嵐の夜が明けても残るもの―せん妄の陰に潜む抑うつを見逃すな
第100回医師国家試験 C問題 第30問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,28~30の問いに答えよ。 56歳の女性。右乳癌の治療のため外科病棟に入院していたが,夜間急に興奮状態となった。 現病歴:3週前に右乳房切除術を受け,続いて抗癌化学療法を開始した。次第に上腹部不快感,抑うつ気分および不眠が強まった。「私はこのまま死んでいきたい。もう治療は受けたくない」と訴え,食事をとらなくなった。夜になって急に言動に脈絡がなくなり,点滴を自ら外そうとした。それを止めようとした看護師に物を投げつけ,「悪魔め,私の子供を殺すな」などと激しくののしった。 既往歴:特記すべきことはない。 家族歴:特記すべきことはない。 現症:かけつけた当直医が話しかけても,うわの空だったり,興奮したりする。ここが病院であることを理解していない様子である。
翌日になると,うって変わって落ち着き,担当医や看護師と会話をするが,談話内容は悲観的である。昨夜の出来事はほとんど覚えていない。 対応として適切なのはどれか。
- a.昨夜の出来事をよく説明する。
- b.うつ状態の改善を図る。
- c.夜間は手足を抑制する。
- d.心理検査を行う。
- e.退院を考慮する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
せん妄は症状が日内で変動し、日中に落ち着いて見えても夜間に再燃しやすく、回復後にはせん妄中の出来事を覚えていないことが多いのが特徴です。本例ではせん妄の前から抑うつ気分・不眠・摂食不良・希死念慮・治療拒否が続いており、翌日も悲観的な発言がみられることから、背景の抑うつ状態への対応、すなわちうつ状態の改善を図ることが最も適切です。抑うつに伴う不眠や栄養障害はせん妄の誘発因子でもあり、その改善は再発予防にもつながります。予防的な身体拘束、記憶にない出来事の詳しい説明、負担の大きい心理検査、退院はいずれも不適切で、精神科と連携して自殺リスクを評価しつつ、抗コリン作用の強い薬剤を避けて治療を進めます。せん妄という目立つ症状の陰にある問題を見抜く視点は、がん診療や高齢者医療のあらゆる場面で役立ちます。
解答・解説
正解はbです
症例の整理
右乳癌の乳房切除術後、化学療法中の56歳女性。化学療法開始後から抑うつ気分・不眠・上腹部不快感が強まり、「このまま死んでいきたい」「もう治療は受けたくない」と希死念慮と治療拒否を述べ、食事もとらなくなっていた。その経過中の夜間に、急性の注意障害・失見当識・錯覚を伴う興奮が出現し、過活動型のせん妄と判断された。
翌日の状態の解釈
翌日には落ち着いて医療者と会話できており、意識は清明に戻っている。症状が数時間単位で変動し、夜間に悪化して日中に改善するのはせん妄の典型的な経過である。昨夜の出来事をほとんど覚えていないのも、意識障害下の体験が記憶に残りにくいためで、せん妄であったことを裏付ける。 一方、会話の内容は悲観的であり、せん妄の出現以前から続いていた抑うつ状態が依然として存在している。つまり本例には、「背景にある抑うつ状態(がん患者の適応障害やうつ病)」と「その上に夜間に重なったせん妄」という二つの問題がある。
設問の考え方
日中に意識が回復しても、せん妄の原因が解決したわけではなく、夜間に再燃する可能性が高い。今後の対応としては、せん妄の原因(脱水・栄養障害、電解質異常、薬剤など)の検索と是正を続けつつ、抑うつ状態の治療に取り組むことが重要である。抑うつによる不眠や摂食不良はせん妄の誘発因子・直接因子となっており、うつ状態の改善はせん妄の再発予防にもつながる。さらに希死念慮があり治療拒否にも至っているため、自殺の危険の評価を含め、精神科(精神腫瘍科・リエゾンチーム)と連携して抑うつへの介入を図る必要がある。
選択肢考察
- ×a. 昨夜の出来事をよく説明する。
せん妄の最中の出来事は意識障害のために記憶に残っていないことが多く、本例も昨夜のことをほとんど覚えていない。本人に実感のない自分の暴言や暴力を詳しく聞かされても、思い出せないまま不安や自責感、恥ずかしさが募るだけであり、もともと悲観的な患者の抑うつをさらに強めかねない。せん妄は体の状態によって一時的に起こる治療可能な混乱であることを、本人や家族の不安に配慮して簡潔に伝えるのはよいが、出来事を詳しく説明することを優先すべきではない。
- ○b. うつ状態の改善を図る。
本例ではせん妄の発症前から抑うつ気分、不眠、食欲低下、希死念慮、治療拒否がみられ、翌日も会話内容は悲観的で、抑うつ状態が持続している。抑うつに伴う不眠や摂食不良(脱水・栄養障害)はせん妄の誘発・増悪因子であり、抑うつ状態を改善することはせん妄の再発予防にもなる。また、治療拒否は乳癌の治療継続を困難にし、希死念慮は自殺の危険を示す。したがって、精神科との連携のもとで、支持的精神療法(不安や悲嘆を受け止める関わり)、睡眠の確保、必要に応じた抗うつ薬の投与などにより、うつ状態の改善を図ることが適切である。抗うつ薬を選ぶ際は、抗コリン作用の強い三環系抗うつ薬などはせん妄を誘発しやすいため避け、せん妄のリスクが比較的低い薬剤を選ぶ配慮が必要である。
- ×c. 夜間は手足を抑制する。
せん妄は夜間に再燃しやすいが、再燃に備えて予防的に手足を抑制するのは不適切である。身体拘束は、生命・身体への危険が差し迫り(切迫性)、他に方法がなく(非代替性)、一時的である(一時性)場合に限る最後の手段である。拘束そのものが不安や恐怖を強めてせん妄を悪化させ、深部静脈血栓症、誤嚥、褥瘡などの合併症や、患者の尊厳の侵害にもつながる。夜間のせん妄には、原因の是正、睡眠覚醒リズムの調整、環境調整、抗精神病薬などで対応する。
- ×d. 心理検査を行う。
心理検査(知能検査、人格検査、抑うつ評価尺度など)は、病態の把握や診断の補助に用いられることがある。しかし本例では、せん妄と抑うつ状態という診断は臨床像から明らかであり、心理検査によって今後の方針が大きく変わるわけではない。せん妄から回復した直後で心身ともに消耗し、悲観的になっている患者に負担の大きい検査を行う意義は乏しい。優先すべきは、せん妄の原因への対処とうつ状態の治療である。
- ×e. 退院を考慮する。
患者は乳癌の術後化学療法の途中であり、せん妄の原因も解決しておらず、夜間の再燃が予想される。さらに抑うつ状態で希死念慮があり、食事もとれていない。この状態で退院させれば、身体的にも精神的にも危険であり、自殺のリスクも高まる。せん妄や治療拒否を理由に病棟から患者を遠ざけるような対応は不適切であり、入院を継続して身体と精神の両面から治療を行うべきである。
がん患者の抑うつ
・がん患者では、診断の告知、手術による身体の喪失(本例では乳房の喪失)、化学療法の副作用、再発・死への不安などから、適応障害やうつ病が高い頻度で生じる。 ・がん患者の抑うつは、苦痛の増大、治療拒否やアドヒアランスの低下、入院期間の延長、自殺リスクの上昇と関連する。がんの診断後、特に早い時期には自殺の危険が高まることが知られている。 ・対応: 支持的精神療法、認知行動療法などの精神療法と、必要に応じた薬物療法(SSRI、SNRI、ミルタザピンなど)を組み合わせる。精神腫瘍科やリエゾン精神医学チームとの連携が有用である。 ・希死念慮を訴える患者には、自殺について率直に尋ね、計画の具体性や手段の有無を評価し、安全を確保する。「自殺について尋ねると自殺を誘発する」というのは誤りである。
せん妄とうつ病の関係
・抑うつ状態、不眠、摂食不良は、せん妄の誘発因子・直接因子となる。 ・低活動型せん妄は、活動性の低下や無表情のためうつ病と誤認されやすい。うつ病では意識は清明で、症状の日内変動は朝に悪いことが多いのに対し、せん妄では注意障害・見当識障害があり、夕方から夜間に悪化しやすい。 ・抗うつ薬のうち、抗コリン作用の強い三環系抗うつ薬はせん妄を誘発しやすい。
せん妄の経過と記憶
せん妄は症状が日内で変動し、日中は一見回復したように見えても夜間に再燃することが多い。回復後にはせん妄中の出来事について健忘を残すことが多く、患者は自分の言動に戸惑いや罪悪感を抱くことがある。家族にも、せん妄は身体の病気による一時的な状態であり、性格や認知症によるものではないことを説明し、不安を和らげる。
POINT
・せん妄は症状が日内変動し、日中に意識が清明となっても夜間に再燃しやすい。回復後はせん妄中の出来事を覚えていないことが多い。 ・せん妄の背景にある抑うつ状態・不眠はせん妄の誘発因子であり、うつ状態の改善がせん妄の予防にもつながる。 ・希死念慮・治療拒否を伴うがん患者の抑うつは、自殺リスクを評価し、精神科と連携して積極的に治療する。 ・身体拘束は予防目的で行わない(切迫性・非代替性・一時性の3要件)。
