マスクをしていても尿は語る―シンナー作業者の生物学的モニタリングと経皮曝露の落とし穴
第116回医師国家試験 C問題 第59問
国試問題にチャレンジ
40歳の男性。職場の特殊健康診断で受診した。工場でシンナーを使用した吹付け塗装作業を担当している。自覚症状は特にない。AST 80U/L,ALT 60U/L。喫煙は20本/日を15年間。飲酒はビール500mL/日を20年間。工場内の局所排気装置は稼働している。作業着は半袖で,防毒マスク,軍手は常時着用している。特殊健康診断で測定した検体の代謝物濃度が高濃度であった。 高濃度を示す代謝物はどれか。2つ選べ。
- a.尿中デルタアミノレブリン酸
- b.血中アセトアルデヒド
- c.尿中マンデル酸
- d.血中コチニン
- e.尿中馬尿酸
対話形式の解説
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医学生
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ドクターまとめ
シンナーはトルエン、キシレン、スチレン、エチルベンゼンなどを含む混合有機溶剤で、有機溶剤健康診断では尿中代謝物を測定して取り込み量を評価します(生物学的モニタリング)。トルエンは尿中馬尿酸、キシレンは尿中メチル馬尿酸、スチレンとエチルベンゼンは尿中マンデル酸が指標であり、鉛の尿中δ-ALA、喫煙のコチニン、飲酒のアセトアルデヒドとは区別します。有機溶剤は脂溶性で皮膚から吸収されやすいため、局所排気装置や防毒マスクで吸入を防いでも、半袖や軍手では経皮曝露が続き、長袖の保護衣と化学防護手袋が必要です。尿中代謝物は吸入・経皮を含む全経路の曝露を反映する点が作業環境測定との違いで、採尿は作業終了時に行います。溶剤と代謝物の対応に加えて労働衛生の3管理の視点で曝露の原因を考えることが、産業保健の現場での実践につながります。
解答・解説
正解はc, eです
所見の整理
・40歳男性。工場でシンナーを使った吹付け塗装に従事しており、有機溶剤の取扱業務として特殊健康診断(有機溶剤健康診断)を受けている。 ・自覚症状はないが、AST 80U/L、ALT 60U/Lと肝酵素が上昇している。 ・局所排気装置は稼働し、防毒マスクも着用しているので、吸入による曝露はある程度抑えられていると考えられる。 ・一方、作業着は半袖で、手は布製の軍手である。有機溶剤は脂溶性が高く皮膚から吸収されやすい。露出した腕に塗料ミストや溶剤が付着し、軍手は溶剤を吸い込んで皮膚に密着させるため、経皮曝露が続いていると考えられる。 ・喫煙(20本/日×15年)、飲酒(ビール500mL/日)の習慣もある。
考え方
シンナー(thinner)は塗料を薄めるための混合有機溶剤で、トルエン、キシレン、エチルベンゼン、スチレン、酢酸エステル類、アルコール類などを含む。有機溶剤健康診断では、取り扱う溶剤ごとに定められた尿中代謝物を測定して体内への取り込み量を評価する(生物学的モニタリング)。主なものはトルエン→尿中馬尿酸、キシレン→尿中メチル馬尿酸、スチレン・エチルベンゼン→尿中マンデル酸である。 本例ではシンナー成分の経皮吸収によって、これらの代謝物が高値になったと考えられる。選択肢のうち、シンナー成分の代謝物として特殊健康診断で測定されるのは尿中マンデル酸と尿中馬尿酸である。血中コチニンや血中アセトアルデヒドも本例の生活習慣から上昇しうるが、職業性曝露を評価する特殊健康診断の測定項目ではない点に注意する。
本例の肝障害と対策
有機溶剤は肝障害の原因となりうるため、AST・ALTの上昇は溶剤曝露の影響を考える。ただし飲酒など職業以外の要因の関与も含めて評価する必要がある。作業管理としては、長袖の作業着と、溶剤が透過しにくい化学防護手袋の着用に改めるべきである。
選択肢考察
- ×a. 尿中デルタアミノレブリン酸
δ-アミノレブリン酸(δ-ALA)はヘム合成の中間体である。鉛はδ-ALA脱水酵素(ALAD)を阻害するため、鉛曝露者では尿中δ-ALAが増加する。鉛健康診断で血中鉛とともに測定する指標であり、シンナー(有機溶剤)の曝露評価には用いない。
- ×b. 血中アセトアルデヒド
エタノールがアルコール脱水素酵素で代謝されて生じる物質で、飲酒に関連して増加する。本例は飲酒習慣があるが、血中アセトアルデヒドは代謝が速く、有機溶剤の曝露指標でもないため、特殊健康診断で測定する項目ではない。
- ○c. 尿中マンデル酸
シンナーに含まれるスチレンやエチルベンゼンは、体内で酸化されてマンデル酸(スチレンではフェニルグリオキシル酸も)となり尿中に排泄される。尿中マンデル酸はこれらの溶剤の生物学的モニタリング指標であり、本例では半袖・軍手での作業による経皮吸収の結果、高値になったと考えられる。
- ×d. 血中コチニン
コチニンはニコチンの主要な代謝物で、半減期がニコチンより長いため、喫煙や受動喫煙の指標として用いられる。本例は喫煙者なので測れば高値と予想されるが、職業性曝露を評価する特殊健康診断の測定項目ではない。
- ○e. 尿中馬尿酸
トルエンは肝臓で安息香酸に酸化され、グリシン抱合を受けて馬尿酸として尿中に排泄される。トルエンはシンナーの代表的な成分であり、尿中馬尿酸はトルエン曝露の生物学的モニタリング指標として有機溶剤健康診断で測定される。本例では経皮吸収によって高値になったと考えられる。なお、馬尿酸は安息香酸を含む食品の摂取でも上昇するため、解釈には注意を要する。
生物学的モニタリングの主な指標
・トルエン:尿中馬尿酸 ・キシレン:尿中メチル馬尿酸 ・スチレン:尿中マンデル酸(およびフェニルグリオキシル酸) ・エチルベンゼン:尿中マンデル酸 ・n-ヘキサン:尿中2,5-ヘキサンジオン ・N,N-ジメチルホルムアミド:尿中N-メチルホルムアミド ・トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、1,1,1-トリクロロエタン:尿中トリクロロ酢酸または総三塩化物 ・鉛:血中鉛、尿中δ-アミノレブリン酸 ・ニコチン(喫煙):コチニン
有機溶剤による健康障害
・中枢神経抑制(頭痛、めまい、酩酊、高濃度では意識障害) ・皮膚・粘膜刺激(皮膚炎、結膜炎) ・肝障害、腎障害 ・n-ヘキサンによる多発ニューロパチー、ベンゼンによる再生不良性貧血・白血病、二硫化炭素による動脈硬化・精神障害、メタノールによる視神経障害など、溶剤に特有の障害もある。
有機溶剤による障害の予防
・作業環境管理:密閉化、局所排気装置、全体換気、作業環境測定 ・作業管理:作業時間の管理、防毒マスク、溶剤が透過しにくい化学防護手袋や長袖の保護衣の着用(経皮吸収の防止) ・健康管理:雇入れ時・配置替え時および6か月以内ごとの有機溶剤健康診断(問診、尿中代謝物、必要に応じて肝機能・貧血検査など) ※スチレンやエチルベンゼンなど一部の溶剤は、発がん性のおそれから現在は特定化学物質障害予防規則の「特別有機溶剤」として規制されている。
生物学的モニタリングの意義
作業環境測定は空気中の濃度しか反映しないが、尿中代謝物は吸入・経皮など全経路からの取り込み量を反映する。本例のように局所排気装置と防毒マスクで吸入曝露が抑えられていても、皮膚からの吸収があれば尿中代謝物は高値となる。代謝物は作業中に増え、作業後に速やかに排泄されるため、採尿は作業終了時(連続作業日の後半)に行う。
POINT
・シンナーの主成分はトルエン、キシレン、スチレン、エチルベンゼンなどの有機溶剤である。 ・トルエン→尿中馬尿酸、キシレン→尿中メチル馬尿酸、スチレン・エチルベンゼン→尿中マンデル酸。 ・鉛→尿中δ-ALA、喫煙→コチニン、飲酒→アセトアルデヒドは有機溶剤の指標ではない。 ・有機溶剤は脂溶性で経皮吸収されるため、半袖・軍手では曝露を防げない。化学防護手袋・長袖の保護衣を用いる。 ・生物学的モニタリングは吸入・経皮を含む全経路の曝露量を反映する。
