増加がピークに近づく時期で、赤血球量の増加が追いつかないために血液が希釈される。加えて妊娠中期以降は胎児・胎盤への鉄移行と母体赤血球量の増加により鉄需要が急増し、貯蔵鉄が枯渇しやすい。そのため妊娠後期は妊娠貧血が最も起こりやすい時期であり、妊娠貧血の頻度は全妊婦の2割程度以上と報告され、その大部分が鉄欠乏性貧血である。本例は現時点でHb 12.0 g/dLと余裕が少なく、妊娠経過が順調であっても最も発症しやすい病態といえる。
- ×d. 糖尿病
妊娠中期以降は胎盤から分泌されるヒト胎盤性ラクトーゲン(hPL)、プロゲステロン、コルチゾールなどによりインスリン抵抗性が増大し、妊娠糖尿病(GDM:妊娠中に初めて発見・発症した、明らかな糖尿病には至らない糖代謝異常)が生じやすくなる。このため妊娠24〜28週頃に75g経口ブドウ糖負荷試験などによるスクリーニングを行う。しかし妊娠によって糖尿病そのもの(明らかな糖尿病)を新たに発症することはまれで、GDMを含めても頻度は妊娠貧血より低い。本例は肥満や糖尿病家族歴、尿糖陽性などの危険因子もない。
- ×e. 深部静脈血栓症
妊娠中はエストロゲンの影響による凝固因子の増加・線溶能の低下、増大子宮による下大静脈・骨盤静脈の圧迫による静脈うっ滞のため、深部静脈血栓症(DVT)の危険が非妊時より高まる。しかし発生頻度は妊婦の1%未満と低く、発症はむしろ分娩後の産褥期、とくに帝王切開後に多い。順調に経過している妊娠29〜30週の妊婦に最も起こりやすい病態とはいえない。
妊娠中の循環・血液の変化
・循環血漿量:妊娠初期から増加し、妊娠28〜32週頃に最大(非妊時の約40〜50%増)となる。 ・赤血球量:20〜30%程度の増加にとどまるため、Hb・Htが相対的に低下する(生理的な血液希釈)。 ・心拍出量は30〜50%増加し、心拍数も軽度増加する。 ・凝固因子(フィブリノゲン、第VII・VIII・X因子など)は増加し、過凝固状態となる。分娩時の出血に備えた変化と考えられるが、血栓症の危険因子でもある。 ・白血球は軽度増加し、分娩時にはさらに増える。
妊娠貧血
日本産科婦人科学会はHb 11.0 g/dL未満および/またはHt 33%未満を妊娠貧血と定義している。大部分は鉄欠乏性貧血で、小球性低色素性貧血(MCV低値)と血清フェリチン低値を示す。まれに葉酸欠乏などによる巨赤芽球性貧血もある。妊娠全経過で母体が必要とする鉄は約1 gにのぼり、特に妊娠中期・後期の需要が大きい。このため妊娠初期・中期・後期に血算を確認し、食事指導と必要に応じた鉄剤投与(経口が原則、消化器症状が強い場合や高度の貧血では静注)を行う。貧血は分娩時出血への耐容能低下などにつながるため、分娩前に是正しておくことが重要である。
妊娠中に注意すべき主な合併症と好発時期
・妊娠悪阻:妊娠初期。 ・妊娠糖尿病:インスリン抵抗性が高まる妊娠中期以降。妊娠初期と24〜28週頃にスクリーニングを行う。 ・妊娠高血圧症候群:妊娠20週以降、特に妊娠後期。初産、高年、肥満、多胎、高血圧・腎疾患・糖尿病の既往、家族歴などが危険因子。 ・妊娠貧血:妊娠後期に最も多い。 ・静脈血栓塞栓症:妊娠中から危険が高まるが、特に産褥期(帝王切開後)に多い。
POINT
・7月上旬は最終月経(12月10日)から数えて妊娠29〜30週であり、妊娠後期の入り口にあたる。 ・循環血漿量は妊娠28〜32週頃に最大(約40〜50%増)となり、赤血球量の増加(20〜30%)を上回るため血液が希釈される。 ・妊娠中期以降は鉄需要が急増するため、妊娠後期は鉄欠乏性貧血が最も起こりやすい。 ・妊娠貧血の定義:Hb 11.0 g/dL未満および/またはHt 33%未満。 ・妊娠高血圧症候群・妊娠糖尿病・深部静脈血栓症は重要な合併症だが、危険因子のない妊婦での頻度は妊娠貧血より低い。深部静脈血栓症は産褥期に多い。
