夜の咳と冷たい手足―88歳の呼吸困難を「うっ血」で読み解く
第120回医師国家試験 F問題 第73問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,73~75の問いに答えよ。 88歳の男性。呼吸困難を主訴に来院した。 現病歴:1週間前から労作時の呼吸困難が出現している。昨夜の就寝中から湿性咳嗽が出現しており,今朝から全身倦怠感が著明となり,安静にしていても症状が徐々に増悪するため受診した。 既往歴:高血圧,脂質異常症および糖尿病で外来通院中。2年前から腰部脊柱管狭窄症で整形外科通院中。8年前に心房細動でカテーテルアブレーション治療。10年前には両側の手根管症候群で外科手術。 生活歴:喫煙は20歳から現在まで10本/日,飲酒は機会飲酒,妻との2人暮らし。 家族歴:特記すべきことはない。 現症:意識は清明。身長158cm,体重57kg。体温36.8℃。脈拍60/分,整。血圧108/90mmHg。呼吸数20/分。SpO2 92%(room air)。眼瞼結膜と眼球結膜とに異常を認めない。頸静脈の怒張を認める。心音はⅠ音,Ⅱ音は正常。Ⅳ音を聴取する。呼吸音は,両下肺野で減弱しており,上肺野ではcoarse cracklesを聴取する。腹部は平坦,軟で,右肋骨弓下に肝を3cm触知するが,脾を触知しない。四肢末梢は冷感を認める。両下腿浮腫を認める。 検査所見:血液所見:赤血球402万,Hb 12.1g/dL,Ht 40%,白血球4,500(好中球64%,好酸球2%,好塩基球1%,単球8%,リンパ球25%),血小板16万,Dダイマー0.3μg/mL(基準1.0以下)。血液生化学所見:総蛋白7.3g/dL,アルブミン3.6g/dL,総ビリルビン0.8mg/dL,AST 72U/L,ALT 59U/L,LD 185U/L(基準124~222),ALP 323U/L(基準38~113),γ-GT 69U/L(基準13~64),CK 70U/L(基準59~248),尿素窒素17mg/dL,クレアチニン1.3mg/dL,尿酸5.9mg/dL,血糖117mg/dL,HbA1c 7.2%(基準4.9~6.0),トリグリセリド291mg/dL,HDLコレステロール40mg/dL,LDLコレステロール118mg/dL,Na 132mEq/L,K 4.1mEq/L,Cl 100mEq/L,Ca 9.4mg/dL,BNP 681pg/mL(基準18.4以下),心筋トロポニンT 0.9ng/mL(基準0.01以下)。CRP 1.0mg/dL。血清免疫電気泳動でM蛋白を認めない。動脈血ガス分析(room air):pH 7.32,PaCO2 41Torr,PaO2 69Torr,HCO3- 31mEq/L。心エコー検査では,左室収縮能は良好に保たれているが,全周性に左室壁は肥厚しており,輝度が高い。12誘導心電図(A)と胸部エックス線写真(B)とを下に示す。
この患者の呼吸困難の主病態はどれか。

- a.虚血
- b.血栓
- c.貧血
- d.うっ血
- e.アレルギー
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
夜間に悪化する湿性咳嗽、水泡音、両側胸水、低酸素血症は肺うっ血を、頸静脈怒張・肝腫大・下腿浮腫は体うっ血を示し、BNP著明高値と合わせて両心不全による「うっ血」が呼吸困難の主病態と判断できます。トロポニン上昇があっても胸痛やST変化を欠けば虚血は考えにくく、Dダイマー正常は肺血栓塞栓症の除外に、低酸素血症の存在や軽度のHb低下は貧血の否定に、好酸球正常や喘鳴の欠如はアレルギーの否定に役立ちます。左室収縮が保たれ壁が肥厚しⅣ音を聴取する点から拡張障害中心の心不全(HFpEF)であり、壁肥厚と心電図低電位の乖離や手根管症候群の既往は心アミロイドーシスを疑う重要な手がかりです。「病態」と「原因疾患」を区別して整理する姿勢は、心不全の診断と治療方針の決定に直結します。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
88歳男性が、1週間続く労作時呼吸困難に続いて、就寝中からの湿性咳嗽(夜間に横になると増悪する咳・呼吸苦は、臥位で静脈還流が増えて肺うっ血が悪化するためで、左心不全を示唆する)と安静時にも進行する呼吸困難を訴えている。 ・左心系の後方障害(肺うっ血)を示す所見: SpO2 92%、PaO2 69 Torr の低酸素血症、上肺野の coarse crackles(水泡音。肺胞・細気管支内の液体による断続性ラ音)、両下肺野の呼吸音減弱(胸水貯留を示唆)。 ・右心系の後方障害(体うっ血)を示す所見: 頸静脈怒張、肝腫大(右肋骨弓下3cm)、両下腿浮腫。AST・ALT・ALP・γ-GT の軽度上昇はうっ血肝で説明できる。 ・前方障害(低心拍出)を示す所見: 四肢末梢の冷感、血圧108/90 mmHg と脈圧が18 mmHg しかない(1回拍出量の低下を反映)。 ・心不全マーカー: BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド。心室壁へのストレスで分泌される)681 pg/mL と著明に高い。低Na血症(132 mEq/L)も心不全の重症度と関連する。 ・胸部エックス線写真(B): 心拡大、肺血管陰影の増強(肺うっ血)、両側の肋横隔膜角の鈍化(両側胸水)がみられる。 ・12誘導心電図(A): 脈拍60/分の洞調律で、全誘導の QRS 波が低電位である。V1〜V3 の R 波増高不良があるが、明らかな ST 上昇・低下はない。 ・心エコー: 左室収縮能は保たれている一方、左室壁は全周性に肥厚し、心筋の輝度が高い。
診断プロセス
上記から、呼吸困難の原因は心不全による肺うっ血(および胸水)であり、体うっ血と低心拍出も伴う両心不全の急性増悪と判断できる。駆出率が保たれていることから、拡張障害が中心の心不全(HFpEF: heart failure with preserved ejection fraction)である。 では、なぜ拡張障害が起きたか。高血圧による左室肥大でも壁は厚くなるが、その場合は心電図で高電位を示すのが普通である。本例では「壁は厚いのに心電図は低電位」という乖離があり、さらに心筋のエコー輝度が高い。これは心筋細胞そのものの肥大ではなく、心筋間質に異常な物質が沈着して壁が厚くなっていることを示し、心アミロイドーシスに特徴的な組み合わせである。 既往歴もこれを裏づける。両側手根管症候群、腰部脊柱管狭窄症、心房細動はいずれもトランスサイレチン(TTR)由来のアミロイドが靱帯・腱や心房に沈着して起こり得る病態で、特に手根管症候群は心症状に数年〜10年ほど先行することが多い。血清免疫電気泳動でM蛋白(単クローン性免疫グロブリン)がないことは、形質細胞の異常による ALアミロイドーシスを否定的にする材料であり、高齢男性であることと合わせて野生型トランスサイレチン型心アミロイドーシス(ATTRwt)が最も考えられる。トロポニンT の持続的上昇もアミロイド沈着による慢性の心筋障害として説明できる。
設問の考え方
問われているのは原因疾患ではなく、呼吸困難を生じている「病態」である。原因がアミロイドーシスであっても、呼吸困難を直接もたらしているのは、硬くなった左室へ血液が流入しにくくなり左房圧・肺静脈圧が上昇して起こる肺うっ血(肺水腫・胸水)である。
選択肢考察
- ×a. 虚血
心筋トロポニンT は 0.9 ng/mL と上昇しているが、胸痛や胸部圧迫感の訴えはなく、心電図に虚血を示す ST 変化もない。心エコーでも特定の冠動脈支配域に一致した局所壁運動異常は記載されておらず、左室収縮能は保たれている。トロポニン上昇はアミロイド沈着による慢性的な心筋障害や心不全そのものによる心筋ストレスで説明でき、急性冠症候群が呼吸困難の主病態とは考えにくい。
- ×b. 血栓
血栓による呼吸困難としては肺血栓塞栓症が代表的である。しかし D ダイマーは 0.3 μg/mL と基準内であり、D ダイマーは陰性的中率が高いため、臨床的疑いが高くない状況では肺血栓塞栓症をほぼ除外できる。また頸静脈怒張・肝腫大・下腿浮腫に加え、肺の水泡音、両側胸水、肺血管陰影の増強という左右両方のうっ血所見がそろっており、血栓症では説明できない。
- ×c. 貧血
Hb 12.1 g/dL は成人男性の基準下限(おおむね13 g/dL台)をわずかに下回る程度で、眼瞼結膜にも貧血所見はない。この程度の軽度低下で安静時にも増悪する呼吸困難、低酸素血症、うっ血所見は説明できない。なお貧血そのものは酸素運搬能を下げるが、動脈血の酸素分圧(PaO2)やSpO2は低下させない点も、本例の低酸素血症と合わない。
- ○d. うっ血
肺うっ血の所見(夜間の湿性咳嗽、coarse crackles、低酸素血症、胸部エックス線写真での肺血管陰影増強と心拡大、両側胸水による下肺野の呼吸音減弱)と体うっ血の所見(頸静脈怒張、うっ血肝による肝腫大と肝胆道系酵素上昇、両下腿浮腫)がそろい、BNP も 681 pg/mL と著明高値である。心アミロイドーシスで硬くなった左室は拡張期に十分広がれず、左房圧・肺静脈圧が上昇して肺間質・肺胞へ水分が漏れ出す。これによるガス交換障害が呼吸困難の主病態である。
- ×e. アレルギー
好酸球は2%と増加しておらず、喘鳴(wheeze)や皮疹、アレルゲン曝露歴など、気管支喘息やアナフィラキシーを示唆する所見はない。聴診で得られたのは coarse crackles であり、気道攣縮による連続性ラ音ではない。Ⅰ型以外のアレルギー機序(過敏性肺炎など)を示唆する所見もなく、心不全の所見で全体が説明できる。
心不全の症状・所見の整理
心不全の症状は、うっ血(後方障害)と低心拍出(前方障害)に分けると理解しやすい。 ・左心不全のうっ血: 労作時呼吸困難、起坐呼吸、夜間発作性呼吸困難、湿性咳嗽(泡沫状のピンク色痰)、水泡音、胸水、Ⅲ音。 ・右心不全のうっ血: 頸静脈怒張、肝腫大・肝胆道系酵素上昇、下腿浮腫、腹水、体重増加。 ・低心拍出: 四肢冷感、脈圧の狭小化、意識レベル低下、乏尿、倦怠感。 うっ血の有無(wet/dry)と末梢循環の良否(warm/cold)で4群に分ける Nohria-Stevenson 分類では、本例はうっ血あり・末梢冷感ありの wet-cold に相当し、利尿に加えて心拍出の維持にも配慮が必要な病型である。
胸部エックス線写真での心不全所見
心拡大(心胸郭比50%超)、肺尖部への血流再分布(上肺野血管影の増強)、Kerley B 線、肺門部を中心とした蝶形陰影(butterfly shadow)、肋横隔膜角の鈍化(胸水)など。
Ⅳ音の意味
Ⅳ音は心房収縮で硬い心室に血液が押し込まれるときに生じる低調な過剰心音で、左室の拡張能低下(コンプライアンス低下)を示す。本例は洞調律であり、心房収縮が保たれているため聴取される。心房細動では心房収縮がないためⅣ音は生じない。
心アミロイドーシスを疑う手がかり(レッドフラッグ)
・心エコー: 原因の説明できない左室壁肥厚、心筋の顆粒状高輝度(granular sparkling)、心尖部が保たれた長軸方向ストレインの低下(apical sparing)、心房中隔・弁の肥厚、心嚢液。 ・心電図: 壁肥厚に見合わない低電位、前胸部誘導の偽梗塞パターン(R 波増高不良)、房室ブロックなどの伝導障害。 ・心外所見: 両側手根管症候群、腰部脊柱管狭窄症、上腕二頭筋腱断裂、自律神経障害(起立性低血圧)など。 ・経過: もともとの高血圧が自然に正常化・低下する、降圧薬に耐えられなくなる、トロポニンが持続的に軽度高値。
HFpEF
左室駆出率50%以上に保たれた心不全を HFpEF と呼ぶ。高齢者・女性・高血圧・糖尿病・肥満・心房細動を背景とすることが多いが、その中に心アミロイドーシスや肥大型心筋症など特異的な治療がある疾患が紛れているため、原因検索が重要である。
POINT
・呼吸困難+湿性咳嗽+水泡音+頸静脈怒張・肝腫大・下腿浮腫+BNP高値 → 両心不全によるうっ血。 ・「病態」を問われたら、原因疾患ではなく症状を直接生む機序(本問では肺うっ血)を答える。 ・D ダイマー陰性は肺血栓塞栓症の除外に、好酸球正常・wheeze なしはアレルギー性疾患の否定に使う。 ・左室壁肥厚なのに心電図は低電位、心筋の高輝度、左室収縮能保持 → 心アミロイドーシスを疑う。 ・両側手根管症候群・腰部脊柱管狭窄症・心房細動の既往は ATTR アミロイドーシスの手がかり。
