朝のしびれと針が持てない指―母指球の萎縮が指し示す手根管症候群
第101回医師国家試験 G問題 第44問
国試問題にチャレンジ
54歳の女性。手指のしびれと脱力とを主訴に来院した。3か月前から右母指,示指および中指にしびれを感じ,特に朝,目を覚ました時に強い。裁縫の針を持つ指に力が入らない。右母指球筋に萎縮があり,右母指と示指とに表在覚の低下を認める。 最も考えられるのはどれか。
- a.頸髄腫瘍
- b.橈骨神経麻痺
- c.肘部管症候群
- d.手根管症候群
- e.多発性神経炎
対話形式の解説
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ドクターまとめ
母指・示指・中指のしびれと母指球筋の萎縮、つまみ動作(対立運動)の障害は正中神経障害を示し、中年女性で夜間〜起床時に増悪する片側性の症状なら手根管症候群が最も考えられます。頸髄病変はデルマトームに沿う分布や両側性症状、橈骨神経麻痺は下垂手と手背の感覚障害、肘部管症候群は小指側のしびれと鷲手、多発神経炎は左右対称の手袋・靴下型分布で区別します。診断はTinel徴候・Phalenテスト・神経伝導検査で確認し、妊娠、透析、関節リウマチ、甲状腺機能低下症、糖尿病などの背景にも注意が必要です。治療は装具やステロイド注射の保存療法から始め、無効例や筋萎縮例では手根管開放術を検討します。しびれの分布から神経と障害部位を推定する考え方は、上肢の末梢神経障害全般を理解する基礎になります。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
・54歳の女性で、症状は右手だけに起こっている(片側性)。 ・右母指・示指・中指のしびれが3か月続き、特に朝の起床時に強い。 ・裁縫の針をつまむ指に力が入らない。母指と示指の指先でつまむ動作には、母指の対立運動(母指を他の指と向かい合わせる運動)が必要であり、その障害を示す。 ・右母指球筋が萎縮し、右母指と示指の表在覚(触覚・痛覚など皮膚の感覚)が低下している。
診断へのプロセス
1. 感覚障害の範囲(母指・示指・中指)と、母指球筋(短母指外転筋・母指対立筋など)の萎縮は、どちらも正中神経の支配領域に一致する。正中神経は手掌側の母指〜環指橈側半分の感覚を担う。 2. 障害は片側の一本の神経の領域にとどまり、左右対称の手袋・靴下型の分布ではない。したがって単神経障害である。 3. 次に障害部位を考える。正中神経が手関節の手根管(手根骨と屈筋支帯で囲まれたトンネル)で圧迫される手根管症候群は、正中神経障害の中で最も多い。中年女性に好発し、夜間から明け方に症状が強くなる(夜間痛、起床時のしびれ)のが特徴である。睡眠中に手関節が曲がった姿勢が続くことや、静脈還流が低下して手根管内圧が上がることが原因と考えられている。本例はこれらによく一致する。 4. 頸髄・頸神経根の病変や多発神経障害でも手のしびれは起こる。しかし、本例の障害範囲が正中神経の末梢領域に限られていること、朝に強いという症状の出方から、手根管症候群が最も考えやすい。
確定のために行う検査
Tinel徴候(手関節掌側の叩打で指先に放散痛が走る)、Phalen テスト(手関節を掌屈位に保つとしびれが増強する)で臨床的に評価する。神経伝導検査で、正中神経の手関節より遠位での伝導遅延(遠位潜時の延長)を確認する。
選択肢考察
- ×a. 頸髄腫瘍
頸髄腫瘍では、脊髄や神経根の圧迫により上肢のしびれや筋萎縮が起こりうる。ただし障害は神経根の支配(デルマトーム)に沿う分布か、脊髄障害による両側性の症状になる。すなわち、下肢の痙性や腱反射亢進、膀胱直腸障害などを伴いやすい。本例の感覚障害は母指・示指(C6の領域)にあるが、母指球筋は主に C8・T1 の支配であり、単一の神経根の障害では説明しにくい。一方、正中神経の末梢領域として考えればすべての所見を一つで説明できる。手根管症候群が最も考えやすい。ただし、頸椎・頸髄病変は実際の臨床では鑑別に挙がるので、必要に応じて神経学的診察や画像で評価する。
- ×b. 橈骨神経麻痺
橈骨神経は、手関節・手指の伸筋群や上腕三頭筋などの伸筋を支配する。麻痺すると下垂手(手関節が背屈できない)や下垂指(手指の伸展ができない)が起こる。感覚障害は、手背の母指と示指の間(第1指間)を中心とした領域に生じる。母指球筋は支配していないため萎縮は起こらず、手掌側の母指〜中指のしびれという本例の分布とも合わない。上腕の圧迫による「土曜の夜の麻痺(Saturday night palsy)」や上腕骨骨幹部骨折が代表的な原因である。
- ×c. 肘部管症候群
肘部管症候群は、肘の内側の肘部管で尺骨神経が圧迫される絞扼性神経障害である。尺骨神経障害の中で最も多い。しびれは小指と環指の尺側半分に生じる。骨間筋・小指球筋・母指内転筋が萎縮し、進行すると鉤爪(かぎづめ)変形(鷲手)が起こる。Froment徴候(母指内転筋の筋力低下を長母指屈筋で代償し、母指のIP関節が曲がる)が陽性になる。変形性肘関節症や小児期の肘の骨折後の外反肘(遅発性尺骨神経麻痺)が原因となる。本例の母指側の障害とは分布が異なる。
- ○d. 手根管症候群
正中神経が手根管内で圧迫される絞扼性神経障害で、最も頻度の高い絞扼性神経障害である。母指・示指・中指(および環指橈側半分)の掌側にしびれが生じ、夜間や起床時に強くなるのが典型である。進行すると母指球筋(特に短母指外転筋)が萎縮し、つまみ動作がしにくくなる。本例の中年女性、片側の正中神経領域のしびれ、起床時の増悪、母指球筋萎縮、対立運動障害(針が持てない)はすべてこれに合う。自覚的なしびれは正中神経領域を越えて感じられることもある。しかし、他覚的な表在覚低下と筋萎縮は正中神経領域にとどまる。母指球部の皮膚の感覚は保たれることが多い。これは、その部位を支配する正中神経の掌枝が手根管より近位で分かれ、手根管を通らないためである。
- ×e. 多発性神経炎
多発神経炎(多発ニューロパチー)は、糖尿病、アルコール、ビタミンB1欠乏、薬剤などにより末梢神経が広く障害される病態である。通常は下肢遠位から始まる左右対称の手袋・靴下型の感覚障害を示し、腱反射は低下する。本例は片側の正中神経領域だけに限局しており、分布が合わない。Guillain-Barré症候群などの急性の病態でも、ごく初期には単一神経の障害に見えることがある。しかし本例は3か月かけて筋萎縮まで進んでおり、その経過とも合わない。ただし、糖尿病による多発ニューロパチーの患者は手根管症候群を合併しやすい。
手根管の構造
・手根骨が作る溝と、その掌側を覆う屈筋支帯(横手根靱帯)で囲まれたトンネルである。 ・内部を正中神経と9本の屈筋腱(浅指屈筋腱4本、深指屈筋腱4本、長母指屈筋腱1本)が通る。 ・内圧が上がったり容積が狭くなったりすると、正中神経が圧迫される。
手根管症候群の原因・危険因子
・特発性(中年以降の女性に多い。更年期の女性ホルモン変動の関与が考えられている) ・妊娠・産後(浮腫による) ・長期透析(β2-ミクログロブリンによる透析アミロイドーシス) ・関節リウマチ(滑膜炎)、甲状腺機能低下症、先端巨大症、糖尿病 ・橈骨遠位端骨折後、手の使いすぎ
診断
・Tinel徴候、Phalen テスト、母指の対立運動障害(母指先端と小指先端を合わせられない)、猿手(母指球の萎縮で母指が手掌と同じ平面に並ぶ) ・神経伝導検査:正中神経の運動遠位潜時・感覚神経伝導速度の遅延 ・超音波・MRI:正中神経の腫大、占拠性病変の有無
治療
・保存療法:手関節の安静・装具固定(特に夜間の中間位固定)、手根管内へのステロイド注射、薬物療法 ・手術療法:保存療法が無効な場合や、母指球筋萎縮が進んだ場合は、屈筋支帯を切離する手根管開放術(直視下または鏡視下)を行う。高度の対立障害には母指対立再建術を追加することがある。
上肢の主な末梢神経障害の整理
・正中神経:手根管症候群(手関節)、前骨間神経麻痺(感覚障害なし、tear drop sign)、回内筋症候群 → 猿手 ・尺骨神経:肘部管症候群(肘)、Guyon管症候群(手関節) → 鷲手、Froment徴候 ・橈骨神経:上腕での圧迫・骨折 → 下垂手。後骨間神経麻痺 → 下垂指(感覚障害なし)
POINT
・母指〜中指のしびれ、母指球筋萎縮、対立運動障害(つまみ動作の障害) → 正中神経障害。 ・中年女性で夜間〜起床時に悪化 → 手根管症候群。 ・Tinel徴候、Phalen テスト、神経伝導検査(遠位潜時の延長)で確認する。 ・妊娠、透析、関節リウマチ、甲状腺機能低下症、先端巨大症、糖尿病が危険因子。 ・尺骨神経(肘部管)は環指・小指と鷲手、橈骨神経は手背と下垂手、と整理する。
