「練炭を買いました」―産業医が上司に伝えるべき、たった一つの最優先事項
第119回医師国家試験 F問題 第48問
国試問題にチャレンジ
34歳の男性。会社員。昼休みに,屋上で下を覗き込んでいるところを,上司が見かけて,上司に付き添われて健康管理室に来室した。産業医が面談したところ,この社員が現在取り組んでいる仕事は難航しており,当面の間,解決のめどが立ちそうにないとのことであった。体調面では,ここ1か月の間,体の疲れが取れず,眠れていない。また,気分の落ち込みが激しく,食事もほとんど摂れていないようである。面談中に「自分など会社のお荷物だ。いっそのこと死んでしまいたい。昨日,練炭を買ってきました」と発言があった。直近3か月の月の残業時間は100時間,110時間,120時間であった。産業医から精神科を受診するように伝えたが,忙しくて時間が取れないと言っている。この社員は一人暮らしをしている。 面談実施後に,産業医から上司に対する発言で適切なのはどれか。
- a.「配置転換をしてください」
- b.「労災を申請してください」
- c.「疲れているので,今日は一人で早退させてください」
- d.「残業をさせる時は,夕食をきちんととらせてください」
- e.「今から会社の人が付き添って,精神科を受診させてください」
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
希死念慮に加えて、手段の準備(練炭の購入)や自殺を思わせる行動、独居による孤立、受診の先延ばしがそろっている場合、自殺の危険は切迫していると判断します。このようなときは本人を一人にせず、会社の人が付き添ってその日のうちに精神科を受診させることが最優先で、一人で帰宅させる対応は自殺の危険を高めるため不適切です。配置転換や労災申請、残業時の配慮は、安全が確保され治療が始まった後に検討すべき事項であり、うつ病の急性期の大きな環境変化はかえって病状を悪化させるおそれがあります。生命の危険が差し迫る場合は、安全確保に必要な範囲で関係者に情報を伝えることが守秘義務より優先されます。時間外労働の上限(特別条項でも月100時間未満・2〜6か月平均80時間以内)や過労死ラインとあわせて、職場のメンタルヘルス対応の優先順位を理解しておくことが重要です。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・34歳男性の会社員。昼休みに屋上で下を覗き込んでいるところを上司が見つけ、付き添って健康管理室に連れてきた。飛び降りを考えていた可能性がある行動である。 ・業務上の要因:取り組んでいる仕事が難航し、解決のめどが立たない。直近3か月の時間外労働は月100時間、110時間、120時間と極めて長い。 ・症状:約1か月続く疲労感、不眠、激しい気分の落ち込み、食欲低下(ほとんど食事が摂れない)。「自分など会社のお荷物だ」という自責的・無価値的な思考もある。 ・希死念慮と具体的準備:「いっそのこと死んでしまいたい」と述べ、前日に練炭を購入している。自殺の手段を具体的に用意している。 ・本人は「忙しくて時間が取れない」として精神科受診に応じておらず、一人暮らしである。
評価
抑うつ気分、不眠、食欲低下、易疲労感、無価値感、希死念慮が1か月ほど続いており、うつ病が強く疑われる。長時間労働と業務上の強いストレスが発症に関与していると考えられる。 自殺の危険度を評価する際は、希死念慮の有無だけでなく、具体的な計画や手段の準備、直前の行動、孤立の有無などをみる。本例は、屋上で下を覗き込むという行動、練炭という具体的な手段の入手、一人暮らしで見守る人がいないこと、受診を拒んでいることがそろっており、自殺の危険は極めて高く緊急性がある。
設問の考え方
最優先は本人の生命の安全確保と、速やかな精神科での評価・治療である。そのためには本人を一人にせず、会社の人が付き添ってその日のうちに精神科を受診させる必要がある。命に関わる差し迫った危険があるため、本人の安全を守るのに必要な範囲で、産業医は上司など職場の関係者に情報を伝えて協力を求めてよい。配置転換、労災申請、残業時の配慮などは、安全が確保されて治療が始まった後に検討する事項である。
選択肢考察
- ×a. 「配置転換をしてください」
業務負荷の軽減や職場環境の調整は、いずれ必要となる対応である。しかし今は自殺の危険が切迫しており、まず安全確保と精神科受診を優先しなければならない。また、うつ状態の急性期に配置転換を行うと、本人が「仕事をやり遂げられなかった」「見放された」と受け止めて自責感が強まり、新しい環境への適応も負担となって病状が悪化するおそれがある。うつ病の急性期には、大きな環境変化より休養が優先される。現時点の発言として適切でない。
- ×b. 「労災を申請してください」
月100時間を超える時間外労働が続いた後に発症した精神障害は、業務による強い心理的負荷によるものとして労災(労働者災害補償保険)の対象となりうる。しかし労災の請求は原則として労働者本人(または遺族)が行うもので、精神障害の場合は医師による診断も前提となる。何より、自殺の危険が差し迫った今は手続きより安全確保と受診が先である。現時点で上司に伝えるべき内容ではない。
- ×c. 「疲れているので,今日は一人で早退させてください」
休養が必要なことは確かだが、本人は自殺の手段(練炭)をすでに購入しており、一人暮らしである。一人で帰宅させると、見守る人のいない自宅で自殺を実行する危険が非常に高い。自殺の危険が高い人を一人にすることは避けなければならず、きわめて不適切な対応である。
- ×d. 「残業をさせる時は,夕食をきちんととらせてください」
本例では長時間労働そのものが心身の不調の大きな要因となっており、残業を続けさせることを前提とした発言は不適切である。直近3か月の時間外労働は、いわゆる過労死ライン(発症前1か月におおむね100時間、または2〜6か月平均でおおむね80時間を超える時間外労働)を上回っている。食欲低下はうつ病の症状であり、食事をとらせるよう指示しても解決しない。必要なのは休養と精神科での治療である。
- ○e. 「今から会社の人が付き添って,精神科を受診させてください」
自殺の手段を準備し、希死念慮を口にし、自殺を思わせる行動もみられることから、自殺の危険は切迫している。本人は多忙を理由に受診を先延ばしにしており、一人暮らしで見守る人もいない。会社の人が付き添って今すぐ精神科を受診させれば、移動中を含めて本人を一人にせず安全を確保でき、確実に専門医の評価と治療(入院の要否判断を含む)につなげられる。業務より受診を優先させることを上司が明確に示す意味もある。最も適切な対応である。
自殺の危険因子と危険度評価
・危険因子:精神疾患(特にうつ病)、過去の自殺企図歴、具体的な計画や手段の準備、孤立(独居、支援者がいない)、過労や失業などの社会的ストレス、絶望感・無価値感、アルコール乱用など。 ・危険度評価では、希死念慮の強さ、計画の具体性、手段の入手、実行の時期、周囲の支援の有無を確認する。手段を準備している場合は危険度が高く、緊急対応が必要である。 ・自殺について直接尋ねても自殺を誘発することはなく、むしろ評価と支援の糸口になる。
危険度が高いときの対応
・本人を一人にしない。 ・家族や職場など周囲の協力を得て、速やかに精神科につなぐ。危険が切迫していれば入院も検討する。 ・手段(練炭、薬剤など)を本人の身の回りから遠ざける。 ・生命の危険が差し迫っている場合は、本人の安全確保に必要な範囲で関係者に情報を伝えることは、医師の守秘義務より優先される。
うつ病の主な症状
抑うつ気分、興味・喜びの喪失、食欲低下と体重減少、不眠(早朝覚醒が多い)、易疲労感、無価値感・過剰な罪責感、思考力・集中力の低下、精神運動制止または焦燥、希死念慮。
長時間労働に関する制度の要点
・労働基準法の時間外労働の上限は原則月45時間・年360時間。臨時的な特別の事情があっても、時間外労働と休日労働の合計は月100時間未満、2〜6か月平均80時間以内でなければならない。 ・労働安全衛生法では、時間外・休日労働が月80時間を超え疲労の蓄積が認められる労働者が申し出た場合、医師による面接指導を行う。 ・いわゆる過労死ライン:脳・心臓疾患の労災認定で、発症前1か月におおむね100時間、または発症前2〜6か月平均でおおむね80時間を超える時間外労働があると、業務と発症との関連性が強いと評価される。 ・精神障害の労災認定では、発症前おおむね6か月間の業務による強い心理的負荷が評価され、極度の長時間労働はそれだけで強い心理的負荷と判断されうる。
回復後の職場対応
治療により症状が改善した後は、主治医と産業医の意見をもとに、業務量の調整、時間外労働の制限、段階的な職場復帰(職場復帰支援プログラム)などの環境調整を行う。
POINT
・希死念慮に加えて手段の準備(練炭購入)や自殺を思わせる行動があれば、自殺の危険は切迫している。 ・独居で受診を拒む自殺高リスク者は一人にせず、付き添って直ちに精神科を受診させる。 ・一人で帰宅させる対応は自殺の危険を高めるため不適切。 ・配置転換や労災申請は、安全確保と治療開始の後に検討する事項。 ・時間外労働の上限は特別条項でも月100時間未満・2〜6か月平均80時間以内。過労死ラインは1か月100時間または2〜6か月平均80時間。
