痛まない、でも引き込まれる―皮膚のえくぼが告げる乳癌の浸潤
第105回医師国家試験 H問題 第10問
国試問題にチャレンジ
乳癌に最も特異的な乳房の症候はどれか。
- a.乳房の圧痛
- b.月経前硬結
- c.乳汁様乳頭分泌
- d.乳房の皮膚のひきつれ
- e.乳房の大きさの左右差
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
乳房の痛み・圧痛や月経前硬結は月経周期に連動する生理的変化や乳腺症で多く見られ、乳癌の腫瘤はむしろ無痛性であることが多いため、これらの特異性は低い所見です。乳汁様の乳頭分泌は高プロラクチン血症などでも生じ、乳癌で注意すべき一側・単一乳管からの血性分泌も乳管内乳頭腫など良性疾患で多く見られます。一方、乳癌が皮下脂肪やCooper靱帯へ浸潤すると靱帯が短縮して皮膚が引き込まれ、えくぼ症状(dimpling sign)が生じます。これは浸潤しない良性腫瘍では通常見られないため、乳癌に特異性の高い症候です。乳頭陥凹や橙皮状皮膚など「浸潤の結果として現れる所見」を意識して視診・触診を行うことが、乳癌の早期発見につながります。
解答・解説
正解はdです
乳房の症状や所見には、正常な女性でもホルモンの周期的変動によって現れるものと、癌の存在を強く示すものとがある。本問では「乳癌に最も特異的」、すなわち良性疾患や生理的変化ではほとんど見られず、乳癌であれば比較的よく見られる所見を選ぶ。 考え方の軸は次の2点である。 1)月経周期に連動して変化する症状(痛み・張り・しこり感)は、エストロゲンやプロゲステロンに対する乳腺の反応であり、正常あるいは乳腺症(乳腺の良性の増殖・変化)でよく見られる。したがって特異性は低い。 2)乳癌は周囲の組織へ浸み込むように広がる(浸潤する)ことが特徴であり、浸潤によって周囲の構造を引っ張ったり固めたりした結果として現れる所見が、癌に特異的な所見となる。 乳腺と皮膚の間には、乳腺を皮膚につなぎとめるCooper靱帯(乳房提靱帯)という線維性の束がある。癌が皮下脂肪やCooper靱帯へ浸潤すると、線維化による収縮で靱帯が短縮し、その付着部の皮膚が内側へ引き込まれる。これが皮膚のひきつれ(えくぼ症状、dimpling sign)であり、良性腫瘍では通常起こらない。よって乳房の皮膚のひきつれが正解である。
選択肢考察
- ×a. 乳房の圧痛
乳房の痛みや圧痛は、月経前の生理的な乳房の張りや乳腺症で多く見られる症状である。乳癌のしこりは、痛みを伴わない(無痛性の)ことが多いのが特徴であり、圧痛は乳癌を示す所見とはいえない。例外として、乳房全体の発赤・腫脹・熱感を示す炎症性乳癌では痛みを伴うことがあるが、一般的な乳癌の症候としての特異性は低い。
- ×b. 月経前硬結
月経前にはエストロゲン・プロゲステロンの作用で乳腺組織がむくみ、乳房が張って硬くしこったように触れることがある。これは健常な女性にも見られる生理的変化であり、乳腺症でより目立つ。月経が終わると軽快するなど、月経周期に連動して変化する点が癌との違いである。乳癌の腫瘤は月経周期と関係なく存在し、次第に増大する。
- ×c. 乳汁様乳頭分泌
薄い白色の乳汁様の分泌は、妊娠・授乳期以外でも年齢を問わず見られることがあり、高プロラクチン血症(下垂体腺腫、抗精神病薬などの薬剤性)などでも生じる。乳癌で問題となるのは、主に一側の単一の乳管から出る血性分泌であり、乳管内の腫瘍(乳管内乳頭腫や乳癌)を疑う契機となる。ただし血性分泌も乳管内乳頭腫など良性疾患で多く見られるため、乳癌に特異的とはいえない。乳汁様分泌であればなおさら乳癌の特異性は低い。
- ○d. 乳房の皮膚のひきつれ
乳癌が皮下脂肪組織やCooper靱帯へ浸潤すると、靱帯が短縮して皮膚を内側へ引き込み、皮膚にくぼみ(えくぼ症状、dimpling sign)が生じる。腫瘤の上の皮膚を軽くつまんだり、両腕を挙げたり腰に手を当てて胸筋を緊張させたりすると、ひきつれがより目立つ。周囲組織への浸潤を反映する所見であり、周囲へ浸潤しない良性腫瘍(線維腺腫など)では通常見られないため、乳癌に特異性の高い症候である。
- ×e. 乳房の大きさの左右差
乳房の大きさには生まれつきの左右差がある人が多く、それだけでは病的意義はない。乳癌が進行して腫瘤が大きくなると大きさや形に左右差が生じうるが、これは進行した状態でみられる変化であり、良性の大きな腫瘍(葉状腫瘍など)でも起こりうるため、乳癌に特異的とはいえない。
乳房の診察の流れ
問診から始め、座位での視診、座位と仰臥位(背臥位)での触診、さらに腋窩・鎖骨上窩のリンパ節触診を行う。問診で訴えの多い乳房の痛みや張りは、正常または乳腺症で見られることが多い。
乳癌を疑う主な所見
・視診:皮膚のひきつれ(えくぼ症状)、乳頭の陥凹・偏位(乳管への浸潤による牽引)、皮膚の発赤・浮腫による毛穴の目立つ皮膚(橙皮状皮膚、peau d'orange:皮膚のリンパ管が癌で詰まって起こる)、乳頭・乳輪の湿疹様のびらん(Paget病)、潰瘍形成。 ・触診:硬く、境界が不明瞭で表面が不整、可動性に乏しい無痛性の腫瘤。腫瘤上の皮膚を指で軽くつまむと、良性腫瘍では皮膚に細かいしわが寄るだけだが、癌が皮膚側(乳房提靱帯〈Cooper靱帯〉)へ浸潤していると皮膚が引き込まれてえくぼ症状が誘発されることがあり、浸潤を疑う手がかりになる。 ・乳頭分泌:一側・単一乳管からの血性分泌。 ・リンパ節:腋窩リンパ節の腫大・固着。
良性疾患との対比
・線維腺腫:若年女性に多く、境界明瞭・弾性硬・表面平滑で可動性がよい無痛性の腫瘤。皮膚のひきつれは起こさない。 ・乳腺症:30~40歳代に多く、月経周期に関連した痛み・硬結を示す。境界不明瞭な硬結として触れる。 ・乳管内乳頭腫:血性乳頭分泌の原因として頻度が高い良性腫瘍。
POINT
・乳癌の腫瘤は無痛性・硬・境界不明瞭・可動性不良が典型。 ・Cooper靱帯への浸潤で皮膚が引き込まれる「えくぼ症状(dimpling sign)」は乳癌に特異性の高い所見。 ・圧痛や月経前硬結は月経周期に連動する生理的変化・乳腺症の症状。 ・乳頭分泌で注意すべきは一側・単一乳管からの血性分泌だが、乳管内乳頭腫でも多い。
