塩素は効いていたのに町の半数が下痢―「煮沸で防げた」が指し示すクリプトスポリジウム
第99回医師国家試験 H問題 第1問
国試問題にチャレンジ
ある町で下痢や腹痛を訴える者が相次ぎ,住民の半数以上にのぼった。そのすべてが町営水道水を飲用していたが,煮沸した水の飲用者に症状はみられなかった。末端の給水栓からは衛生上必要な遊離残留塩素が検出された。 下痢,腹痛の原因として最も可能性の高いのはどれか。
- a.鉛
- b.トリハロメタン
- c.クリプトスポリジウム
- d.腸チフス菌
- e.病原性大腸菌
対話形式の解説
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ドクターまとめ
塩素消毒が適切に行われていた水道水で大規模な集団下痢症が起こり、煮沸した水の飲用者が発症しなかった場合は、塩素に抵抗性をもち熱に弱い原虫、クリプトスポリジウムを第一に考えます。病原性大腸菌や腸チフス菌などの一般細菌は通常の残留塩素で死滅し、鉛やトリハロメタンなどの化学物質は煮沸で除去できず、急性の集団下痢症の原因にもなりません。クリプトスポリジウムはウシなどの糞便に由来するオーシストが水源を汚染して広がり、対策はろ過・紫外線処理・煮沸が基本で、1996年の越生町の事例を契機に水道の対策が整備されました。免疫正常者では自然軽快しますが、AIDSなどの免疫不全者では重症化・遷延化する日和見感染症として重要です。曝露源と防御因子、病原体の性質を照らし合わせて原因を絞り込む考え方は、集団感染の疫学調査全般に通じる基本となります。
解答・解説
正解はcです
状況の整理
・町の住民の半数以上という大規模な集団発生で、症状は下痢と腹痛という消化器症状である。 ・発症者は全員が町営水道水を飲んでおり、共通の曝露源は水道水と考えられる(水系感染・水系汚染)。 ・同じ水道水でも、煮沸してから飲んだ人は発症していない。 ・蛇口(末端の給水栓)では、衛生上必要とされる遊離残留塩素が検出されている。つまり塩素消毒は基準どおり行われていた。
原因の絞り込み
1. 煮沸で発症を防げたことから、原因は熱で失活する病原微生物と考えられる。重金属などの化学物質は煮沸しても分解・除去されず、むしろ水分の蒸発で濃縮されることさえある。 2. 塩素消毒が適切に行われていたにもかかわらず発症したことから、その病原体は塩素に強い抵抗性をもつと考えられる。一般的な細菌(腸チフス菌、病原性大腸菌など)は、通常の水道の塩素濃度で速やかに死滅する。 「塩素に抵抗性がある」「煮沸で死ぬ」「水道水を介して大規模な集団下痢症を起こす」という3条件を満たす代表的な病原体が、原虫のクリプトスポリジウムである。クリプトスポリジウムのオーシスト(厚い殻に包まれた感染型の嚢子)は塩素にきわめて強いが、熱には弱く、煮沸で感染性を失う。
選択肢考察
- ×a. 鉛
考えにくい。鉛は古い鉛製給水管から水道水に溶け出すことがある重金属である。化学物質であるため煮沸しても除去されず、煮沸した水を飲んだ人だけが発症しなかったという経過に合わない。また、鉛中毒は主に慢性的な曝露で生じ、貧血(ヘム合成障害)、鉛疝痛と呼ばれる腹痛、便秘、末梢神経障害(橈骨神経麻痺による下垂手)などを呈する。住民の半数以上が急に下痢を起こすという病像とも異なる。
- ×b. トリハロメタン
考えにくい。トリハロメタンは、原水中のフミン質などの有機物と消毒用の塩素が反応してできる消毒副生成物で、クロロホルムなどが含まれる。発癌性が懸念されるため水道水質基準で濃度が規制されているが、問題となるのは長期曝露による慢性影響であり、急性の下痢・腹痛の集団発生を起こすことはない。さらに化学物質であるため煮沸で発症が防げたことも説明できない(煮沸で一部は揮発するが、急性症状の原因とはならない)。
- ○c. クリプトスポリジウム
最も可能性が高い。クリプトスポリジウムは腸管に寄生する原虫で、感染者や家畜(ウシなど)の糞便とともにオーシストが排出され、それが水源を汚染する。オーシストは塩素に対する抵抗性がきわめて強く、水道水の通常の塩素濃度では不活化されないため、残留塩素が基準を満たしていても感染が起こる。一方で熱に弱く、煮沸すれば感染性を失う。少数のオーシストでも感染が成立するため、浄水処理のろ過が不十分であると水道水を介して大規模な集団感染を起こす。症状は水様性の下痢と腹痛が中心で、本例の経過すべてと合致する。
- ×d. 腸チフス菌
考えにくい。腸チフス菌(Salmonella Typhi)は水や食物を介して感染するが、通常の塩素消毒で死滅するため、末端で遊離残留塩素が検出される水道水を介して流行することは考えにくい。また腸チフスの主症状は持続する高熱、比較的徐脈、バラ疹、脾腫などで、発症初期はむしろ便秘のことも多い。下痢・腹痛が主体の集団発生という病像にも合わない。
- ×e. 病原性大腸菌
考えにくい。腸管出血性大腸菌などの病原性大腸菌は水系感染を起こし得るが、塩素に感受性があり、適切な塩素消毒で死滅する。水道水質基準で大腸菌が「検出されないこと」とされ、給水栓で遊離残留塩素の保持が義務付けられているのは、このような細菌の汚染を防ぐためである。塩素消毒が適切に行われていた本例の原因としては考えにくい。
クリプトスポリジウム症
・病原体: 原虫(アピコンプレックス門)のクリプトスポリジウム。感染型のオーシストは直径4〜6μm程度と小さく、厚い壁をもつ。 ・感染経路: オーシストに汚染された水や食品の経口摂取(糞口感染)。ウシなどの家畜が重要な感染源となる。少数のオーシストで感染が成立する。 ・症状: 数日〜1週間程度の潜伏期の後、水様性下痢、腹痛、悪心、微熱などを生じる。免疫が正常な人では通常1〜2週間ほどで自然に治まる。AIDS(後天性免疫不全症候群)など細胞性免疫が低下した人では、難治性で遷延する重篤な下痢となり、日和見感染症として重要である。 ・診断: 便中のオーシストを抗酸染色(改良チール・ネールゼン染色)や蛍光抗体法で検出する。 ・感染症法: 5類感染症(全数把握)。 ・対策: 塩素が効かないため、浄水場での凝集沈殿・ろ過による物理的除去が基本であり、紫外線処理も有効である。家庭レベルでは煮沸が確実である。 ・国内の事例: 1996年に埼玉県越生町で水道水を原因とする大規模な集団感染が起こり、住民の多数が発症した。これを契機に水道の対策指針が整備された。
水道水の塩素消毒
・水道法により、給水栓(蛇口)で遊離残留塩素を0.1mg/L以上(結合残留塩素の場合は0.4mg/L以上)保持することが定められている。 ・塩素は多くの細菌・ウイルスに有効だが、クリプトスポリジウムやジアルジアなどの原虫のシスト・オーシストには効きにくい。
水道水に関連するその他の物質
・トリハロメタン: 塩素消毒の副生成物。発癌性の懸念から水質基準がある。 ・鉛: 古い鉛管から溶出する。慢性中毒で貧血、腹痛、神経障害を起こす。
POINT
・塩素消毒が適切でも起こり、煮沸で防げる水系集団下痢症はクリプトスポリジウムを考える。 ・クリプトスポリジウムのオーシストは塩素に抵抗性、熱に弱い。対策はろ過・紫外線処理・煮沸。 ・免疫正常者では自然軽快、AIDSなど免疫不全者では重症・遷延化する。 ・一般細菌(腸チフス菌、病原性大腸菌など)は塩素で死滅する。 ・化学物質(鉛、トリハロメタン)は煮沸で除去できず、急性の集団下痢症の原因にはならない。
