肺尖の影とまぶたの下垂―Pancoast腫瘍が奪う「交感神経の3徴」
第113回医師国家試験 D問題 第15問
国試問題にチャレンジ
右肺尖に発生した肺癌の患者に,右側のみ眼瞼下垂を認める。 他にみられる可能性の高い徴候はどれか。2つ選べ。
- a.嗄声
- b.右縮瞳
- c.顔面浮腫
- d.右眼球突出
- e.右半顔発汗低下
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
肺尖部の肺癌が胸壁へ浸潤すると、近くを上行する頸部交感神経が障害され、患側に眼瞼下垂(Müller筋麻痺による軽度のもの)、縮瞳、顔面の発汗低下からなるHorner症候群が生じます。瞼裂が狭くなるため眼球は陥凹して見えますが、眼球突出は起こりません。腕神経叢下部(C8・T1)障害による肩〜上肢尺側の痛みや手内筋萎縮が加わったものがPancoast症候群です。一方、嗄声は主に左反回神経麻痺、顔面浮腫は上大静脈症候群によるもので、肺癌の別の局所進展症状として区別します。肺癌の症状を「どの構造が障害されたか」という解剖から整理しておくと、神経所見から腫瘍の進展範囲を推定する臨床力につながります。
解答・解説
正解はb, eです
問題の整理
右の肺尖部(肺の最上端)に肺癌があり、同じ右側だけに眼瞼下垂(まぶたが下がる)が出現している。肺尖部の腫瘍と同側の眼瞼下垂の組み合わせから、まず考えるべきは頸部交感神経の障害によるHorner(ホルネル)症候群である。
なぜ肺尖部の癌で交感神経が障害されるのか
瞳孔散大筋・上瞼板筋(Müller筋)・顔面の汗腺を支配する交感神経は、視床下部から脳幹・頸髄を下行し、第8頸髄〜第2胸髄レベル(毛様体脊髄中枢)で節前ニューロンに中継される。節前線維は第1胸神経根付近から胸腔の最上部、すなわち肺尖のすぐ近くを通って交感神経幹を上行し、星状神経節(下頸神経節と第1胸神経節が癒合したもの)を経て上頸神経節に至る。そこから節後線維が内頸動脈・外頸動脈に沿って眼や顔面に分布する。肺尖部の腫瘍が胸壁や椎体周囲へ浸潤すると、この経路(特に星状神経節付近)が巻き込まれ、患側のHorner症候群が起こる。
Pancoast症候群
肺尖部に発生し胸壁上部へ浸潤する肺癌(Pancoast腫瘍、上肺溝腫瘍 superior sulcus tumor)では、①腕神経叢下部(C8・T1)の障害による肩〜上肢尺側の痛み・しびれ、手の小筋の萎縮、②交感神経障害によるHorner症候群、が出現する。これをPancoast症候群とよぶ。典型的には肩や肩甲部の痛みが先行し、腕の尺側へ放散する痛み、手内筋萎縮、そしてHorner症候群が加わっていく。
設問への考え方
本例の眼瞼下垂はHorner症候群の一徴候と考えられるので、同じ機序で同側に生じる他の徴候(縮瞳、顔面の発汗低下)を選べばよい。肺癌が起こしうる他の局所症状(反回神経麻痺による嗄声、上大静脈症候群による顔面浮腫)は障害部位・機序が異なり、本例の所見から「可能性が高い」とはいえない。また、交感神経障害で眼球突出が起こることはない。
選択肢考察
- ×a. 嗄声
嗄声(声がかすれること)は、声帯を動かす反回神経の麻痺で生じる。肺癌で問題となるのは主に左反回神経で、これは大動脈弓の下をくぐって上行するため、大動脈弓周囲・大動脈肺動脈窓(A-P window)のリンパ節転移や縦隔浸潤で障害されやすい。右反回神経は右鎖骨下動脈で反転するため走行が短く高位にあり、肺尖部の腫瘍が大きく進展すれば障害されることもありうるが頻度は低い。本例の眼瞼下垂は交感神経障害によるものであり、嗄声は障害部位が異なるため「可能性の高い徴候」とはいえない。
- ○b. 右縮瞳
瞳孔を広げる瞳孔散大筋は交感神経支配である。右肺尖部の腫瘍で右の頸部交感神経(星状神経節付近)が障害されると、散大筋が働かず副交感神経支配の瞳孔括約筋が優位となるため、右側の瞳孔が小さくなる(縮瞳)。眼瞼下垂と並ぶHorner症候群の主要徴候であり、患側(右)に生じる。左右差は暗所で散瞳が遅れることにより目立ちやすい。
- ×c. 顔面浮腫
顔面浮腫は上大静脈症候群でみられる。肺癌(特に右上葉の中枢型や小細胞癌)や縦隔腫瘍、縦隔リンパ節転移が上大静脈を圧排・浸潤して閉塞させると、頭頸部・上肢からの静脈還流が障害され、顔面・頸部・上肢の浮腫、頸静脈怒張、前胸部の静脈怒張(側副血行路)などが出現する。静脈還流障害という機序であり、交感神経障害による眼瞼下垂とは関係がないため、本例で可能性が高いとはいえない。
- ×d. 右眼球突出
Horner症候群では眼球突出は起こらない。むしろ、上眼瞼の下垂と下眼瞼のわずかな挙上(下瞼板筋も交感神経支配)により瞼裂が狭くなるため、眼球が奥に引っ込んだように見える(見かけ上の眼球陥凹)。実際に眼球が後退しているわけではない。眼球突出は甲状腺眼症(Basedow病など)や眼窩内腫瘍、海綿静脈洞の病変などで生じるもので、本例とは無関係である。
- ○e. 右半顔発汗低下
顔面の汗腺は交感神経支配であり、頸部交感神経が障害されると患側(右)の顔面の発汗が低下・消失する(無汗症)。Horner症候群の徴候の一つである。障害部位が星状神経節付近〜上頸神経節より近位(中枢側)にあると顔面の広い範囲で発汗低下が目立つ。なお、顔面の汗腺への線維は主に外頸動脈に沿って分布するため、内頸動脈周囲より遠位の節後線維の障害(内頸動脈解離など)では発汗障害が目立たないことがあり、障害部位推定の手がかりになる。
Horner症候群の徴候
・眼瞼下垂(軽度):上瞼板筋(Müller筋)の麻痺による。動眼神経麻痺による高度の眼瞼下垂とは異なり、軽度にとどまる。 ・縮瞳:瞳孔散大筋の麻痺による。対光反射は保たれる。 ・顔面の発汗低下(無汗症) ・見かけ上の眼球陥凹:瞼裂の狭小化による。 ・その他:患側顔面の皮膚血管拡張による紅潮・温感、先天性(乳幼児期発症)の場合は虹彩異色(患側の虹彩の色が薄い)がみられることがある。
交感神経経路と主な障害原因
・第1ニューロン(中枢性:視床下部→脳幹→頸胸髄):Wallenberg症候群(延髄外側症候群)、脊髄空洞症、脊髄損傷など ・第2ニューロン(節前:胸髄→肺尖・頸部→上頸神経節):Pancoast腫瘍、頸部手術・外傷、頸部リンパ節腫大、甲状腺腫瘍、神経芽腫(小児)など ・第3ニューロン(節後:上頸神経節→内頸動脈周囲→眼):内頸動脈解離、海綿静脈洞病変、群発頭痛など
肺癌の局所進展による症状の整理
・肺尖部胸壁浸潤(Pancoast腫瘍):肩〜上肢尺側の痛み、手内筋萎縮(腕神経叢下部C8・T1障害)、Horner症候群(交感神経障害) ・反回神経浸潤(主に左):嗄声、誤嚥 ・横隔神経浸潤:横隔膜挙上(片側の横隔神経麻痺) ・上大静脈浸潤・圧排:上大静脈症候群(顔面・上肢浮腫、頸静脈怒張、胸壁静脈怒張) ・胸膜浸潤:胸水、胸痛
Pancoast腫瘍の病理・治療
組織型は非小細胞肺癌(扁平上皮癌、腺癌など)が多い。胸部単純X線写真では肺尖部の淡い陰影や胸膜肥厚様に見えて見逃されやすく、肩関節周囲炎や頸椎症として扱われていることもある。切除可能例では術前の化学放射線療法に続く外科的切除が標準的な治療である。
POINT
・肺尖部の肺癌が胸壁へ浸潤すると、腕神経叢下部障害(肩〜上肢尺側の痛み、手内筋萎縮)と患側のHorner症候群をきたす(Pancoast症候群)。 ・Horner症候群=患側の眼瞼下垂(軽度)・縮瞳・顔面発汗低下(+見かけ上の眼球陥凹)。眼球突出は起こらない。 ・嗄声(反回神経麻痺、主に左)、顔面浮腫(上大静脈症候群)は肺癌の別の局所進展症状であり、機序を区別して覚える。
