上げた手が下りない―幻聴の先に現れた緊張病症候群を見抜く
第105回医師国家試験 A問題 第23問
国試問題にチャレンジ
35歳の男性。反応が鈍く奇妙な姿勢をとることを心配した会社の上司に伴われて来院した。半年前から上司に「誰もいないのに職場の同僚からの悪口が聞こえてくる」と訴えていた。昨日から「会社に殺される」,「考えていることが会社に筒抜けになる」などと独り言をつぶやいていたかと思うと,黙り込んで開眼したまま無反応になったという。診察時に右手を挙上させるとそのままの姿勢をいつまでも保持する。 最も考えられる診断はどれか。
- a.うつ病
- b.適応障害
- c.緊張病症候群
- d.広汎性発達障害
- e.Korsakoff症候群
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
意識は保たれているのに外界に反応しない昏迷、無言症、とらされた姿勢を保ち続けるカタレプシー、奇妙な姿勢の保持などの精神運動性症状が組み合わさった状態像を緊張病症候群(カタトニア)と呼びます。本例では幻聴、被害妄想、考想伝播といった統合失調症を示唆する症状が先行しており、その経過中に緊張病症状が急に前景化したと考えられます。うつ病では気分症状、適応障害では明確なストレス因と非精神病性の症状、自閉スペクトラム症では幼少期からの発達特性、Korsakoff症候群では記銘力障害と作話が中心となる点が鑑別の手がかりです。緊張病は気分障害や脳炎・代謝性疾患などの身体疾患でも起こるため身体的精査が欠かせず、治療はベンゾジアゼピン系薬が第一選択、無効例や重症例では電気けいれん療法が用いられ、抗精神病薬使用時は悪性症候群に注意します。病名だけでなく目の前の状態像を的確に捉える力は、精神科救急で安全な治療につなげるための基本になります。
解答・解説
正解はcです
所見の整理
・35歳男性。半年前から「誰もいないのに同僚の悪口が聞こえる」:対象のない知覚である幻覚、なかでも自分についての悪口が聞こえる幻聴(被害的な内容の幻聴)である。 ・「会社に殺される」:被害妄想。 ・「考えていることが会社に筒抜けになる」:自分の考えが他人に伝わってしまう、知られてしまうと体験する考想伝播(考想察知)で、自我意識の障害(自分と外界の境界があいまいになる体験)の一つである。 ・独り言の後に黙り込み、開眼したまま無反応:意識は保たれているのに言葉も動きもなくなる状態で、昏迷(stupor)と無言症(mutism)にあたる。 ・持ち上げられた右手をそのままの姿勢でいつまでも保つ:カタレプシー(強硬症)である。 ・奇妙な姿勢をとる:姿勢保持(posturing)。
診断へのプロセス
幻聴、被害妄想、考想伝播といった陽性症状が半年前から続いており、背景には統合失調症が強く疑われる。そのうえで昨日から、昏迷・無言・カタレプシー・奇妙な姿勢といった精神運動面の著しい異常が急に前景に出てきた。このように、意識障害によらずに、昏迷・カタレプシー・拒絶症・常同症・反響症状などの精神運動性の症状が組み合わさって出現する状態像を緊張病症候群(カタトニア)という。設問は「最も考えられる診断」を状態像として問うており、選択肢の中で本例の病像を最もよく表すのは緊張病症候群である。
臨床上の注意
緊張病症候群は統合失調症(かつての緊張型)に限らず、うつ病・双極性障害などの気分障害、自閉スペクトラム症、さらに脳炎(抗NMDA受容体脳炎など)、てんかん、代謝性疾患(肝性脳症、高カルシウム血症など)、薬物の影響などの身体的原因でも起こる。したがって実際の診療では、身体疾患の除外(血液検査、頭部画像、脳波など)を並行して行う必要がある。また、摂食・飲水ができなくなるため脱水、低栄養、深部静脈血栓症、誤嚥性肺炎などの身体合併症にも注意する。
選択肢考察
- ×a. うつ病
うつ病は抑うつ気分と興味・喜びの喪失を中核とし、意欲低下、不眠、食欲低下、自責感、希死念慮などを伴う。重症例では思考や行動が極端に抑制されてうつ病性昏迷に至ったり、罪業妄想・貧困妄想・心気妄想といった気分に一致した妄想を伴ったりすることもある。しかし本例は抑うつ気分を示す情報がなく、同僚の悪口の幻聴や考想伝播といった統合失調症に特徴的な症状が先行しているため、うつ病は最も考えられる診断ではない。
- ×b. 適応障害
適応障害は、はっきりしたストレス因(職場の異動、人間関係など)に反応して、通常その出現から3か月以内に抑うつ・不安・行動の問題などが現れ、社会生活に支障をきたすものである。ストレス因がなくなれば比較的速やかに改善する。幻覚・妄想・自我障害や緊張病症状のような精神病症状は適応障害の範囲を超えており、本例には当てはまらない。
- ○c. 緊張病症候群
緊張病症候群(カタトニア)は、昏迷、カタレプシー、蝋屈症(他動的に動かされた姿勢を蝋細工のように保つ)、無言症、拒絶症、姿勢保持、わざとらしさ、常同症、興奮、しかめ面、反響言語、反響動作などの精神運動性症状を特徴とする状態像である。興奮(緊張病性興奮)と昏迷(緊張病性昏迷)が交代して現れることもある。本例では開眼したままの無反応(昏迷)、無言、持ち上げた手をいつまでも保つカタレプシー、奇妙な姿勢がそろっており、幻聴・被害妄想・考想伝播を伴うことから統合失調症を背景とした緊張病症候群と考えられる。
- ×d. 広汎性発達障害
広汎性発達障害は、現在の診断基準では自閉スペクトラム症(ASD)にほぼ相当する概念で、幼少期から社会的コミュニケーション・対人相互関係の障害と、限定された興味や反復的な行動(こだわり)がみられる発達の障害である。35歳まで社会生活を送っていた本例で、半年前から幻聴・妄想が出現し、急に昏迷とカタレプシーをきたした経過は発達障害では説明できない。なお自閉スペクトラム症でも緊張病症状を呈することはあるが、本例の病歴とは合わない。
- ×e. Korsakoff症候群
Korsakoff症候群は、主にアルコール多飲や低栄養によるビタミンB1(チアミン)欠乏で起こる健忘症候群で、記銘力障害(新しいことを覚えられない)、逆向健忘、見当識障害、作話を特徴とする。多くはWernicke脳症(意識障害、眼球運動障害、失調性歩行)に続いて起こる。本例には飲酒歴の情報がなく、記憶障害や作話ではなく幻聴・妄想と緊張病症状が主体であるため該当しない。
緊張病症候群(カタトニア)の主な症状
・昏迷:意識は保たれているのに、外界からの刺激にほとんど反応せず、自発的な言動もない状態。 ・カタレプシー(強硬症):とらされた姿勢を長時間保ち続ける。 ・蝋屈症:他動的に四肢を動かすと、蝋のような軽い抵抗があり、そのままの形で止まる。 ・拒絶症:指示や働きかけに対して抵抗したり、逆のことをしたりする。 ・無言症:言葉をほとんど発しない。 ・常同症:同じ動作・言葉・姿勢を意味なく繰り返す。 ・反響言語・反響動作:相手の言葉や動作をそのまままねる。 ・命令自動:指示されるままに機械的に従う。 ・緊張病性興奮:目的のない激しい興奮。 DSM-5では、これらのうち3つ以上がみられるときに緊張病と判断し、統合失調症、気分障害などの精神疾患に伴うもの、身体疾患によるもの、特定不能のものに分けて扱う。
治療の要点
・ベンゾジアゼピン系薬(ロラゼパムなど)が第一選択で、効果が乏しい場合や重症例では電気けいれん療法(ECT)が有効である。 ・抗精神病薬は背景の統合失調症の治療に必要となるが、緊張病状態では悪性症候群(高熱、筋強剛、意識障害、CK上昇などを呈する重篤な副作用)のリスクがあり、慎重に用いる。 ・発熱や自律神経症状を伴う悪性緊張病は致死的となりうる。
Schneiderの一級症状
統合失調症の診断に重視されてきた症状で、考想化声、対話性幻聴、自分の行為を批評する幻聴、身体への被影響体験、考想吹入・考想奪取・考想伝播などの思考への干渉、作為体験(させられ体験)、妄想知覚が含まれる。本例の「考えが筒抜けになる」体験はこのうち考想伝播にあたる。
統合失調症の病型(従来分類)
妄想型(幻覚・妄想が主体、比較的発症年齢が高い)、破瓜型(解体型。思春期に発症し、感情の平板化・思考の解体が目立つ)、緊張型(20歳前後に急性発症し、緊張病性の興奮・昏迷を示す)などに分けられてきた。DSM-5ではこれらの病型分類は廃止され、緊張病は特定用語として記載される。
POINT
・昏迷+無言+カタレプシー(とらされた姿勢を保ち続ける)+奇妙な姿勢 → 緊張病症候群(カタトニア)。 ・幻聴、被害妄想、考想伝播などが先行していれば、背景に統合失調症を考える。 ・緊張病は統合失調症以外に、気分障害、自閉スペクトラム症、脳炎・代謝性疾患などの身体疾患でも起こるため、身体疾患の除外が必要。 ・治療はベンゾジアゼピン系薬、無効・重症なら電気けいれん療法。抗精神病薬使用時は悪性症候群に注意。
