膵島の発見から遺伝子組換えへ―インスリン150年史は「論理の順番」で解ける
第116回医師国家試験 B問題 第22問
国試問題にチャレンジ
インスリンに関する医学史で最も新しいのはどれか。
- a.膵臓ランゲルハンス島の発見
- b.動物膵臓から抽出されたインスリンの精製
- c.遺伝子工学によるヒトインスリン製剤の作製
- d.インスリンのアミノ酸配列および立体構造の解明
- e.膵臓除去犬が尿糖を含む多尿をきたすことの発見
対話形式の解説
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ドクターまとめ
インスリン研究は、ランゲルハンスによる膵島の発見(1869年)、ミンコフスキーらによる膵臓摘出犬での糖尿病の再現(1889年)、バンティングとベストによる抽出・精製(1921〜1922年)、サンガーによるアミノ酸配列決定(1955年)とホジキンによる立体構造解明(1969年)を経て、遺伝子組換えヒトインスリンの作製(1978年、1982年実用化)へと進みました。年号を覚えていなくても、「形態・機能の発見→物質の取り出し→構造決定→遺伝子工学による合成」という前提関係をたどれば、遺伝子工学による製剤化が最も新しいと判断できます。遺伝子組換えヒトインスリンは世界初の遺伝子組換え医薬品で、動物インスリンの抗体産生や供給の問題を改善し、のちのインスリンアナログ開発の土台となりました。プロインスリンからC-ペプチドが切り離される構造の知識は、内因性インスリン分泌能の評価にも直結します。医学史を科学の論理の流れとして理解することは、現在の治療がなぜその形になっているのかを知る手がかりになります。
解答・解説
正解はcです
本問は、インスリンにまつわる5つの出来事を年代順に並べ、最も新しいものを選ぶ医学史の問題である。
おおまかな年代の流れ
1. 膵臓に周囲の外分泌腺とは異なる細胞集団(のちのランゲルハンス島)が見つかる(1869年) 2. 膵臓を摘出した犬が糖尿を伴う多尿を示し、膵臓と糖尿病の関係が示される(1889年) 3. 膵臓抽出物から血糖降下物質(インスリン)が得られ、治療に使えるよう精製される(1921〜1922年) 4. インスリンのアミノ酸配列(一次構造)が決定され(1955年)、のちにX線結晶解析で立体構造も解明される(1969年) 5. 遺伝子組換え技術でヒトインスリンが作製され(1978年)、医薬品として実用化される(1982年)
年代を覚えていなくても解ける考え方
各出来事には「前のステップが済んでいないと次に進めない」という論理的な順序がある。 ・膵臓に何らかの内分泌組織があること(形態の発見)と、膵臓がなくなると糖尿病になること(機能の発見)が分かって初めて、膵臓から有効成分を取り出そうという発想が生まれる。 ・有効成分を純粋なかたちで取り出せて初めて、その化学構造(アミノ酸配列や立体構造)を調べられる。 ・アミノ酸配列が分かって初めて、それをコードするDNAを設計し、遺伝子工学で人工的に合成させることができる。 したがって、遺伝子工学によるヒトインスリン製剤の作製は、他のすべての出来事を前提として成り立つ最後の段階であり、最も新しい出来事と判断できる。
選択肢考察
- ×a. 膵臓ランゲルハンス島の発見
1869年、ドイツの医学生パウル・ランゲルハンスが学位論文の中で、膵臓の外分泌腺組織の間に散在する、性質の異なる細胞の集まりを報告した。ただし本人はその働きを明らかにしていない。のちの1893年、フランスの組織学者ラゲッスがこの細胞集団を「ランゲルハンス島」と名付け、血糖の調節に関わる内分泌組織ではないかと推測した。5つの中では最も古い出来事であり、誤り。
- ×b. 動物膵臓から抽出されたインスリンの精製
1921年、トロント大学でフレデリック・バンティング(外科医)と医学生チャールズ・ベストが、犬の膵臓抽出物を膵臓摘出で糖尿病にした犬に投与し、血糖が下がることを示した。その後、生化学者ジェームズ・コリップが抽出物の精製法を改良し、1922年には1型糖尿病の少年に投与されて臨床効果が確認された。1923年、バンティングと研究を主宰したジョン・マクラウドにノーベル生理学・医学賞が授与されている。1920年代の出来事であり、最も新しいものではないため誤り。
- ○c. 遺伝子工学によるヒトインスリン製剤の作製
1978年、米国のバイオ企業ジェネンテック社などのグループが、ヒトインスリンのA鎖とB鎖をコードするDNAを化学合成して大腸菌のプラスミド(pBR322)に組み込み、それぞれの鎖を大腸菌に作らせたうえで、両者をジスルフィド(S-S)結合でつないでヒトインスリンを得ることに成功した。これをもとに、1982年に遺伝子組換え技術で製造された世界初の医薬品として、ヒトインスリン製剤が米国で承認・発売された。それ以前の製剤はウシやブタの膵臓から抽出したもので、ヒトと一部のアミノ酸が異なるため抗体産生などの問題があった。DNAの設計にはアミノ酸配列の知識が必要であり、選択肢dより後でなければ実現しえない。5つの中で最も新しい出来事であり、正しい。
- ×d. インスリンのアミノ酸配列および立体構造の解明
英国ケンブリッジ大学のフレデリック・サンガーは、1951年にB鎖、1953年にA鎖の配列を報告し、1955年までにウシインスリン全体のアミノ酸配列を決定した。インスリンはアミノ酸配列が決定された最初の蛋白質であり、蛋白質が決まった化学構造をもつことを示した業績として、サンガーは1958年にノーベル化学賞を受賞した。立体構造は、オックスフォード大学のX線結晶学者ドロシー・ホジキンが長年の研究の末、1969年に解明した(ホジキンは1964年にペニシリンやビタミンB12の構造解析でノーベル化学賞を受けているが、インスリンの構造決定はその後である)。1950〜60年代の出来事であり、遺伝子工学による製剤化(1978年)より前なので誤り。
- ×e. 膵臓除去犬が尿糖を含む多尿をきたすことの発見
1889年、ドイツのオスカー・ミンコフスキーとヨーゼフ・フォン・メーリングは、膵液が消化に果たす役割を調べる目的で犬の膵臓を摘出した。すると犬は多尿となり、尿に糖が含まれていることが判明した。これにより、膵臓が糖代謝を調節しており、その欠如が糖尿病を引き起こすことが初めて実験的に示された。19世紀末の出来事であり誤り。
インスリン研究の主な年表
・1869年:ランゲルハンスが膵臓内の特殊な細胞集団を報告 ・1889年:ミンコフスキーとフォン・メーリングが膵臓摘出犬で糖尿病を再現 ・1893年:ラゲッスが「ランゲルハンス島」と命名し、内分泌機能を推定 ・1921年:バンティングとベストが膵臓抽出物の血糖降下作用を証明 ・1922年:コリップが精製法を改良、ヒトの糖尿病患者への初投与 ・1923年:バンティングとマクラウドがノーベル生理学・医学賞を受賞 ・1955年:サンガーがインスリンの全アミノ酸配列を決定(1958年ノーベル化学賞) ・1969年:ホジキンがX線結晶解析でインスリンの立体構造を解明 ・1978年:遺伝子組換えによるヒトインスリンの作製に成功 ・1982年:遺伝子組換えヒトインスリン製剤が承認(遺伝子組換え医薬品の第一号) ・1990年代以降:アミノ酸配列を一部改変し、作用発現や持続時間を調整したインスリンアナログ(超速効型・持効型など)が登場
インスリンの構造の要点
インスリンはA鎖(21アミノ酸)とB鎖(30アミノ酸)が2本のジスルフィド結合でつながったペプチドホルモンで、A鎖内にも1本のジスルフィド結合をもつ。膵β細胞内ではまず1本鎖のプロインスリンとして合成され、C-ペプチドが切り離されて成熟インスリンとなる。インスリンとC-ペプチドは等モルで分泌されるため、血中C-ペプチドは内因性インスリン分泌能の指標として用いられる。
動物インスリンとヒトインスリン
ブタインスリンはヒトとB鎖末端の1アミノ酸、ウシインスリンは3アミノ酸が異なる。このわずかな違いや抽出物中の不純物により、抗インスリン抗体の産生やアレルギー、注射部位の脂肪萎縮などが問題となったが、遺伝子組換えヒトインスリンの登場で大幅に改善され、供給量も動物の膵臓の量に左右されなくなった。
POINT
・インスリン史の流れ:膵島の発見(1869)→膵臓摘出犬で糖尿病(1889)→インスリンの抽出・精製(1921〜22)→アミノ酸配列決定(1955)・立体構造解明(1969)→遺伝子組換えヒトインスリン(1978作製、1982実用化) ・年代を知らなくても「形態・機能の発見→物質の取り出し→構造決定→遺伝子工学による合成」という論理的な順序で解ける ・遺伝子組換えヒトインスリンは世界初の遺伝子組換え医薬品である
