見えれば動ける、支えれば歩ける―視床出血後の「現実的なゴール」の決め方
第112回医師国家試験 C問題 第34問
国試問題にチャレンジ
62歳の男性。左視床出血で入院中である。6週間前に右上下肢の脱力感のために来院し,左視床出血と診断され入院した。入院後の経過は良好で,退院に向けたリハビリテーションを行っている。意識は清明。身長172cm,体重71kg。血圧118/78mmHg。呼吸数16/分。SpO2 97%(room air)。徒手筋力テストで右上肢筋力は4,右下肢筋力は腸腰筋4,大腿四頭筋4,前脛骨筋2。右半身の表在感覚は脱失し,位置覚は重度低下している。食事は左手を使って自立しており,立ち上がりもベッド柵を使用して可能である。患者は事務職への早期復職を希望しているが,通勤には電車の利用が必要である。 退院に向けたリハビリテーションの目標として適切なのはどれか。
- a.キーボードを見ずに右手でパソコン入力を行う。
- b.閉眼したまま右下肢で片足立ちを保持する。
- c.長下肢装具を用いた移乗動作を行う。
- d.介助を受けてズボンの上げ下ろしを行う。
- e.短下肢装具とT字杖とを用いて歩行する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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医学生
ドクター
医学生
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ドクター
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ドクターまとめ
視床出血では反対側の表在感覚・深部感覚が強く障害されやすく、手足の位置や動きを視覚で補うことがリハビリの基本となります。そのため、ブラインドタッチや閉眼での片足立ちのように視覚の代償を封じる課題は、目標として適切ではありません。前脛骨筋の筋力低下による下垂足には短下肢装具、大腿四頭筋の筋力低下による膝折れには長下肢装具を用い、片麻痺患者の杖は健側の手に持ちます。膝の支持性が保たれた本症例では、短下肢装具とT字杖による歩行が屋外での実用歩行と電車通勤、ひいては復職につながる現実的な目標です。残存機能の評価と本人の生活上の希望を結びつけて目標を立てる考え方は、あらゆる疾患のリハビリテーションに通じる基本です。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・62歳男性、左視床出血の発症から6週間が経過し、全身状態は安定している(意識清明、バイタルサイン正常)。脳卒中後の機能回復は発症後数か月で大部分が進むが、この時点で残っている障害の多くは退院後も残ると見込んで目標を立てる必要がある。 ・運動麻痺(右片麻痺):徒手筋力テスト(MMT:manual muscle testing、0〜5の6段階で評価)で右上肢4、腸腰筋(股関節屈曲)4、大腿四頭筋(膝関節伸展)4と比較的保たれている。一方で前脛骨筋(足関節背屈)は2で、重力を除けば動かせるが重力に抗しては持ち上げられない。歩行時には足先が下がる下垂足(尖足)となり、つま先が床にひっかかる。 ・感覚障害:右半身の表在感覚は脱失し、位置覚(関節がどの位置にあるかを感じる深部感覚)も重度に低下している。視床は全身からの感覚情報を大脳皮質へ中継する部位であり、視床出血では反対側の重度の感覚障害が目立つのが特徴である。深部感覚が障害されると、目で確認しなければ手足の位置や動きがわからず、運動のコントロールが難しくなる(感覚性運動失調)。 ・健側(左)の機能は良好で、左手で食事が自立し、ベッド柵を使って立ち上がれる。 ・本人の希望は事務職への早期復職であり、そのためには電車通勤が可能になる屋外での実用歩行が必要である。
設問の考え方
リハビリテーションの目標は、①残存機能で現実的に達成可能であること、②本人の生活・社会参加の希望(ここでは電車通勤と事務職復帰)に直結すること、の両方を満たすべきである。 本症例の歩行上の主な問題は、前脛骨筋の高度な筋力低下による下垂足と、深部感覚障害によるバランスの不安定さである。膝や股関節を支える筋力は残っているため、足関節を補助する装具と杖を組み合わせれば屋外歩行の獲得が十分見込める。逆に、視覚による代償を封じる課題や、すでに可能な動作に過剰な補助を加える目標、自立が求められる動作を介助前提にする目標は適切ではない。
選択肢考察
- ×a. キーボードを見ずに右手でパソコン入力を行う。
右上肢の筋力はMMT 4と保たれているが、右半身の表在感覚は脱失し位置覚も重度に低下している。このような患者では指がどのキーに触れているかを感覚で知ることができないため、視覚で確認しながら動かすことが代償手段となる。キーボードを見ずに入力する(ブラインドタッチ)ことは視覚による代償を奪う課題であり、現実的な目標ではない。また事務作業は健側の左手主体や、画面・手元を見ながらの入力でも十分行える。
- ×b. 閉眼したまま右下肢で片足立ちを保持する。
閉眼での片足立ちは、視覚に頼らず深部感覚と前庭感覚だけでバランスをとる課題である(Romberg試験の考え方と同じ)。位置覚が重度に低下した右下肢でこれを行うことは極めて困難で、転倒の危険も大きい。さらに、日常生活や通勤でこの能力が必要になる場面はほとんどなく、退院に向けた目標として意義に乏しい。
- ×c. 長下肢装具を用いた移乗動作を行う。
長下肢装具(KAFO:knee-ankle-foot orthosis)は大腿から足部までを覆い、膝関節と足関節を固定・支持する装具である。主に大腿四頭筋の筋力低下などで膝折れが起こる重度の麻痺に用いられ、脳卒中では発症早期の立位・歩行訓練に使われることが多い。本症例は大腿四頭筋がMMT 4で膝の支持性は保たれており、長下肢装具の適応はない。また立ち上がりはすでに可能で、移乗は健側の左下肢を軸にして行えるため、わざわざ着脱の手間がかかる長下肢装具を用いる必要はない。復職を目指す患者の目標としては水準が低すぎる。
- ×d. 介助を受けてズボンの上げ下ろしを行う。
ズボンの上げ下ろしはトイレ動作の一部であり、職場で一人で過ごすためには自立が必須である。本症例は健側の左上肢が使え、右上肢の筋力も保たれ、立ち上がりも可能であることから、自立を目指せる段階にある。介助を前提とした目標は本人の能力より低く、早期復職という希望にも合わない。
- ○e. 短下肢装具とT字杖とを用いて歩行する。
短下肢装具(AFO:ankle-foot orthosis)は下腿から足部を覆い、足関節を背屈位に保持する装具である。前脛骨筋MMT 2による下垂足を補正し、遊脚期のつま先のひっかかりを防ぐとともに、立脚期の足関節を安定させて膝の支持性も高める。股関節・膝関節の筋力(MMT 4)は保たれているため、短下肢装具で足関節を補えば下肢全体で体重を支えられる。さらにT字杖を健側の左手で用いることで支持基底面が広がり、深部感覚障害によるバランスの不安定さを補える。これらにより屋外での実用歩行の獲得が期待でき、電車通勤による復職という本人の希望に直結する、現実的かつ適切な目標である。
視床出血の特徴
高血圧性脳出血の部位としては被殻出血に次いで多い。視床は感覚の中継核であるため、反対側半身の表在感覚・深部感覚の障害が目立つ。内側を走る内包後脚に血腫や浮腫が及ぶと反対側の片麻痺も生じる。後遺症として、障害側の激しい痛み(視床痛、中枢性脳卒中後疼痛)が出現することがある。眼症状としては、両眼が下方内側をにらむ(鼻先を見つめるような)共同偏視が知られる。
徒手筋力テスト(MMT)
5:強い抵抗に抗して全可動域を動かせる(正常) 4:ある程度の抵抗に抗して全可動域を動かせる 3:重力に抗して全可動域を動かせるが、抵抗には抗せない 2:重力を除けば全可動域を動かせる 1:筋収縮はあるが関節は動かない 0:筋収縮もない
下肢装具の使い分け
・短下肢装具(AFO):足関節の背屈筋力低下(下垂足・尖足)に対して用いる。膝の支持性が保たれている片麻痺患者の歩行で最もよく使われる。 ・長下肢装具(KAFO):膝関節の支持性が不十分(大腿四頭筋の筋力低下、膝折れ)な場合に用いる。重度片麻痺の早期リハビリテーションで立位・歩行訓練に使用し、回復に応じて短下肢装具へ移行することが多い。 ・股関節まで支持が必要な場合は骨盤帯付き長下肢装具を用いる。
杖の使い方
片麻痺患者では杖を健側の手に持つ。杖歩行の基本は「杖 → 患側下肢 → 健側下肢」の順の三動作歩行で、慣れると杖と患側を同時に出す二動作歩行に移行する。
リハビリテーションの目標設定
目標は、障害の程度と残存機能から到達可能な水準を見積もり、本人の生活や職業上の希望を踏まえて設定する。感覚障害がある場合は、視覚などほかの感覚で補う(代償する)方法を身につけることが重要である。
POINT
・視床出血では反対側の重度の感覚障害(表在覚・深部覚)が特徴的で、視覚による代償が必要となる。閉眼課題やブラインドタッチのような視覚を使わない課題は目標として不適切である。 ・前脛骨筋の筋力低下(下垂足)には短下肢装具、膝折れ(大腿四頭筋の筋力低下)には長下肢装具を用いる。 ・片麻痺患者の杖は健側の手で持つ。 ・リハビリテーションの目標は、残存機能から現実的に達成可能で、かつ本人の希望(復職・通勤など)に直結するものを設定する。
