StudyMed医師国家試験

治る病でも続いた隔離―元患者の言葉が伝えるHansen病の歴史

第120回医師国家試験 B問題 第8問

国試問題にチャレンジ

第120回 B問題 第8問

明治期から患者隔離が始まり,その後,治療薬が広く普及したにもかかわらず,隔離の根拠となる法律が平成8年(1996年)に廃止されるまで患者隔離が継続されたことにより,偏見や差別が続いた疾患の元患者の経験談を以下に示す。  「私は12歳で発病し,故郷から父親に連れられて療養所に入りました。すぐに本名を俗名に変えることを勧められました。私の実家は真っ白になるまで消毒され(中略)引っ越しせざるをえなかったと後で聞きました。」  言及されている疾患はどれか。

  1. a.結核
  2. b.B型肝炎
  3. c.Hansen病
  4. d.サリドマイドによる先天異常
  5. e.後天性ヒト免疫不全症候群〈AIDS〉

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は、元患者さんの経験談から疾患を特定する問題だ。医学知識というより、日本の医療と人権の歴史を問うている。手がかりは「明治期からの隔離」「治療薬の普及後も続いた隔離」「1996年の法律廃止」、そして本名を変える、実家を消毒するといった具体的なエピソードだよ。
医学生医学生
1996年に廃止された隔離の法律……「らい予防法」でしょうか。
ドクタードクター
その通り。答えはHansen病だ。日本では1907年、明治40年の「癩予防ニ関スル件」で療養所への収容が始まり、1931年の癩予防法で在宅の患者も含めた全患者の隔離、いわゆる絶対隔離へと拡大された。
医学生医学生
でも治療薬が出てきたなら、その時点で隔離をやめられたはずですよね。
ドクタードクター
そこがこの歴史の一番重い点なんだ。1940年代にスルホン剤のプロミンが登場して治る病気になったのに、1953年に制定されたらい予防法でも隔離政策は維持され、廃止は1996年まで遅れた。
医学生医学生
経験談にある「本名を俗名に変える」というのは、どういう意味があったんですか。
ドクタードクター
療養所に入ると、本名ではなく「園名」と呼ばれる別名を名乗るよう勧められたんだ。故郷の家族に差別が及ばないようにするためだった。実家を真っ白になるまで消毒したのは、無らい県運動に伴う措置で、その結果、家族が地域にいられなくなって転居を余儀なくされることもあった。療養所内では、結婚の条件として断種や人工妊娠中絶が強いられたことも知っておいてほしい。
医学生医学生
微生物学の講義で、らい菌は感染力がとても弱いと習いました。それなのにそこまでしたんですね。
ドクタードクター
そう。らい菌はMycobacterium lepraeという抗酸菌で、人工培地では培養できない。至適温度が低いので、体温の低い皮膚や末梢神経に病変をつくりやすい。感染は乳幼児期の濃厚な接触などに限られ、感染しても大多数は発病しないから、医学的に隔離は不要だったんだ。では他の選択肢も確認しよう。結核はどうかな。
医学生医学生
結核も昔は療養所に入っていたイメージがあって、少し迷いました。
ドクタードクター
迷うのは自然だね。ただ結核の隔離は、排菌して空気感染しうる期間に限った医学的な措置で、今も感染性のある患者は陰圧個室で治療する。本名を変えさせたり終生隔離したりする政策ではないし、根拠法の結核予防法は2007年に感染症法へ統合されたもので、1996年廃止ではない。
医学生医学生
B型肝炎は、集団予防接種での注射器の使い回しで国の責任が問われた問題ですよね。
ドクタードクター
その通り。偏見の問題はあったけれど、隔離政策はとられていない。サリドマイドは妊娠初期の服用で四肢の形成不全などが生じた薬害で、感染性はないし、明治期には薬自体が存在しない。AIDSも1981年に初めて報告された病気で、薬害エイズや差別の問題はあったが隔離政策はなかった。
医学生医学生
どれも差別や国の責任が問われた歴史ですが、明治期からの隔離と1996年の廃止の両方を満たすのはHansen病だけ、ということですね。
ドクタードクター
その整理で完璧だ。発展知識として、現在の治療はWHOが推奨する多剤併用療法、リファンピシン、ダプソン、クロファジミンの組み合わせで治癒する。日本の新規患者は年間数名程度で、多くは海外出身の方だ。ちなみにサリドマイドは、厳格な管理のもとでHansen病に伴うらい性結節性紅斑の治療にも使われているよ。
医学生医学生
皮膚科の臨床実習で、知覚低下を伴う皮疹を見たら鑑別に挙げるよう言われました。
ドクタードクター
大事な視点だね。症状は知覚低下を伴う皮疹、末梢神経の肥厚、運動・知覚障害による変形などだ。歴史面では、2001年に熊本地裁が隔離政策の違憲性を認めて国は控訴せず謝罪し、2008年にハンセン病問題基本法が成立、2019年には家族が受けた被害についても国の責任が認められた。
医学生医学生
医学的根拠より法律や偏見が優先されると、何十年も人権侵害が続いてしまうんですね。
ドクタードクター
その通り。医療者は科学的根拠に基づいて判断し、患者と家族の尊厳を守る立場にある。療養所で暮らしてきた方々の経験を知ることは、その原点を学ぶことでもあるんだ。

まとめ

明治期の1907年に始まった療養所への収容は、1931年の癩予防法で全患者の絶対隔離へ拡大し、1940年代にプロミンで治癒可能になった後も1953年のらい予防法で維持され、1996年の廃止まで続きました。これがHansen病の歴史であり、園名の使用、患者家の徹底的な消毒、家族の転居、断種などの深刻な人権侵害を伴いました。らい菌は感染力が極めて弱く発病もまれで、現在は多剤併用療法で治癒するため、医学的に隔離は不要です。結核は感染性のある期間に限った医学的隔離、B型肝炎・薬害エイズ・サリドマイドは国の責任が問われた別の事例として区別します。2001年の熊本地裁判決やハンセン病問題基本法を通じた名誉回復の流れも含め、科学的根拠と人権尊重に基づく医療の大切さを学ぶ題材です。

解答・解説

正解はcです

問題文から読み取る手がかり

①明治期から患者隔離が始まった:近代医学の導入期から国の政策として隔離の対象とされた、古くから知られる感染症である。 ②治療薬が普及した後も、隔離の根拠法が1996年(平成8年)に廃止されるまで隔離が続いた:有効な治療法の確立後も法律が見直されず、長期にわたって人権侵害が続いたことを示している。 ③療養所への入所、本名を捨てて別名(園名)を名乗ることの勧奨、実家の徹底的な消毒、家族の転居:患者本人だけでなく家族までもが社会的な差別の対象になったことを示す具体的なエピソードである。

考え方

1996年に廃止された隔離の根拠法とは「らい予防法」である。日本では1907年(明治40年)の法律「癩予防ニ関スル件」により療養所への収容が始まり、1931年の「癩予防法」で在宅患者も含めた全患者の隔離(いわゆる絶対隔離)へと拡大され、1953年の「らい予防法」でも隔離政策が維持された。1940年代に特効薬プロミン(スルホン剤)が登場して治癒可能な疾患となった後も、法律は1996年まで廃止されなかった。入所者が本名を名乗らず園名を使ったこと、患者家を白くなるほど消毒したこと(いわゆる「無らい県運動」に伴う措置)は、Hansen病(ハンセン病)の歴史に特徴的なエピソードである。以上より、言及されている疾患はHansen病と判断できる。 他の選択肢も、日本で偏見・差別や国の責任が問われた歴史をもつ疾患・健康被害であるが、「明治期からの隔離」「1996年の法律廃止」という条件をすべて満たすものはHansen病のみである。

選択肢考察

  1. ×a.  結核

    結核は結核菌(Mycobacterium tuberculosis)による感染症で、排菌している肺結核は空気感染(飛沫核感染)するため、現在でも感染性のある患者は陰圧個室などで隔離して治療する。かつては国民病とよばれ、療養所の建設に地域住民が反対するなどの偏見も存在した。しかし、隔離は感染性がある期間に限った医学的措置であり、本名を変えさせたり終生にわたって隔離したりするような政策はとられていない。また、結核の根拠法であった結核予防法(1951年制定)は2007年に感染症法へ統合されたもので、1996年に廃止された法律ではない。

  2. ×b.  B型肝炎

    B型肝炎はB型肝炎ウイルス(HBV)が血液・体液を介して感染する疾患である。日本では1948年から1988年までの集団予防接種などで注射器(注射針・筒)が連続使用されたことにより多数の持続感染者が生じ、2006年の最高裁判決で国の責任が認められ、2011年に給付金の支給に関する特別措置法が制定された。感染者に対する偏見の問題はあるものの、患者を隔離する政策がとられたことはなく、本問の記述には当てはまらない。

  3. ○c.  Hansen病

    Hansen病はらい菌(Mycobacterium leprae)による慢性感染症で、主に皮膚と末梢神経が侵される。らい菌の感染力は非常に弱く、感染しても発病することはまれであり、医学的には隔離の必要はない。それにもかかわらず日本では明治期から隔離政策がとられ、1931年の癩予防法で全患者の終生隔離が進められた。1940年代に有効な治療薬(プロミン)が登場した後も、1953年制定のらい予防法により隔離が継続され、同法が廃止されたのは1996年である。療養所では入所時に偽名(園名)を名乗るよう勧められ、患者の家は徹底的に消毒されたため、家族も地域にいられなくなって転居を余儀なくされることがあった。さらに療養所内では結婚の条件として断種(不妊手術)や人工妊娠中絶が強いられた。問題文の経験談はこの歴史に合致する。

  4. ×d.  サリドマイドによる先天異常

    サリドマイドは鎮静・催眠薬として販売され、妊娠初期に服用した母親から四肢の形成不全(アザラシ肢症)などの先天異常をもつ児が多数生まれた薬害である。1961年に西ドイツで催奇形性が警告されたが、日本では販売中止・回収が遅れて被害が拡大した。現在、妊婦への使用は禁忌であり、厳格な管理のもとで多発性骨髄腫やHansen病に伴うらい性結節性紅斑の治療薬として使われている。被害は薬剤によるもので感染性はなく、隔離政策とは無関係である。また明治期にはこの薬剤は存在しない。

  5. ×e.  後天性ヒト免疫不全症候群〈AIDS〉

    AIDSはヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染によりCD4陽性Tリンパ球が減少し、ニューモシスチス肺炎などの指標疾患(AIDS指標疾患)を発症した状態をいう。主な感染経路は性行為、血液(注射器の共用、輸血・血液製剤)、母子感染である。最初の報告は1981年、HIVの発見は1983年であり、明治期には知られていない。日本では非加熱血液製剤による薬害エイズや、感染者に対する偏見・差別の問題があったが、隔離政策はとられていない。なお、1989年施行のエイズ予防法は1999年に感染症法へ統合・廃止された。

Hansen病の医学的概要

・病原体:らい菌(Mycobacterium leprae)。抗酸菌の一種で、人工培地で培養できない。至適温度が低く、体温の低い皮膚や末梢神経に病変をつくりやすい。 ・感染:主に未治療の多菌型患者の鼻汁などから気道を介して感染すると考えられているが、感染力は極めて弱い。乳幼児期に濃厚な接触があった場合などに限られ、感染しても大多数は発病しない。 ・症状:知覚低下を伴う皮疹、末梢神経の肥厚、運動・知覚障害による変形など。 ・治療:WHOが推奨する多剤併用療法(MDT:リファンピシン、ジアフェニルスルホン〈ダプソン〉、クロファジミン)で治癒する。 ・疫学:世界の患者数はMDTの普及により大きく減少した。日本国内の新規患者は年間数名程度で、多くは海外出身者である。

日本のHansen病政策の流れ

・1907年(明治40年):「癩予防ニ関スル件」制定。放浪する患者の療養所収容から始まる。 ・1931年:「癩予防法」。全患者を対象とする隔離へ拡大(無らい県運動)。 ・1940年代:プロミンなどスルホン剤による治療が可能となる。 ・1953年:「らい予防法」制定。隔離政策は継続。 ・1996年:らい予防法廃止。 ・2001年:熊本地方裁判所が隔離政策の違憲性を認め、国は控訴せず謝罪した。 ・2008年:「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(ハンセン病問題基本法)」成立(2009年施行)。 ・2019年:家族が受けた被害についても国の責任を認める判決が確定し、家族補償法が成立した。

日本で偏見・差別や国の責任が問われた主な事例

・Hansen病:法律による強制隔離、断種。 ・B型肝炎:集団予防接種での注射器連続使用による感染。 ・薬害エイズ:非加熱血液製剤によるHIV感染。 ・サリドマイド:販売中止の遅れによる先天異常の拡大。

POINT

・明治期から隔離され、1996年の「らい予防法」廃止まで隔離が続いた疾患はHansen病である。 ・らい菌の感染力は極めて弱く、発病はまれで、多剤併用療法で治癒する。医学的に隔離は不要である。 ・治療法の確立後も法律が維持されたことで、患者・家族への深刻な人権侵害(終生隔離、断種、園名の使用、家族の差別)が生じた。 ・らい予防法廃止後、2001年の熊本地裁判決、2008年のハンセン病問題基本法を経て、元患者・家族の名誉回復が図られている。

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。