「モルヒネで起こらないもの」はどれ?―転移と副作用の二本立てで読むがん疼痛管理
第115回医師国家試験 E問題 第39問
国試問題にチャレンジ
70歳の女性。腰背部痛を主訴に来院した。1年前に右乳癌で乳房切除術を受けたが,その後肝,肺および腰椎に転移が認められていた。薬物による抗癌治療を選択せず,通院せずに自宅での療養を希望した。1か月前から右腰背部に鈍痛を自覚し,1週前から増強するために受診した。疼痛に対しNSAIDの投与が開始されたが,疼痛で眠れないため,本日受診時に硫酸モルヒネの投与が追加された。 今後注意すべき症状に含まれないのはどれか。
- a.黄疸
- b.悪心
- c.下痢
- d.下肢麻痺
- e.呼吸困難
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
がん患者さんに鎮痛薬を開始するときは、「転移巣の進行による症状」と「治療薬の副作用」の両面から今後注意すべき症状を整理します。腰椎転移では脊髄圧迫による下肢麻痺や膀胱直腸障害、肝転移では黄疸、肺転移では呼吸困難に注意し、特に転移性脊髄圧迫はオンコロジック・エマージェンシーとして早期発見が重要です。モルヒネの代表的な副作用は便秘、悪心・嘔吐、眠気であり、腸管運動を抑制するため下痢は起こしません。便秘には耐性がほとんど生じないため開始時から緩下剤などで予防し、悪心は初期に制吐薬で対応します。こうした二つの軸で症状を予測する考え方は、在宅緩和ケアで患者さんや家族に適切な説明を行ううえでも欠かせません。
解答・解説
正解はcです
所見の整理
・70歳女性。1年前に右乳癌で乳房切除術を受け、その後に肝・肺・腰椎への遠隔転移が判明している(Stage IVに相当する転移・再発乳癌)。 ・本人は薬物療法(化学療法・内分泌療法など)を選ばず、在宅療養を希望しており、治療の目標は症状の緩和と生活の質(QOL)の維持である。 ・1か月前から右腰背部の鈍痛、1週前から増強。腰椎転移による骨転移痛が最も考えられる。 ・NSAID(非ステロイド性抗炎症薬)で除痛が不十分で眠れないため、硫酸モルヒネ(オピオイド)が追加された。
考え方
「今後注意すべき症状」を考えるときは、次の2つの観点から整理するとよい。 1. 病変の進行によって起こりうる症状:転移部位ごとに予想される合併症を挙げる。腰椎転移→脊髄・馬尾の圧迫による下肢麻痺や膀胱直腸障害、肝転移→黄疸や肝不全、肺転移→呼吸困難や胸水貯留。 2. 開始した薬剤の副作用:モルヒネの代表的な副作用は便秘・悪心嘔吐・眠気であり、ほかに口渇、せん妄、呼吸抑制などがある。NSAIDでは消化管障害、腎障害などに注意する。 この2つの観点のどちらにも当てはまらないのが下痢である。モルヒネは腸管運動を抑えるため便秘を起こすのであって、下痢は通常起こさない。また脊髄圧迫による膀胱直腸障害でも、便秘や便失禁は生じるが下痢にはならない。
選択肢考察
- ×a. 黄疸
注意すべき症状に含まれる。本例には肝転移がある。転移巣が増大して肝実質が広く置き換わると肝不全による肝細胞性黄疸をきたしうる。また肝門部の転移巣や肝門部リンパ節転移が胆管を圧迫すると、閉塞性黄疸を生じる。黄疸が出現した場合、閉塞性であれば胆道ドレナージで症状緩和が期待できることもあるため、早期に気づくことが重要である。さらに肝機能が低下するとモルヒネを含む肝代謝薬剤の作用が遷延しやすくなる点にも注意する。
- ×b. 悪心
注意すべき症状に含まれる。悪心・嘔吐はモルヒネ導入初期や増量時に多くみられる代表的な副作用である。延髄の化学受容器引き金帯(CTZ)のドパミンD2受容体の刺激、前庭器の感受性亢進、胃内容排出の遅延などが機序とされる。多くは1〜2週程度で耐性が生じて軽快するため、開始時には制吐薬(ドパミン受容体拮抗薬など)を準備・予防投与しておくことが多い。
- ○c. 下痢
注意すべき症状に含まれない(正解)。モルヒネは腸管のμオピオイド受容体を介して蠕動運動と腸液分泌を抑制するため、生じるのは便秘である。便秘には耐性がほとんど生じず、投与中は継続して起こるため、開始時から緩下剤や末梢性μオピオイド受容体拮抗薬(ナルデメジン)を併用する。また腰椎転移による脊髄・馬尾の圧迫で膀胱直腸障害が起これば、便秘や便失禁を生じるが下痢にはならない。肝・肺転移の進行でも下痢は典型的な症状ではない。なお実際の臨床では、緩下剤の過量や高度の便秘に伴う溢流性の水様便がみられることはあるが、本設問で想定される病態や薬剤の直接の影響として注意すべき症状には当たらない。
- ×d. 下肢麻痺
注意すべき症状に含まれる。腰椎転移が増大したり病的骨折を起こしたりすると、脊柱管内の脊髄円錐や馬尾が圧迫され(転移性脊髄圧迫)、下肢の筋力低下・しびれ、膀胱直腸障害が出現しうる。転移性脊髄圧迫はがん診療における緊急症(オンコロジック・エマージェンシー)であり、麻痺が完成する前に発見して副腎皮質ステロイド投与、放射線治療、手術などを検討しなければ、歩行機能の回復が難しくなる。痛みの増強に加えて下肢の脱力やしびれ、排尿障害が出現していないかを継続的に確認する必要がある。
- ×e. 呼吸困難
注意すべき症状に含まれる。肺転移の増大、がん性リンパ管症、がん性胸膜炎による胸水貯留などにより呼吸困難が出現しうる。また貧血や全身状態の悪化、不安などの心理的要因も呼吸困難感を強める。なおモルヒネの副作用である呼吸抑制は、呼吸回数の減少として現れ、患者が息苦しさを訴えることは通常少ない。むしろモルヒネはがん患者の呼吸困難感を和らげる目的で用いられることもある。モルヒネの呼吸抑制は眠気の増強が先行することが多く、疼痛がある状態で適切に用量調整していれば臨床的に問題となることはまれであるが、腎機能低下時や急な増量時には注意する。
モルヒネ(オピオイド)の主な副作用
・便秘:最も頻度が高い。耐性がほぼ生じないため、投与期間中は予防的な対策を続ける。 ・悪心・嘔吐:導入初期・増量時に多く、1〜2週で耐性が生じることが多い。 ・眠気:導入初期・増量時に多い。数日で軽減することが多いが、持続・増強する場合は過量を疑う。 ・その他:口渇、せん妄、排尿障害(尿閉)、かゆみ、ミオクローヌス、呼吸抑制。 ・モルヒネの活性代謝物(モルヒネ-6-グルクロニドなど)は腎排泄であるため、腎機能低下時には蓄積して副作用が出やすい。
がん疼痛の薬物療法
WHOのがん疼痛治療では、非オピオイド鎮痛薬(NSAID、アセトアミノフェン)で効果不十分なら、オピオイドを追加し、痛みの強さに応じて用量を調整する。非オピオイド鎮痛薬は併用を続けることが多い。痛みに対しては定時投与を基本とし、突出痛にはレスキュー薬(速放性製剤)を用いる。骨転移痛には放射線治療や骨修飾薬(ビスホスホネート製剤、デノスマブ)も有効である。
乳癌の主な転移部位と予想される症状
・骨(脊椎・骨盤・肋骨など):疼痛、病的骨折、高カルシウム血症、脊髄圧迫による麻痺・膀胱直腸障害。 ・肝:肝腫大、黄疸、腹水、肝不全。 ・肺・胸膜:咳嗽、呼吸困難、胸水。 ・脳:頭痛、嘔吐、麻痺、けいれん。
NSAIDの主な副作用
消化性潰瘍などの消化管障害、腎機能障害、アスピリン喘息(NSAIDs過敏喘息)、血小板機能抑制による出血傾向など。
POINT
・オピオイドの3大副作用は便秘、悪心・嘔吐、眠気である。下痢は起こさない。 ・便秘は耐性ができにくいため、オピオイド開始時から緩下剤などで予防する。 ・オピオイドによる呼吸抑制は呼吸回数の減少として現れ、通常は呼吸困難を訴えない(モルヒネは呼吸困難の緩和にも用いられる)。 ・がん患者で注意すべき症状は「転移巣の進行による症状」と「治療薬の副作用」の両面から考える。 ・脊椎転移では脊髄圧迫による下肢麻痺・膀胱直腸障害に注意する(オンコロジック・エマージェンシー)。
