息が吸えないのは肺のせい?―症状の連鎖をたどって癌性疼痛に先手を打つ
第120回医師国家試験 B問題 第28問
国試問題にチャレンジ
82歳の男性。右季肋部痛を主訴に来院した。1か月前に自宅近くの病院で膵癌および多発肝転移と診断された。薬物による抗癌治療を希望せず,外来でアセトアミノフェンの処方をうけている。1週間前から右季肋部の痛みが増悪し,食欲が低下している。また大きな息をすることができず,呼吸困難を自覚している。意識は清明。身長162cm,体重52kg。体重減少はない。体温36.2℃。脈拍68/分,整。血圧112/58mmHg。呼吸数16/分。SpO2 94%(room air)。腹部造影CTで肝転移の増大を認めた。 まず行うべきなのはどれか。
- a.酸素投与
- b.制吐薬投与
- c.鎮静薬投与
- d.オピオイド投与
- e.高カロリー輸液
対話形式の解説
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ドクターまとめ
アセトアミノフェンなどの非オピオイド鎮痛薬で制御できなくなった癌性疼痛には、オピオイドを導入するのが原則です。肝転移の増大による右季肋部痛は肝被膜伸展痛(内臓痛)で、深呼吸で増悪するため吸気が制限され、低酸素血症がなくても呼吸困難を訴えることがあります。この場合は酸素投与や制吐薬、鎮静薬、高カロリー輸液で個々の症状に対処するより、症状の連鎖の起点である痛みに介入することが優先で、オピオイドには呼吸困難感を和らげる作用もあります。導入時は便秘対策の下剤を必ず併用し、悪心や眠気に注意しながら定時投与とレスキュー薬で調整します。複数の症状を「どこから始まっているか」で整理する視点は、緩和ケアにとどまらず臨床推論全般に役立ちます。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
・82歳男性。膵癌と多発肝転移が1か月前に判明し、抗癌薬による治療は本人が望んでいない。今後は症状緩和を中心とした医療(緩和ケア)が主体となる。 ・外来ではアセトアミノフェンのみで鎮痛しているが、1週間前から右季肋部痛が強くなっている。造影CTで肝転移の増大があり、肝臓が腫れて肝臓表面を覆う被膜(Glisson鞘)が引き伸ばされることによる痛み(肝被膜伸展痛)と考えられる。すなわち非オピオイド鎮痛薬だけでは痛みが抑えきれていない状態である。 ・「大きな息ができない」という呼吸困難がある。右季肋部は横隔膜のすぐ下にあり、深く息を吸うと腫大した肝臓が押されて痛みが強まるため、患者は無意識に吸気を浅くしている。つまり呼吸困難の主因は肺そのものではなく、痛みによる吸気制限と読める。 ・バイタルサインは安定しており、呼吸数16/分と頻呼吸はなく、SpO2 94%(室内気)と酸素化はおおむね保たれている。体重減少もなく、意識も清明である。 ・食欲低下はあるが、悪心・嘔吐の訴えは記載されていない。
何を優先すべきか
本例の苦痛の中心は、アセトアミノフェンで制御できなくなった癌性疼痛であり、呼吸困難や食欲低下もこの痛みに引き続いて生じている可能性が高い。したがって、原因である痛みをしっかり抑えることが最初に行うべき対応となる。WHOのがん疼痛治療の考え方では、非オピオイド鎮痛薬で効果が不十分な中等度以上の痛みにはオピオイドを導入する(軽度の痛みであっても、強い痛みが予想される場合は最初から強オピオイドを少量で開始してよい)。オピオイドには呼吸困難の感覚そのものを和らげる作用もあるため、本例のように痛みと呼吸困難が併存する場面では特に有用である。 「まず行うべき」対応を問う問題では、症状を一つずつ対症的に処理するのではなく、症状の連鎖の起点(ここでは疼痛)に介入する、という発想が鍵になる。
選択肢考察
- ×a. 酸素投与
SpO2 94%(室内気)で呼吸数も正常範囲であり、酸素投与が必要となる明らかな低酸素血症はない。呼吸困難は痛みのために深呼吸ができないことによるもので、酸素を投与しても吸気制限は改善しない。緩和ケアの領域でも、低酸素血症のない呼吸困難に対しては酸素投与の有効性は乏しいとされる。まず痛みを取ることが優先である。
- ×b. 制吐薬投与
悪心・嘔吐の訴えはないため、制吐薬を投与する根拠はない。食欲低下は痛みによる苦痛が背景にある可能性が高く、まず疼痛緩和を図るべきである。なお、オピオイド導入初期には悪心が出やすいため、開始時に制吐薬を予防的に併用することはあるが、それはオピオイド投与を前提とした補助的対応であり、最初に単独で行うものではない。
- ×c. 鎮静薬投与
鎮静(意識を低下させて苦痛を感じにくくすること)は、あらゆる緩和治療を尽くしても取りきれない耐え難い苦痛がある場合に、本人・家族の意思を確認したうえで検討される最終手段である。本例はまだオピオイドすら使用しておらず、疼痛治療の余地が十分にある。意識清明な患者に安易に鎮静薬を投与するのは不適切である。
- ○d. オピオイド投与
肝転移増大による肝被膜伸展痛が、非オピオイド鎮痛薬であるアセトアミノフェンでは制御できなくなっている。WHOのがん疼痛治療の原則に従い、ここでオピオイド(モルヒネ、オキシコドン、ヒドロモルフォンなど)を導入するのが最も適切である。アセトアミノフェンは中止せず併用してよい。痛みが和らげば深呼吸が可能となり呼吸困難も改善が期待でき、さらにオピオイド自体にも呼吸困難感を軽減する作用がある。導入時は少量から開始して効果と副作用(悪心、便秘、眠気など)をみながら用量を調整し、便秘に対しては下剤を併用する。
- ×e. 高カロリー輸液
食欲低下はあるが体重減少はなく、現時点で栄養療法を急ぐ状況ではない。高カロリー輸液(中心静脈栄養)は中心静脈カテーテルの留置を要し、感染などの合併症もある。終末期の癌患者では過剰な輸液がむくみ、胸水・腹水、気道分泌の増加を招いて苦痛をかえって強めることがある。食欲低下の背景にある痛みの緩和が先である。
がん疼痛の分類
・体性痛:骨転移や皮膚・筋などの痛み。局在が明瞭で、体動で悪化しやすい。 ・内臓痛:管腔臓器の拡張や、肝臓など実質臓器の被膜の伸展による痛み。局在があいまいな鈍痛で、オピオイドがよく効く。本例の肝被膜伸展痛はこれにあたる。 ・神経障害性痛:神経への浸潤・圧迫による痛み。しびれやビリビリ感を伴い、オピオイドの効果が出にくいことがあり、鎮痛補助薬を併用する。
WHOのがん疼痛治療の基本原則
・経口的に(by mouth):可能な限り簡便な経口投与を選ぶ。 ・時刻を決めて規則正しく(by the clock):痛みが出てからではなく、効果が切れる前に定時投与し、突出痛にはレスキュー薬(臨時追加投与)で対応する。 ・患者ごとに(for the individual):適切な量は個人差が大きく、痛みが取れるまで調節する。 ・そのうえで細かい配慮を(attention to detail):副作用対策や患者への説明を行う。 かつては「除痛ラダーにそって(by the ladder)」も原則に含まれ、非オピオイド→弱オピオイド→強オピオイドと段階的に進める3段階除痛ラダーが広く用いられた。2018年の改訂でラダーは教育・目安の道具として位置づけ直され、痛みの強さに応じて最初から強オピオイドを選択することも認められている。
オピオイドの主な副作用と対策
・便秘:耐性がほとんど生じないため、導入時から下剤を併用する。 ・悪心・嘔吐:導入初期や増量時に多く、多くは1〜2週間で耐性が生じる。必要に応じて制吐薬を使う。 ・眠気:導入初期や増量時に生じやすい。 ・呼吸抑制:痛みに合わせて適切に調節されていれば起こりにくいが、過量投与や腎機能低下時には注意する。
がん患者の呼吸困難
呼吸困難は主観的な症状であり、SpO2の値とは必ずしも一致しない。低酸素血症がなければ酸素投与の効果は限られ、原因(痛み、胸水、貧血など)の治療と、オピオイド(特にモルヒネ)による症状緩和が中心となる。
POINT
・アセトアミノフェンなど非オピオイド鎮痛薬で制御できない癌性疼痛には、オピオイドを導入する。 ・肝転移による右季肋部痛は肝被膜伸展痛(内臓痛)で、オピオイドが有効。 ・痛みによる吸気制限で呼吸困難が生じうる。低酸素血症がなければ酸素投与より原因(痛み)への対処が優先。 ・オピオイド導入時は便秘対策(下剤)を必ず併用し、悪心にも注意する。 ・鎮静は治療抵抗性の耐え難い苦痛に対する最終手段であり、最初に選ぶものではない。
