産後の甲状腺中毒症、薬を出す前に「待つ」勇気―無痛性甲状腺炎の見極め方
第119回医師国家試験 D問題 第23問
国試問題にチャレンジ
32歳の女性。甲状腺の検査を希望して来院した。5か月前に第2子を出産した。妊娠前に受けた検査で抗甲状腺ペルオキシダーゼ〈TPO〉抗体強陽性であったため,妊娠期間中にも定期的に甲状腺ホルモン検査を受けていたが,これまでに甲状腺機能の異常を指摘されたことはなく自覚症状もない。体温36.7℃。脈拍92/分,整。血圧126/86mmHg。眼瞼結膜と眼球結膜とに異常を認めない。びまん性のやや硬い甲状腺腫を触れるが圧痛はない。胸腹部に異常を認めない。尿所見:蛋白(-),糖(±),ケトン体(-)。血液所見:赤血球420万,Hb 12.3g/dL,Ht 40%,白血球6,700,血小板21万。血液生化学所見:アルブミン4.0g/dL,AST 13U/L,ALT 15U/L,クレアチニン0.4mg/dL,TSH 0.02μU/mL未満(基準0.4~4.0),FT4 2.3ng/dL(基準0.8~1.8)。CRP 0.1mg/dL。 この時点での方針で正しいのはどれか。
- a.抗甲状腺薬を投与する。
- b.甲状腺亜全摘術を行う。
- c.無機ヨウ素を投与する。
- d.グルココルチコイドを投与する。
- e.2~4週間後に甲状腺機能を再検する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
産後数か月の女性に、抗TPO抗体陽性(橋本病の素地)、圧痛のない甲状腺腫、炎症反応を伴わない甲状腺中毒症がみられた場合は、無痛性甲状腺炎(産後甲状腺炎)を第一に考えます。これは濾胞の破壊でホルモンが漏れ出る破壊性甲状腺中毒症であり、合成を抑える抗甲状腺薬や無機ヨウ素、手術は無効で、痛みや炎症のない病態にグルココルチコイドの適応もありません。中毒期は一過性で自然に軽快するため、2〜4週間後に甲状腺機能を再検し、症状が強ければβ遮断薬、機能低下期で必要ならレボチロキシンで対応します。最も重要な鑑別は産後Basedow病で、TRAb、甲状腺摂取率、ドプラ血流、そして経過そのものが区別の手がかりになります。「中毒症=亢進症」と短絡せず、ホルモン過剰の仕組みから治療を選ぶ姿勢は、甲状腺診療全般の基本です。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・32歳の女性。5か月前に第2子を出産している(産後)。 ・妊娠前から抗TPO抗体(抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体)が強陽性で、背景に慢性甲状腺炎(橋本病)があると考えられる。妊娠中の甲状腺機能は正常で、自覚症状もない。 ・脈拍92/分とやや速いが、眼球突出などの眼症状はない。 ・びまん性のやや硬い甲状腺腫があり、圧痛はない。これは橋本病に典型的な触診所見である。 ・TSH 0.02μU/mL未満と抑制され、FT4 2.3ng/dLと上昇しており、甲状腺中毒症(血中甲状腺ホルモン過剰の状態)である。CRPは0.1mg/dLと炎症反応はない。
鑑別のプロセス
甲状腺中毒症は、甲状腺がホルモンを過剰に作る「甲状腺機能亢進症」(Basedow病など)と、甲状腺の濾胞が壊れて蓄えられていたホルモンが血中に漏れ出る「破壊性甲状腺中毒症」(無痛性甲状腺炎、亜急性甲状腺炎など)に分けて考える。 ・亜急性甲状腺炎:甲状腺の痛み・圧痛、発熱、CRP上昇を伴う。本例は圧痛がなくCRPも正常なので否定的である。 ・無痛性甲状腺炎(産後甲状腺炎):橋本病などの自己免疫性甲状腺炎を背景に、産後数か月で起こりやすい。痛みも炎症反応もない。本例の経過に最も合う。 ・産後のBasedow病:出産後は免疫反応が反発的に強まるため、Basedow病も発症・再燃しやすい。無痛性甲状腺炎との鑑別が最も重要である。 両者の鑑別には、TSH受容体抗体(TRAb)の測定、甲状腺の放射性ヨウ素(またはテクネシウム)摂取率(Basedow病で高値、無痛性甲状腺炎で低値)、超音波ドプラ法での甲状腺内血流(Basedow病で増加)、T3/T4比(Basedow病で高い傾向)などが用いられる。本例は橋本病の素地、産後の発症、圧痛・炎症反応のない甲状腺腫、眼症状がないことから、無痛性甲状腺炎が最も考えやすい。
設問の考え方
無痛性甲状腺炎の甲状腺中毒期は一過性で、通常は3か月以内に自然に終わる。その後、一過性の甲状腺機能低下期を経て、多くは正常に戻る。ホルモンを作る働きが亢進しているわけではないため、抗甲状腺薬・無機ヨウ素・手術といったBasedow病の治療は効果がなく、行うべきでない。動悸など症状が強ければβ遮断薬で対症的に治療するが、本例は無症状である。したがって、必要に応じてTRAbなどでBasedow病を除外しつつ、2〜4週間後に甲状腺機能を再検して自然経過を確認するのが正しい方針である。Basedow病であれば甲状腺中毒症が持続・悪化するので、経過観察そのものが鑑別にも役立つ。
選択肢考察
- ×a. 抗甲状腺薬を投与する。
チアマゾール(MMI)やプロピルチオウラシル(PTU)などの抗甲状腺薬は、甲状腺での甲状腺ホルモン合成を抑える薬であり、ホルモンの産生が亢進しているBasedow病の治療薬である。無痛性甲状腺炎の甲状腺中毒症は、すでに作られていたホルモンが壊れた濾胞から漏れ出たものなので、合成を抑えても効果はない。それどころか、その後に来る機能低下期を強めたり長引かせたりするおそれがあり、無顆粒球症や肝障害などの副作用の危険だけが残る。
- ×b. 甲状腺亜全摘術を行う。
甲状腺の手術(亜全摘術・全摘術)は、Basedow病で薬物療法が副作用や効果不十分で続けられない場合、大きな甲状腺腫がある場合などに選ばれる根治的治療である。無痛性甲状腺炎は自然に軽快する一過性の病態であり、手術の適応はない。
- ×c. 無機ヨウ素を投与する。
大量の無機ヨウ素(ヨウ化カリウム)は、甲状腺ホルモンの合成と甲状腺からの放出を速やかに抑える(Wolff-Chaikoff効果)。甲状腺クリーゼの治療、Basedow病の術前処置、抗甲状腺薬が使えないBasedow病などで用いる。無痛性甲状腺炎では甲状腺がホルモンを作りすぎているわけではないので適応がない。
- ×d. グルココルチコイドを投与する。
グルココルチコイドは、強い疼痛や発熱を伴う亜急性甲状腺炎の抗炎症療法として用いられる。甲状腺クリーゼでは相対的副腎不全への対応やT4からT3への変換の抑制を目的に使う。無痛性甲状腺炎は痛みも炎症反応もなく、自然に軽快するため、グルココルチコイドの適応はない。
- ○e. 2~4週間後に甲状腺機能を再検する。
無痛性甲状腺炎による甲状腺中毒症は一過性で、通常は3か月以内に自然に終わるため、治療を急ぐ必要はない。本例は自覚症状もなく、2〜4週間後に甲状腺機能(TSH、FT4)を再検して、ホルモン値が下がっていくことを確認するのが適切である。甲状腺中毒症が持続・悪化する場合はBasedow病を疑い、TRAbや甲状腺摂取率などで改めて評価する。その後、機能低下期に入って症状が出たり長引いたりすれば、レボチロキシンの補充を検討する。
産後甲状腺炎(無痛性甲状腺炎)
・妊娠中は胎児を拒絶しないよう母体の免疫が抑えられているが、出産後にその抑制が外れて自己免疫反応が強まる。このため、橋本病など自己免疫性甲状腺炎の素地がある女性では、産後に甲状腺の破壊が起こりやすい。 ・典型的な経過:産後1〜4か月頃に一過性の甲状腺中毒期 → 産後4〜8か月頃に一過性の機能低下期 → 多くは産後1年以内に正常化する。ただし、中毒期だけ・低下期だけの例もある。 ・抗TPO抗体陽性の女性では発症リスクが高く、次回の出産後に再発しやすい。将来、永続的な甲状腺機能低下症に移行する例も少なくないため、長期の経過観察が必要である。 ・治療:中毒期は動悸・頻脈などが強ければβ遮断薬(プロプラノロールは授乳中も使いやすい)で対症療法。低下期は症状があればレボチロキシンを補充する。
無痛性甲状腺炎とBasedow病の鑑別
・TRAb:Basedow病で陽性。無痛性甲状腺炎では通常陰性(まれに弱陽性)。 ・放射性ヨウ素・テクネシウム摂取率:Basedow病で高値、無痛性甲状腺炎で低値。授乳中は放射性物質が乳汁中へ移行するため、検査には一定期間の授乳中断が必要であり、慎重に適応を判断する。 ・超音波ドプラ法:Basedow病では甲状腺内の血流が著しく増加する。 ・FT3/FT4比:Basedow病で高い傾向がある。 ・眼症状(眼球突出など)はBasedow病に特徴的。 ・経過:無痛性甲状腺炎は一過性、Basedow病は持続する。
破壊性甲状腺中毒症の比較
・亜急性甲状腺炎:ウイルス感染が契機とされ、甲状腺の痛み・圧痛(痛む部位が移動することがある)、発熱、CRP・赤沈の上昇がみられる。重い場合はグルココルチコイドで治療する。 ・無痛性甲状腺炎:痛みも炎症反応もない。橋本病が背景にあることが多く、産後に好発する。
慢性甲状腺炎(橋本病)
・成人の原発性甲状腺機能低下症の原因として最も多い。中年女性に多い。 ・びまん性で硬い甲状腺腫と、抗TPO抗体・抗サイログロブリン抗体(TgAb)の陽性が特徴で、組織ではリンパ球浸潤がみられる。 ・診断(日本甲状腺学会のガイドライン):Basedow病などほかの原因が除外され、びまん性甲状腺腫大などの臨床所見に加えて、抗TPO抗体陽性・TgAb陽性・細胞診でのリンパ球浸潤のいずれかを満たせば確実例とする。 ・甲状腺機能は正常のことが多く、甲状腺機能低下症になるのは一部にとどまる。
POINT
・産後数か月+抗TPO抗体陽性(橋本病の素地)+圧痛・炎症反応のない甲状腺腫+甲状腺中毒症 → 無痛性甲状腺炎(産後甲状腺炎)。 ・最重要の鑑別は産後Basedow病:TRAb、甲状腺摂取率、ドプラ血流で区別する。 ・無痛性甲状腺炎は破壊性甲状腺中毒症で一過性。抗甲状腺薬・無機ヨウ素・手術は無効で行わない。 ・方針は経過観察(2〜4週後に再検)。症状があればβ遮断薬、機能低下期で必要ならレボチロキシン。 ・痛み・発熱・CRP上昇があれば亜急性甲状腺炎で、グルココルチコイドの適応になりうる。
