StudyMed医師国家試験

大動脈弓の下に潜む影―左反回神経が教える「嗄声」の予測

第116回医師国家試験 D問題 第16問

国試問題にチャレンジ

第116回 D問題 第16問

72歳の男性。肺がん検診で胸部異常陰影を指摘され来院した。胸部エックス線写真(A)と胸部造影CT(B)とを下に示す。  この患者で認められる可能性が高い症状はどれか。

第116回 D問題 第16問の問題画像
  1. a.嗄声
  2. b.不整脈
  3. c.呼吸困難
  4. d.心窩部痛
  5. e.頸静脈怒張

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は、画像で見つかった肺の腫瘤が「どこに接しているか」から、これから出てくる症状を予測する問題だ。自覚症状のない検診発見例だけど、病変の位置を解剖と結びつけられるかが勝負になる。まず、胸部エックス線写真とCTで腫瘤がどのあたりにあるか、整理してみよう。
医学生医学生
左の肺門の上のほうで、縦隔に接している影ですよね。CTだと大動脈弓のすぐ下にあるように見えます。
ドクタードクター
その通り。大動脈弓の下で肺動脈との間にある隙間を大動脈肺動脈窓、AP windowと呼ぶ。腫瘤はここに入り込んで縦隔へ進展している。高齢男性の検診発見例だから、まず肺癌の原発巣、あるいはその縦隔リンパ節転移を考えたい。では、AP windowを通っている重要な構造は何だろう。
医学生医学生
解剖実習で迷走神経を追いかけたとき、左だけ大動脈弓の下をくぐって戻っていく神経がありました。左反回神経ですね。
ドクタードクター
よく覚えているね。左反回神経は迷走神経から分かれたあと大動脈弓を下から後ろへ回り込み、気管と食道の間の溝を上って喉頭に向かう。つまりAP windowは左反回神経の通り道そのものなんだ。ここに腫瘍が浸潤すると何が起こる?
医学生医学生
反回神経は声帯を動かす筋を支配しているので、左の声帯が動かなくなって声がかすれる、つまり嗄声です。
ドクタードクター
正解。左声帯がしっかり閉じなくなるから、発声時に声門から息が漏れて、息の混じったかすれ声になる。これが今回最も出現が予測される症状だ。ほかの選択肢も、どんな病変なら起こるかという視点で見ていこう。まず頸静脈怒張はどうかな。
医学生医学生
上大静脈症候群の症状ですよね。縦隔の腫瘍なので、ちょっと迷いました。
ドクタードクター
迷うポイントだね。でも上大静脈は右側の縦隔にあるから、障害されるのは主に右上葉の肺癌や右側の縦隔リンパ節転移の場合なんだ。今回の病変は左の大動脈弓下だから、上大静脈との位置関係が合わない。心タンポナーデや右心不全でも頸静脈怒張は出るけれど、そうした所見もない。
医学生医学生
呼吸困難はどうでしょう。肺癌ならいずれ出てきそうな気がします。
ドクタードクター
確かに肺癌で呼吸困難はよくみられるけれど、それは主気管支の狭窄・閉塞による無気肺、大量胸水、癌性リンパ管症などが起きたときだ。今回は検診で無症状のまま見つかっていて、そうした所見は読み取れない。ちなみに反回神経麻痺でも両側なら声門が狭くなって呼吸困難を起こしうるけれど、片側では通常起こらない。
医学生医学生
不整脈と心窩部痛は、心臓や腹部の臓器に及んだ場合ですか。
ドクタードクター
そう。不整脈は心膜や左房への浸潤、癌性心膜炎などで起こりうるし、心窩部痛は胃・十二指腸や膵胆道疾患、下壁梗塞などで出る症状だ。今回の画像では心臓への浸潤や心嚢液貯留ははっきりせず、どちらも結びつけにくい。
医学生医学生
病変がどの構造に接しているかを読めば、症状が予想できるんですね。右と左で反回神経の回り方が違うのもポイントでしょうか。
ドクタードクター
大事なところだね。右反回神経は右鎖骨下動脈を、左は大動脈弓を回り込む。左のほうが胸腔内を長く走るぶん病変の影響を受けやすく、反回神経麻痺は左に多い。左反回神経麻痺の原因としては、肺癌の縦隔リンパ節転移のほか、食道癌、大動脈弓部の大動脈瘤、甲状腺や食道・心臓大血管の手術後などを押さえておこう。
医学生医学生
耳鼻咽喉科の実習で、喉頭ファイバーで片側の声帯が動かない患者さんを見て、胸部CTを撮ったら縦隔に病変が見つかった症例がありました。
ドクタードクター
まさにそういう流れが臨床ではよくある。嗄声を主訴に耳鼻科を受診して、原因検索から肺癌や食道癌、大動脈瘤が見つかることもあるんだ。反回神経麻痺では誤嚥しやすくなることもあるから、むせの有無も確認したい。ほかにも、肺尖部のPancoast腫瘍ならHorner症候群や上肢痛、横隔神経浸潤なら横隔膜挙上や吃逆、と浸潤部位ごとに症状をセットで覚えておくと強いよ。
医学生医学生
反回神経や縦隔への浸潤があると、病期も進んでいる扱いになりますか。
ドクタードクター
肺癌のTNM分類では、縦隔や心臓・大血管、気管、食道、反回神経などへの浸潤はT4として局所進行例に扱われる。だから嗄声という症状は、治療方針を考えるうえでも見逃せないサインなんだ。

まとめ

大動脈弓の下、肺動脈との間のAP windowは左反回神経が大動脈弓を回り込む通り道であり、ここに肺癌やその縦隔リンパ節転移が浸潤すると左反回神経麻痺による嗄声が生じます。左反回神経は右より胸腔内を長く走るため障害されやすく、原因として肺癌のほか食道癌や大動脈弓部瘤も重要です。頸静脈怒張は主に右側縦隔の病変による上大静脈症候群で生じ、呼吸困難や不整脈は気道閉塞・胸水や心膜浸潤など別の進展があって初めて考える症状です。画像で病変と周囲構造の位置関係を読み取り、起こりうる症状を予測する力は、肺癌の進展度評価や嗄声の原因検索など臨床の幅広い場面で役立ちます。

解答・解説

正解はaです

所見の整理

・72歳の男性。肺がん検診で胸部異常陰影を指摘された。自覚症状の記載はない。 ・胸部エックス線写真:左第2弓(大動脈弓より下方で肺動脈幹に相当する部分)の付近、左肺門上部から縦隔に接する腫瘤影がみられる。 ・胸部造影CT:大動脈弓の直下、肺動脈との間の領域(大動脈肺動脈窓、aortopulmonary window:AP window)に腫瘤が存在し、同部の縦隔へ進展・浸潤している。

診断の考え方

高齢男性で検診発見の肺野~肺門部腫瘤であり、まず肺癌(原発巣またはその縦隔リンパ節転移)を考える。画像上、腫瘤は大動脈弓下(AP window)に及んでいる点が最大の特徴である。

設問へのアプローチ

画像から「どの解剖学的構造が巻き込まれうるか」を考える問題である。左反回神経は迷走神経から分かれたのち、大動脈弓を前方から下方へくぐり、後方へ回り込んで気管と食道の間の溝(気管食道溝)を上行し喉頭に至る。つまり大動脈弓下のAP windowは左反回神経の通り道そのものであり、ここに腫瘍が浸潤すると左反回神経麻痺が起こり、左声帯の運動が障害されて嗄声(声のかすれ)をきたす。一方、上大静脈(右側の縦隔に位置する)、心臓・心膜、主気管支の高度狭窄、大量胸水などを示唆する所見は画像からは読み取れず、他の症状は本症例で「可能性が高い」とはいえない。

選択肢考察

  1. ○a.  嗄声

    腫瘍が大動脈弓下のAP windowに浸潤しており、この部位で大動脈弓を回り込む左反回神経が障害されやすい。左反回神経麻痺では左声帯が正中位へ閉じられず(傍正中位などで固定)、発声時に声門が十分閉鎖しないため、息漏れの多いかすれ声(気息性嗄声)となる。本症例で最も出現が予測される症状である。

  2. ×b.  不整脈

    肺癌が心膜や心筋(特に左房)へ直接浸潤した場合や、癌性心膜炎を生じた場合には心房細動などの不整脈がみられることがある。しかし本症例の画像では腫瘤は大動脈弓下に限局しており、心嚢液貯留や心臓への浸潤を示す所見はないため、可能性は低い。

  3. ×c.  呼吸困難

    肺癌で呼吸困難をきたすのは、主気管支・気管の狭窄や閉塞(閉塞性無気肺・閉塞性肺炎)、大量胸水、癌性リンパ管症、多発肺転移、上大静脈症候群などが生じた場合である。本症例ではこうした所見を認めず、検診で無症状のまま発見されていることからも、呼吸困難の可能性は高くない。なお両側の反回神経麻痺であれば声門狭窄により呼吸困難を生じうるが、片側麻痺では通常起こらない。

  4. ×d.  心窩部痛

    心窩部痛は胃・十二指腸疾患、膵胆道疾患、心筋梗塞(特に下壁)などで生じる症状である。肺癌が心膜・心臓や横隔膜、上腹部臓器(肝・副腎転移など)に及べば起こりうるが、本症例の画像所見からは結びつかない。

  5. ×e.  頸静脈怒張

    頸静脈怒張は、腫瘍が上大静脈を圧迫・浸潤して静脈還流が妨げられる上大静脈症候群(顔面・上肢の浮腫、前胸部の表在静脈怒張を伴う)や、心タンポナーデ、右心不全で生じる。上大静脈は右側縦隔に位置し、主に右上葉の肺癌や右側の縦隔リンパ節転移で障害される。本症例の病変は左側の大動脈弓下であり、上大静脈への浸潤はみられないため考えにくい。

反回神経の走行と左右差

・迷走神経は頸部から胸部へ下行する途中で反回神経を分枝する。 ・右反回神経:右鎖骨下動脈を前方から下方へくぐり、後方へ回って上行する(胸腔内に入る距離が短い)。 ・左反回神経:大動脈弓(動脈管索の外側)を下方から後方へ回り込み、気管食道溝を上行する。胸腔内を走る距離が長いため、病変の影響を受けやすく、反回神経麻痺は左側に多い。 ・反回神経は輪状甲状筋を除くすべての内喉頭筋を支配するため、麻痺すると患側声帯の運動障害が起こる。

左反回神経麻痺の主な原因

・肺癌(左上葉・左肺門部の腫瘍、大動脈弓下・AP windowのリンパ節転移) ・食道癌(胸部上部食道癌、反回神経周囲リンパ節転移) ・胸部大動脈瘤(大動脈弓部瘤) ・縦隔腫瘍、甲状腺癌、甲状腺手術・食道手術・心臓大血管手術後 ・特発性

肺癌の局所進展による症状(周囲構造との対応)

・反回神経浸潤:嗄声、誤嚥(むせ) ・横隔神経浸潤:横隔膜挙上(片側横隔神経麻痺)、吃逆 ・上大静脈浸潤・圧迫:上大静脈症候群(顔面・頸部・上肢の浮腫、頸静脈怒張、前胸部静脈の怒張) ・肺尖部腫瘍(Pancoast腫瘍):腕神経叢浸潤による肩・上肢痛、星状神経節・頸部交感神経幹浸潤によるHorner症候群(縮瞳、眼瞼下垂、顔面の発汗低下) ・心膜浸潤:心嚢液貯留、心タンポナーデ、不整脈 ・食道浸潤:嚥下障害 ・胸膜浸潤:胸痛、胸水

TNM分類との関係

反回神経・縦隔・心臓・大血管・気管・食道・椎体などへの浸潤はT4に分類され、局所進行肺癌として扱われる。

POINT

・大動脈弓下(AP window)の病変は左反回神経を巻き込み、嗄声をきたす。 ・左反回神経は大動脈弓を、右反回神経は右鎖骨下動脈を回り込む。左のほうが長く、麻痺は左に多い。 ・左反回神経麻痺の原因として肺癌(縦隔リンパ節転移)、食道癌、大動脈弓部瘤を押さえる。 ・頸静脈怒張は上大静脈症候群で生じ、主に右側の病変が原因となる。 ・画像から病変と周囲構造の位置関係を読み、起こりうる症状を推測できるようにする。

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。