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腹八分目の元祖はだれ?―『養生訓』と江戸の学者たちを整理する

第102回医師国家試験 C問題 第15問

国試問題にチャレンジ

第102回 C問題 第15問

『養生訓』を著したのは誰か。

  1. a.伊藤仁齋
  2. b.上田秋成
  3. c.貝原益軒
  4. d.杉田玄白
  5. e.本居宣長

対話形式の解説

ドクタードクター
今回は医学史の一般教養の問題だ。選択肢はどれも江戸時代の学者や文人で、医業に関わった人物も混じっている。人物と代表的な著作をセットで結びつけられるかが勝負になる。
医学生医学生
『養生訓』は健康法の本ですよね。医者が書いたものだと思って、つい杉田玄白を選びそうになりました。
ドクタードクター
そこが典型的な落とし穴だね。杉田玄白は小浜藩の藩医で蘭方医。前野良沢らとオランダ語の解剖書、いわゆる『ターヘル・アナトミア』を翻訳して、1774年に『解体新書』として刊行した人物だ。晩年には蘭学草創期の苦労を振り返った『蘭学事始』も書いている。
医学生医学生
医学概論の講義で『解体新書』は必ず出てきました。じゃあ『養生訓』は誰なんでしょう。
ドクタードクター
正解は貝原益軒。筑前の福岡藩に仕えた儒学者で、本草学者でもある。最晩年の1713年、80歳代で『養生訓』を著した。自分自身の長寿の経験と、儒学や中国医学の知識をもとに、日常生活の心得を一般の人にもわかる平易な文章で説いたんだ。
医学生医学生
本草学というと、薬になる動植物や鉱物を研究する学問ですよね。薬理学の講義の最初に、生薬の歴史として出てきた気がします。
ドクタードクター
よく覚えているね。益軒は日本の動植物・鉱物を体系的にまとめた『大和本草』も書いている。だから健康や薬についての知識が深かったわけだ。では『養生訓』の中身を少し見てみよう。養生の基本は、飲食や色欲、睡眠などの内なる欲を慎むことと、風・寒・暑・湿といった外からの害を防ぐこと、とした。
医学生医学生
「腹八分目」もこの本が出どころだと聞いたことがあります。
ドクタードクター
そう、おいしいものを前にしても八、九分でやめるべきだと説いている。ほかにも、体を適度に動かして気血の巡りをよくすること、心を平静に保つこと、医師の選び方や薬に頼りすぎない姿勢まで書かれているんだ。
医学生医学生
なんだか公衆衛生の講義で習った生活習慣病の予防そのものですね。
ドクタードクター
まさに予防医学の先駆けといえる内容だ。では残りの選択肢も確認しよう。伊藤仁斎は知っているかな。
医学生医学生
名前は日本史で聞いたことがあります。儒学者でしたっけ。
ドクタードクター
そう、江戸前期の儒学者だ。朱子学の解釈を批判して、『論語』『孟子』の原典に立ち返る古義学を唱え、京都の古義堂で門人を育てた。代表作は『論語古義』や『童子問』で、同じ儒学者でも益軒とは別人だね。
医学生医学生
上田秋成は『雨月物語』の作者ですよね。国語の授業で読みました。
ドクタードクター
その通り。怪異小説集の『雨月物語』や晩年の『春雨物語』で知られる読本作者で、国学者でもある。実は大坂で医業を営んだ時期もあるんだ。本居宣長も伊勢の松坂で小児科中心の町医者をしながら国学を研究し、約35年かけて『古事記伝』を完成させた。
医学生医学生
医者をしながら文学や国学をやっていた人が意外に多いんですね。「医者だから『養生訓』の著者」と短絡しないよう、人物と著作で覚えないといけませんね。
ドクタードクター
いいまとめだ。最後に江戸の医学史をもう少し広げておこう。山脇東洋は1754年に官許を得て日本初の人体解剖を行い『蔵志』を著した。華岡青洲は通仙散を用いた全身麻酔下で乳癌手術を行い、緒方洪庵は大坂に適塾を開いて種痘の普及に尽くした。人物と業績を年代順に並べておくと、まとめて覚えやすいよ。

まとめ

『養生訓』は、福岡藩の儒学者・本草学者である貝原益軒が最晩年の1713年に著した健康法の書で、内なる欲を慎み外からの害を防ぐこと、腹八分目、適度な運動や心の平静などを平易に説いています。生活習慣を整えて病気を未然に防ぐという考え方は、現代の予防医学や生活習慣病対策に通じます。紛らわしい選択肢は著作で区別でき、杉田玄白は『解体新書』『蘭学事始』、伊藤仁斎は『論語古義』『童子問』、上田秋成は『雨月物語』、本居宣長は『古事記伝』が代表作です。秋成や宣長のように医業に携わった文人もいるため、職業ではなく人物と著作を正確に対応させることが大切です。山脇東洋、華岡青洲、緒方洪庵らとあわせて江戸の医学史を整理しておくと、医学の歩みを立体的に理解できます。

解答・解説

正解はcです

日本の医学史・健康思想に関する一般教養の問題である。 『養生訓』は、江戸時代前期から中期の儒学者・本草学者である貝原益軒が、最晩年の正徳3年(1713年)、80歳代で著した健康法の書である。自らの長寿の経験と中国医学・儒学の知識をもとに、心身を健やかに保って天寿を全うするための日常生活の心得を、一般の人にもわかる平易な文章で説いた。 選択肢はいずれも江戸時代の学者・文人であり、医業に携わった人物も含まれるため、人物名と代表的な著作を対応させて覚えておくことが正解への近道となる。

選択肢考察

  1. ×a.  伊藤仁齋

    伊藤仁斎(1627~1705年)は江戸時代前期の儒学者・思想家である。朱子学の解釈を批判し、『論語』『孟子』の原典に直接立ち返って孔子・孟子の本来の意味を読み取ろうとする古義学を唱え、京都の私塾古義堂で多くの門人を育てた。代表的な著作は『論語古義』『孟子古義』『語孟字義』『童子問』であり、『養生訓』の著者ではない。

  2. ×b.  上田秋成

    上田秋成(1734~1809年)は江戸時代中期から後期の読本作者・国学者である。大坂で医業を営んだ時期もある。怪異小説集『雨月物語』や、晩年の『春雨物語』で知られ、『養生訓』の著者ではない。

  3. ○c.  貝原益軒

    貝原益軒(1630~1714年)は筑前国福岡藩に仕えた儒学者・本草学者である。晩年の1713年に『養生訓』を著し、飲食・睡眠・色欲などの欲望を慎み、心を穏やかに保つこと(内なる欲を抑えること)と、風・寒・暑・湿といった外からの害を防ぐことを養生の基本として説いた。ほかに日本の動植物・鉱物を体系的に記した本草書『大和本草』、子どもの教育論『和俗童子訓』などの著作がある。女子の心得を説いた『女大学』もその名で広まったが、これは『和俗童子訓』の一部をもとに後世に編まれたものとする見方が有力である。

  4. ×d.  杉田玄白

    杉田玄白(1733~1817年)は小浜藩の藩医で、蘭方医である。前野良沢らとともにオランダ語の解剖書(いわゆる『ターヘル・アナトミア』)を翻訳し、1774年に『解体新書』として刊行した。晩年には蘭学草創期の苦心を回想した『蘭学事始』を著した。医学史上きわめて重要な人物だが、『養生訓』の著者ではない。

  5. ×e.  本居宣長

    本居宣長(1730~1801年)は江戸時代中期の国学者で、伊勢国松坂で町医者(小児科を中心とする)として生計を立てながら国学の研究を続けた。約35年をかけて『古事記』の注釈書『古事記伝』を完成させたほか、随筆『玉勝間』、「もののあはれ」論を説いた『源氏物語玉の小櫛』などがある。『養生訓』の著者ではない。

『養生訓』の概要

全8巻からなり、総論、飲食、飲酒・喫煙、慎色欲、五官、二便、洗浴、病を慎む、択医(医師の選び方)、用薬、養老、育幼、鍼、灸などの項目について具体的に述べている。 ・養生の要点は、内側からの欲(飲食、色欲、睡眠、しゃべりすぎなど)を控えることと、外からの邪(風・寒・暑・湿)を防ぐことにあるとした。 ・珍しくおいしい食べ物を前にしても八、九分でやめるべきだとして、いわゆる「腹八分目」の考え方を説いた。 ・体を適度に動かして気血の巡りをよくすること、心を平静に保つことを重視した。 ・医師を選ぶ際の心得や、薬に頼りすぎない姿勢についても記している。 生活習慣を整えて病気を未然に防ぐという考え方は、現代の予防医学や生活習慣病対策にも通じる。

江戸時代の主な医学・学問の人物と業績

・山脇東洋:1754年に日本で初めて官許を得て人体解剖(観臓)を行い、『蔵志』を著した。 ・杉田玄白・前野良沢:『解体新書』(1774年) ・華岡青洲:麻酔薬「通仙散」を用いた全身麻酔下で乳癌手術を行った(1804年)。 ・緒方洪庵:大坂に適塾を開き、種痘の普及に尽力した。 ・貝原益軒:『養生訓』『大和本草』

POINT

・『養生訓』は貝原益軒が1713年に著した健康法の書である。 ・内欲を慎み外邪を防ぐこと、腹八分目などを説き、予防医学の先駆けといえる。 ・著作の対応:伊藤仁斎=『論語古義』『童子問』、上田秋成=『雨月物語』『春雨物語』、杉田玄白=『解体新書』『蘭学事始』、本居宣長=『古事記伝』『玉勝間』。

※問題・正答は厚生労働省の公開資料をもとに掲載しています。