StudyMed医師国家試験

マンホールの底で倒れた新人―「すぐ助けに入る」が招く二次災害

第120回医師国家試験 F問題 第54問

国試問題にチャレンジ

第120回 F問題 第54問

18歳の男性。既往歴に特記すべきことはない。雇入れ時の健康診断に異常はない。8月に下水処理場のマンホール内で汚泥を外に搬出する作業に初めて従事していた。呼吸用保護具を現場に持ってくるのを忘れたため,保護具をつけずに作業を開始した。作業途中に,地上で待機していた上司からの呼びかけへの反応がなくなった。近くを職場巡視中の産業医が現場に呼ばれた。  産業医がまず行うべきことはどれか。

  1. a.外気温を測定する。
  2. b.救急隊に救助要請する。
  3. c.大きな声で励まし続ける。
  4. d.上司に当該労働者の普段の勤務状況を確認する。
  5. e.呼吸用保護具をつけずに速やかにマンホール内に救助に入る。

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は、作業中に意識を失った労働者を前にして、産業医が最初に何をすべきかを問う問題だ。ポイントは「どんな場所で倒れたのか」と「救助する側の安全」の2つ。まず、何が起きたと考えるかな?
医学生医学生
8月なので、最初は熱中症かなと思いました。
ドクタードクター
鑑別には入るね。でも場所に注目してほしい。下水処理場のマンホールは換気の悪い閉鎖空間で、汚泥の中では微生物が酸素を消費し、さらに硫化水素も発生しやすい。そこに保護具なしで入って、急に反応がなくなった。まず疑うべきは酸素欠乏症や硫化水素中毒なんだ。
医学生医学生
衛生学の講義で、酸素欠乏は酸素濃度18%未満と習いました。でも、そんなに急に倒れるものなんですか。
ドクタードクター
ここが怖いところでね。酸素濃度がごく低い空気や高濃度の硫化水素を吸うと、前ぶれなく数呼吸で意識を失い、呼吸が止まることもある。低酸素は自覚しにくいから、本人が「おかしい」と気づいて逃げる余裕がないことが多いんだ。
医学生医学生
それなら、一刻も早く引き上げないといけないですよね。すぐ中に入って助けたくなります。
ドクタードクター
その気持ちが一番危ない。マンホールの中はいまも危険な空気で満たされている可能性が高い。保護具なしで入れば、救助に行った人も同じように倒れてしまう。実際、酸欠や硫化水素の事故では、助けに入った同僚が次々に倒れて犠牲者が増える二次災害が繰り返し起きているんだ。
医学生医学生
救急医学の実習で、BLSの最初は「周囲の安全確認」と叩き込まれたのを思い出しました。
ドクタードクター
まさにそれと同じ原則だよ。だから産業医がまずすべきことは、救急隊に救助を要請することだ。消防の救急隊は空気呼吸器などの装備と、閉鎖空間から人を助け出す技術をもっていて、救出後の処置や病院への搬送まで担える。救助者の安全を守りながら、最も早く要救助者を救い出す手段なんだ。
医学生医学生
医師なのに、自分で処置するより通報が先というのは少し意外です。
ドクタードクター
医師であっても、装備なしで危険な空間に入れば二次被害者になるだけだからね。要請したら、周りの人がマンホールに入らないよう現場を統制して、可能なら送風機で換気する。救出されたら気道確保、呼吸・循環の評価、心肺蘇生や酸素投与につなげる。医師の力が発揮されるのはそこからだよ。
医学生医学生
換気には酸素ボンベの酸素を送ればいいんでしょうか。
ドクタードクター
いい疑問だね。実は純酸素での換気は火災や爆発の危険があるので禁止されている。送風機で外の空気を送り込むのが基本だ。
医学生医学生
気温を測るのは、熱中症の評価として意味がありそうですが……。
ドクタードクター
熱中症の評価には役立つ情報だけど、意識のない人の救出より優先されることはない。それに、この状況で本当に測るべきなのは外気温ではなく、マンホール内の酸素濃度と硫化水素濃度だね。
医学生医学生
大声で励まし続けるのも、すでに反応がないので意味がないですね。
ドクタードクター
そう。低酸素や有毒ガスが原因なら、声かけでは改善しない。危険な空気から離して酸素化を回復させることが必要だ。上司に普段の勤務状況を聞くのも、事故原因の調査や労災の事後対応では大切だけど、命が危ない場面で最初にやることではない。
医学生医学生
硫化水素は腐った卵のにおいがするので、においがしなければ安全と考えていいですか。
ドクタードクター
それは危険な誤解だ。硫化水素は高濃度になると嗅覚が麻痺して、においを感じなくなる。だからにおいで安全を判断してはいけない。空気より重いので底にたまりやすく、細胞内のシトクロムcオキシダーゼを阻害して、シアンと同じように細胞呼吸を止めてしまう。
医学生医学生
下水や汚泥の作業は、酸欠と硫化水素の両方を警戒しないといけないんですね。
ドクタードクター
その通り。こうした作業は第二種酸素欠乏危険作業とされ、作業前に酸素と硫化水素の両方の濃度測定が求められる。ほかにも作業主任者の選任、換気、監視人の配置、特別教育、そして救出に当たる人にも空気呼吸器などを使わせることが定められている。今回は初めての作業で保護具を忘れたまま始めてしまった。職場巡視をする産業医としては、こうした管理の穴を事故の前に見つけて正すことも大切な役割だよ。

まとめ

マンホールや下水処理場など換気の悪い閉鎖空間で急に意識を失った場合は、酸素欠乏症(酸素濃度18%未満)や硫化水素中毒を最優先で疑います。内部には危険な空気が残っている可能性が高く、保護具なしで救助に入ると救助者も倒れる二次災害を招くため、まず空気呼吸器などの装備をもつ救急隊に救助を要請し、周囲の進入を制止したうえで救出後の救命処置に備えます。気温の測定、声かけ、勤務状況の確認は救出より優先されず、換気に純酸素を使うことも禁止されています。硫化水素は高濃度で嗅覚が麻痺するため、においで安全を判断してはいけません。「救助者自身の安全確保が最初」という原則は、BLSから災害医療、産業保健まで共通する、医療者が身につけておくべき基本姿勢です。

解答・解説

正解はbです

状況の整理

・18歳の男性。既往歴に特記事項はなく、雇入れ時健康診断も正常である。もともとの疾患による急変は考えにくい。 ・作業内容:8月、下水処理場のマンホール内で汚泥を搬出していた。マンホールは換気の悪い閉鎖空間(酸素欠乏危険場所)であり、汚泥中では微生物による酸素消費が進むうえ、硫酸塩還元菌などの働きで硫化水素(H2S)が発生しやすい。気温が高い夏季はこれらが起こりやすい。 ・初めて従事した作業で、呼吸用保護具を着けずに入っていた。 ・作業中に地上からの呼びかけに反応しなくなった(急性の意識障害)。

何が起きていると考えるか

閉鎖空間で保護具なしに作業中、急に意識を失ったことから、酸素欠乏症または硫化水素中毒をまず考える。酸素濃度が著しく低い空気や高濃度の硫化水素を吸うと、前ぶれなく数呼吸で意識を失い、呼吸停止に至ることがある。夏季の作業であり熱中症も鑑別に入るが、閉鎖空間での急激な意識消失という経過からは酸欠・有毒ガスが最優先で想定すべき原因である。

設問の考え方

救助の大原則は「救助者自身の安全確保」である。マンホール内がいまも危険な空気で満たされている可能性が高く、保護具なしに救助に入れば救助者も同じように倒れる。実際、酸欠・硫化水素の事故では、助けに入った同僚が次々に倒れて死傷者が増える二次災害がたびたび起きている。したがって産業医がまずすべきことは、空気呼吸器などの装備をもち閉鎖空間からの救出に対応できる救急隊(消防)へ直ちに救助を要請することである。そのうえで、要救助者を救出・搬送するまでの間、周囲の人がマンホールに入らないよう現場を統制し、可能なら送風機による換気(純酸素は用いない)を行い、救出後は気道確保・呼吸循環の評価と心肺蘇生など救命処置につなげる。原因の調査や勤務状況の確認は救命を終えてから行う。

選択肢考察

  1. ×a.  外気温を測定する。

    8月の作業であり熱中症の評価に気温(本来は暑さ指数〈WBGT〉)の情報は役立つが、意識を失った労働者を救出することより優先されることはない。また本例で疑うべき主因は酸素欠乏や硫化水素であり、測るとすれば外気温ではなく坑内の酸素濃度・硫化水素濃度である。いずれにしても、まず行うべき行動ではない。

  2. ○b.  救急隊に救助要請する。

    閉鎖空間での急な意識消失は酸素欠乏症や硫化水素中毒が強く疑われ、一刻を争う。救急隊(消防)は空気呼吸器などの装備と閉鎖空間からの救出技術をもち、救出後の救急処置と医療機関への搬送も担える。救助者の安全を確保しながら最も早く要救助者を助け出す手段であり、産業医がまず行うべき対応である。要請後は二次災害を防ぐため周囲の人の進入を制止し、救出後の救命処置に備える。

  3. ×c.  大きな声で励まし続ける。

    すでに呼びかけに反応がない意識障害の状態であり、低酸素や有毒ガスが原因であれば声かけで改善することはない。危険な空気から離脱させ、酸素化を回復させることが必要であり、励ますことに時間を使うと救出が遅れる。

  4. ×d.  上司に当該労働者の普段の勤務状況を確認する。

    既往歴や普段の状態の情報は、事故原因の調査や労働災害としての事後対応では必要になる。しかし生命の危険が差し迫った場面で最初に行うことではない。救出と救命処置が優先される。

  5. ×e.  呼吸用保護具をつけずに速やかにマンホール内に救助に入る。

    マンホール内は酸素欠乏や高濃度硫化水素の状態にある可能性が高く、保護具なしに入れば救助者自身が数呼吸で意識を失い、被害が拡大する(二次災害)。酸素欠乏症等防止規則でも、酸素欠乏危険場所で救出作業を行う者には空気呼吸器等の使用が義務付けられている。防じんマスクや一般的な防毒マスクでは酸素不足を補えない点にも注意する。

酸素欠乏症

・労働安全衛生関係法令(酸素欠乏症等防止規則)では、空気中の酸素濃度が18%未満の状態を酸素欠乏と定義する(通常の空気は約21%)。 ・酸素濃度が低いほど症状は重く、おおよそ16%前後で頭痛・吐き気・集中力低下、さらに低下すると判断力低下・意識障害、10%を下回ると意識消失やけいれん、6%以下では数呼吸で失神し呼吸停止・死亡に至るとされる。低酸素は自覚しにくく、気づいたときには動けなくなっていることが多い。 ・酸素欠乏が起こりやすい場所:マンホール、下水道、汚水槽、井戸、タンク内、船倉、穀物や木材を貯蔵した倉庫、発酵槽など。有機物の分解や鉄の酸化による酸素消費、不活性ガスの流入などが原因となる。

硫化水素中毒

・下水、汚泥、し尿、腐敗物を扱う場所で発生しやすい。空気より重く、底部にたまりやすい。 ・低濃度では腐った卵のようなにおい(腐卵臭)がするが、高濃度では嗅覚が麻痺してにおいを感じなくなるため、においで安全を判断してはならない。 ・細胞内のシトクロムcオキシダーゼを阻害して細胞呼吸を障害する(シアンと同様の機序)。高濃度では呼吸中枢の麻痺により即座に意識消失・呼吸停止をきたす。 ・作業環境での許容濃度は10ppmとされている。 ・酸素欠乏と硫化水素の両方の危険がある場所(下水道・汚泥処理など)での作業は第二種酸素欠乏危険作業とされ、酸素と硫化水素の両方の濃度測定が求められる。

酸素欠乏危険作業での主な義務(酸素欠乏症等防止規則)

・作業主任者の選任、作業開始前の酸素濃度(第二種では硫化水素濃度も)の測定。 ・換気(純酸素による換気は火災・爆発の危険があり禁止)。 ・換気が困難な場合などは空気呼吸器・酸素呼吸器・送気マスクの使用。 ・監視人の配置、入退場時の人員点検、特別教育の実施。 ・救出作業に従事する者にも空気呼吸器等を使用させること。

救助時の原則

安全確保(自分・周囲)→ 応援・救急要請 → 救出 → 救命処置(気道確保、呼吸・循環の評価、心肺蘇生、酸素投与)の順で行う。

POINT

・マンホール・下水処理場など閉鎖空間での急な意識消失 → 酸素欠乏症・硫化水素中毒を最優先で疑う。 ・救助者は保護具(空気呼吸器等)なしに絶対に入らない。二次災害で死傷者が増える典型的な事故である。 ・まず行うのは、装備をもつ救急隊(消防)への救助要請。原因調査や勤務状況の確認は後回し。 ・酸素欠乏の定義は酸素濃度18%未満。硫化水素は高濃度で嗅覚が麻痺するため、においで安全は判断できない。 ・換気に純酸素を用いてはならない。

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。