4年前の「治療歴」が心臓をむしばむ―既往歴に潜む薬剤性心筋障害の手がかり
第119回医師国家試験 E問題 第44問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,43,44の問いに答えよ。 74歳の女性。感冒様症状を主訴に来院した。 現病歴:現在,医療機関に通院していない。2週間前から,微熱と咳嗽が続き,①食欲が低下している。市販の感冒薬を服用したが,改善しないため受診した。 既往歴:小学生の時に気管支喘息,22歳時に虫垂炎,54歳時に胆石症,68歳時に脊椎圧迫骨折,70歳時に悪性リンパ腫。 生活歴:喫煙歴と飲酒歴はない。 家族歴:母は乳癌で死亡。 現症:意識は清明。身長160cm,体重58kg。体温36.3℃。脈拍84/分,整。血圧120/78mmHg。呼吸数20/分。SpO2 86%(room air)。眼瞼結膜と眼球結膜とに異常を認めない。②頸静脈の怒張を認める。頸部リンパ節を触知しない。心音に異常を認めない。③両肺野にcoarse cracklesを聴取する。腹部は腸雑音に異常を認めない。④肋骨弓下に肝を1cm触知する。⑤両下肢に圧痕性の浮腫を認める。 検査所見:尿所見:蛋白(-),糖(-),ケトン体(-),潜血(-),沈渣に異常を認めない。血液所見:赤血球454万,Hb 13.2g/dL,Ht 42%,白血球7,000,血小板18万,Dダイマー2.6μg/mL(基準1.0以下)。血液生化学所見:アルブミン3.9g/dL,総ビリルビン1.2mg/dL,AST 24 U/L,ALT 18U/L,LD 182U/L(基準124~222),CK 62U/L(基準41~153),尿素窒素14 mg/dL,クレアチニン0.9mg/dL,尿酸6.9mg/dL,血糖84mg/dL,HbA1c 5.8%(基準4.9~6.0),トリグリセリド74mg/dL,HDLコレステロール36mg/dL,LDLコレステロール76mg/dL,Na 132mEq/L,K 4.0mEq/L,BNP 356pg/mL(基準18.4以下)。CRP 0.3mg/dL。心電図に異常を認めない。胸部エックス線写真で心胸郭比56%,軽度のうっ血を認める。心エコー検査で左室駆出率32%であった。
薬剤性の心筋障害を疑った場合,既往歴のうち特に詳細に聴取すべき病歴はどれか。
- a.気管支喘息
- b.虫垂炎
- c.胆石症
- d.脊椎圧迫骨折
- e.悪性リンパ腫
対話形式の解説
ドクター
医学生
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医学生
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ドクター
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ドクターまとめ
左室駆出率の低下した心不全で、虚血性心疾患やアルコールなどの明らかな原因が見当たらないときは、薬剤性心筋障害を鑑別に挙げます。代表的な原因はアントラサイクリン系抗癌薬(ドキソルビシンなど)で、悪性リンパ腫の標準治療であるR-CHOP療法にも含まれるため、悪性リンパ腫の既往があれば使用薬剤・累積投与量・縦隔照射の有無を詳しく聴取します。アントラサイクリンの心毒性は累積投与量依存性かつ不可逆的で、治療終了から数年以上たって遅発性に心不全を起こすことがあり、休薬で回復しやすいトラスツズマブとは対照的です。喘息、虫垂炎、胆石症、圧迫骨折の治療薬は、心筋そのものを障害して駆出率を下げる原因にはなりにくいと考えられます。既往歴を病名だけでなく治療内容まで掘り下げて聴く姿勢は、がん治療を経験した患者が増える現代の診療で欠かせない力です。
解答・解説
正解はeです
症例の整理
74歳女性が、2週間続く微熱・咳嗽・食欲低下を主訴に受診した。SpO2 86%(room air)の低酸素血症、両肺野のcoarse crackles(肺うっ血を示す湿性ラ音)、頸静脈怒張・肝腫大・両下肢の圧痕性浮腫(体静脈うっ血)を認める。BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)356pg/mLと高値、胸部エックス線写真で心胸郭比56%の心拡大と肺うっ血、心エコー検査で左室駆出率(LVEF)32%と収縮能の著明な低下がある。以上から、LVEFの低下した心不全(HFrEF:heart failure with reduced ejection fraction、LVEF 40%未満)で、肺うっ血と体静脈うっ血が併存する両心不全の状態と判断できる。炎症反応は軽微であり、上気道感染を契機に、もともと低下していた心機能が代償できなくなって心不全が顕在化したと考えられる。
心筋障害の原因を考える
LVEFが低下する心筋障害の原因としては、虚血性心疾患(陳旧性心筋梗塞など)、拡張型心筋症、高血圧性心疾患、弁膜症、心筋炎、頻脈誘発性心筋症、アルコール性心筋症、そして薬剤性心筋障害などが挙げられる。本例は心電図に異常がなく、喫煙・飲酒歴もなく、脂質・血糖も大きな異常はない。虚血性心疾患やアルコール性心筋症を強く示唆する材料に乏しい一方、既往歴に「70歳時に悪性リンパ腫」がある点が目を引く。
設問の考え方
薬剤性の心筋障害を引き起こす代表的な薬剤は抗癌薬であり、特にアントラサイクリン系薬(ドキソルビシン、ダウノルビシン、エピルビシンなど)が重要である。悪性リンパ腫、とくに頻度の高いびまん性大細胞型B細胞リンパ腫の標準治療であるR-CHOP療法には、ドキソルビシン(CHOPの「H」はhydroxydaunorubicin=ドキソルビシン)が含まれる。したがって、悪性リンパ腫に対してどのような化学療法を受けたか(使用薬剤、アントラサイクリンの総投与量、縦隔への放射線照射の有無、治療中・治療後の心機能評価の結果など)を詳しく聴取する必要がある。アントラサイクリンによる心筋障害は治療終了から数年以上経って発症することもあるため、本例のように治療から4年後に心不全が顕在化することは十分ありうる。
選択肢考察
- ×a. 気管支喘息
気管支喘息の治療には吸入ステロイド薬、β2刺激薬、ロイコトリエン受容体拮抗薬、テオフィリンなどが用いられる。β2刺激薬やテオフィリンは頻脈・不整脈の原因になりうるが、LVEFが低下するような心筋障害を起こす薬剤として問題になることはない。しかも本例の喘息は小学生時の既往で、現在は医療機関に通院していない。薬剤性心筋障害を疑って詳しく聴取すべき病歴ではない。
- ×b. 虫垂炎
虫垂炎の治療は虫垂切除術や短期間の抗菌薬投与であり、心筋障害を来す薬剤が用いられることはない。22歳時という50年以上前の既往でもあり、現在の心機能低下と結びつける根拠はない。
- ×c. 胆石症
胆石症の治療は胆嚢摘出術や、胆石溶解薬(ウルソデオキシコール酸)などであり、これらの薬剤に心筋障害作用は知られていない。54歳時の既往であり、薬剤性心筋障害を疑う際に重点的に聴取すべき病歴ではない。
- ×d. 脊椎圧迫骨折
脊椎圧迫骨折は高齢女性では骨粗鬆症を背景に生じることが多く、鎮痛薬(NSAIDs)や骨粗鬆症治療薬(ビスホスホネート、活性型ビタミンD、SERMなど)が使われうる。NSAIDsはナトリウム・水貯留により心不全を増悪させる誘因にはなりうるが、心筋そのものを障害してLVEFを低下させる薬剤ではない。また本例は現在通院していない。薬剤性心筋障害の原因として重点的に聴取すべき病歴ではない。
- ○e. 悪性リンパ腫
悪性リンパ腫の化学療法ではアントラサイクリン系抗癌薬のドキソルビシン(R-CHOP療法などに含まれる)が広く用いられる。アントラサイクリンは活性酸素の産生やトポイソメラーゼⅡβの阻害などを介して心筋細胞を不可逆的に傷害し、LVEFの低下した心筋症(拡張型心筋症に類似した病態)を引き起こす。その障害は累積投与量に依存して増加し、ドキソルビシンでは総投与量がおおむね400〜500mg/m²を超えると心不全の発症率が急激に高まることが知られている。高齢、縦隔への放射線照射、もともとの心疾患、他の心毒性薬剤の併用は危険因子である。また治療終了後、数年〜十数年たってから遅発性に心不全を発症することがある。本例は70歳時に悪性リンパ腫の既往があり、治療内容(薬剤名・総投与量・放射線治療の有無)を詳しく確認すべきである。
がん治療関連心機能障害(CTRCD:cancer therapy-related cardiac dysfunction)
抗癌薬や放射線治療によって生じる心機能障害を指し、腫瘍循環器学(onco-cardiology)の重要なテーマである。 ・アントラサイクリン系(ドキソルビシン、ダウノルビシン、エピルビシン、イダルビシンなど):心筋細胞の壊死・アポトーシスを伴う不可逆的・用量依存性の障害。急性期(投与直後の不整脈・心膜炎など)、早期、遅発性(治療後数年以上)の発症がある。悪性リンパ腫、白血病、乳癌、肉腫などで使用される。治療前後の心エコーによるLVEF評価、累積投与量の管理が重要である。心保護薬としてデクスラゾキサンがある。 ・トラスツズマブ(抗HER2抗体):主に乳癌で使用。心筋細胞の壊死を伴わない機能障害が主体で、休薬により回復することが多い(可逆的)。アントラサイクリンとの併用・連続投与でリスクが上がる。 ・その他:高用量シクロホスファミド(出血性心筋炎)、フルオロウラシル(冠攣縮による心筋虚血)、チロシンキナーゼ阻害薬・血管新生阻害薬(高血圧・心機能低下)、免疫チェックポイント阻害薬(重症化しうる心筋炎)など。 ・縦隔への放射線照射:心膜炎、冠動脈疾患、弁膜症、心筋線維化を晩期に来しうる。
病歴聴取のポイント
抗癌治療歴のある患者の心不全では、使用薬剤名と累積投与量、放射線照射の部位と線量、治療中の心機能の推移、治療終了からの期間を確認する。なお本例の母が乳癌で死亡したという家族歴は患者本人の薬剤曝露とは関係せず、薬剤性心筋障害の評価には直接関与しない。
心筋障害の他の主な原因
虚血性心疾患、拡張型心筋症、高血圧性心疾患、弁膜症、心筋炎(ウイルス性など)、アルコール性心筋症、頻脈誘発性心筋症、サルコイドーシスやアミロイドーシスなどの浸潤性疾患、甲状腺機能異常など。
POINT
・薬剤性心筋障害の代表はアントラサイクリン系抗癌薬(ドキソルビシン、ダウノルビシンなど)。 ・累積投与量依存性・不可逆性で、治療終了後数年以上経ってから心不全を発症することがある。 ・悪性リンパ腫の標準治療(R-CHOPなど)にはドキソルビシンが含まれる。 ・トラスツズマブの心毒性は主に可逆的である点で対比して覚える。 ・原因不明のLVEF低下をみたら、抗癌薬の使用歴や縦隔照射歴を必ず聴取する。
