「見捨てないで」の叫びの奥にあるもの―境界性パーソナリティ障害と慢性的な空虚感
第115回医師国家試験 D問題 第28問
国試問題にチャレンジ
25歳の女性。異性関係や職場の人間関係のトラブルがあるたびにリストカットを繰り返すため,母親に伴われて精神科を受診した。本人はイライラ感と不眠の治療のために来院したという。最近まで勤めていた職場は,複数の男性同僚と性的関係をもっていたことが明らかとなり,居づらくなって退職した。親しい友人や元上司に深夜に何度も電話をかけるなどの行動があり,それを注意されると,怒鳴り散らす,相手を罵倒するなどの過激な反応がみられた。相手があきれて疎遠になると,SNSで自殺をほのめかし,自ら救急車を呼ぶなどした。一方,機嫌がよいと好意を持っている相手にプレゼントしたり,親密なメールを何度も出したりするなど感情の起伏が激しい。 この患者にみられることが予想される特徴はどれか。
- a.繰り返し嘘をつく。
- b.第六感やジンクスにこだわる。
- c.慢性的な空虚感を抱えている。
- d.完全癖のため物事を終了できない。
- e.自分が注目の的になっていることを求める。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
見捨てられ不安、理想化とこき下ろしを揺れ動く不安定な対人関係、自傷や性的逸脱などの衝動性、自殺のほのめかし、激しい怒りと感情の不安定さがそろえば、境界性パーソナリティ障害を考えます。DSM-5の診断基準には、これらに加えて自己像の不安定さや慢性的な空虚感、一過性のストレス関連性の妄想様観念・解離症状が含まれます。繰り返す嘘は反社会性、魔術的思考は統合失調型、完璧主義は強迫性、注目の的を求めるのは演技性の特徴であり、特に演技性とは行動の動機が「注目」か「見捨てられ不安」かで区別します。治療は弁証法的行動療法などの精神療法が中心で、薬物療法は補助的であり、過量服薬への配慮と一貫した治療の枠組みが求められます。各パーソナリティ障害の中核となる心理を押さえておくことは、試験だけでなく、困難な対人関係を抱える患者を理解し支える臨床の基盤になります。
解答・解説
正解はcです
所見の整理
・25歳の女性。異性関係や職場の人間関係でトラブルが起きるたびにリストカット(手首の自傷)を繰り返している → 反復する自傷行為、衝動性の高さ ・複数の男性同僚と性的関係をもち、職場に居づらくなって退職 → 自己を傷つけうる領域(性行動)での衝動性、不安定な対人関係 ・友人や元上司に深夜何度も電話をかけ、注意されると怒鳴る・罵倒する → 場にそぐわない激しい怒り、怒りの制御困難 ・相手が距離を置くとSNSで自殺をほのめかし、自分で救急車を呼ぶ → 見捨てられることへの強い不安と、それを避けるためのなりふり構わない行動、自殺をめぐる行動の反復 ・機嫌がよいと好意をもつ相手にプレゼントをしたり親密なメールを繰り返し送ったりする → 相手を理想化する時期と、こき下ろす(脱価値化する)時期が入れ替わる対人関係、感情の起伏の激しさ ・本人の訴えはイライラ感と不眠で、受診も母親に付き添われてのもの → 自分の行動パターンそのものを問題として捉えにくい
診断へのプロセス
まず、統合失調症や双極性障害などの精神病性・気分障害による行動異常を除外する必要がある。本例では幻覚・妄想の記載はなく、退職の経緯を本人が理解している点から現実検討能力(現実と空想を区別し、状況を正しく判断する力)は保たれている。また、気分高揚・多弁・睡眠欲求の減少などが一定期間持続する躁病エピソードの記載もない。問題は青年期以降に一貫して続く対人関係のパターンに集中しており、パーソナリティ障害を考えるのが妥当である。 そのなかで、見捨てられ不安、理想化と脱価値化を揺れ動く不安定な対人関係、自傷・性的逸脱などの衝動性、自殺のほのめかし、激しい怒り、感情の不安定性がそろっており、境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder:BPD)と診断できる。
設問の考え方
本問は、提示された症例から境界性パーソナリティ障害を想起したうえで、問題文には書かれていないが同障害の診断基準に含まれる特徴を選ばせるものである。他の選択肢は、いずれも別のパーソナリティ障害を特徴づける所見であり、各パーソナリティ障害の中核的特徴を区別して覚えているかが問われている。
選択肢考察
- ×a. 繰り返し嘘をつく。
自分の利益や快楽のために偽名を使ったり繰り返し嘘をついたりする「虚偽性」は、反社会性パーソナリティ障害の診断基準の一項目である。反社会性パーソナリティ障害は他者の権利を無視・侵害する広範な様式を特徴とし、法律違反、攻撃性、無責任、良心の呵責の欠如などを伴う(診断は18歳以上で、15歳以前からの素行症の証拠が必要)。境界性パーソナリティ障害の中核は見捨てられ不安や対人関係・自己像・感情の不安定さであり、虚言の反復は診断基準に含まれない。
- ×b. 第六感やジンクスにこだわる。
迷信、千里眼、テレパシー、「第六感」などを信じ、行動がそれに左右される「奇異な信念・魔術的思考」は、統合失調型パーソナリティ障害の特徴である。同障害では他に、関係念慮、奇妙な話し方や外見、親しい友人の欠如、過剰な社交不安などがみられ、統合失調症スペクトラムに位置づけられる。本例にはこうした風変わりな思考の記載はない。
- ○c. 慢性的な空虚感を抱えている。
「慢性的な空虚感」はDSM-5における境界性パーソナリティ障害の9つの診断基準の一つである。同障害では自己像(自分は何者か、という感覚)が不安定で、心の中にぽっかり穴があいたような虚しさを長く抱えていることが多い。この空虚感を一時的に埋めようとして、自傷、物質乱用、衝動的な性行動などに及ぶとも理解される。本例の見捨てられ不安、不安定な対人関係、衝動性、自殺行動の反復と合わせ、この患者に予想される特徴として最も適切である。
- ×d. 完全癖のため物事を終了できない。
自分の厳格な基準を満たさないと気がすまず、そのために課題を最後までやり遂げられない完璧主義は、強迫性パーソナリティ障害の特徴である。同障害では秩序・規則・細部へのとらわれ、仕事への過度の没頭、融通のなさ、物をため込む傾向、けちといった特徴を伴う。強迫観念・強迫行為を症状とする強迫症(強迫性障害)とは別の概念である点にも注意する。本例の衝動的で感情的な行動様式とは対照的である。
- ×e. 自分が注目の的になっていることを求める。
自分が注目の的でないと不快に感じるのは、演技性パーソナリティ障害の診断基準の一項目である。同障害では、不適切に性的・誘惑的な振る舞い、外見を用いて関心を引く、芝居がかった誇張した感情表現、浅く移ろいやすい感情、被暗示性の高さなどがみられる。境界性パーソナリティ障害でも周囲を巻き込む行動はみられるが、その動機は「見捨てられたくない」という不安であり、注目そのものを求める演技性とは中心となる心理が異なる。本例には外見や性的魅力をアピールして注目を集めようとする記載はなく、自殺のほのめかしも相手が離れていくことへの反応として生じている。
境界性パーソナリティ障害のDSM-5診断基準
対人関係、自己像、感情の不安定さと著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、以下のうち5つ以上で示される。 1. 現実または想像上の見捨てられることを避けようとする、なりふり構わない努力 2. 理想化とこき下ろし(脱価値化)の両極端を揺れ動く、不安定で激しい対人関係 3. 同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像や自己感覚 4. 自己を傷つける可能性のある衝動性(浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、過食など)が少なくとも2つの領域にわたる 5. 自殺の行動・そぶり・脅し、または自傷行為の繰り返し 6. 顕著な気分反応性による感情の不安定性(通常は数時間、まれに数日続く強い不快気分、易刺激性、不安) 7. 慢性的な空虚感 8. 不適切で激しい怒り、または怒りの制御困難 9. 一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離症状 本例では1、2、4、5、6、8に相当する所見がみられる。
パーソナリティ障害の3群(DSM-5)
・A群(奇妙・風変わり):猜疑性(妄想性)、シゾイド、統合失調型 ・B群(演技的・感情的・移り気):反社会性、境界性、演技性、自己愛性 ・C群(不安・恐怖):回避性、依存性、強迫性
各パーソナリティ障害の鍵となる特徴
・猜疑性:根拠なく他人が自分を利用する・害すると疑う ・シゾイド:親密な関係を求めず、感情表出が乏しい ・統合失調型:魔術的思考、関係念慮、奇妙な外見や話し方 ・反社会性:他者の権利の侵害、虚偽性、良心の呵責の欠如 ・境界性:見捨てられ不安、不安定な対人関係、自傷、慢性的空虚感 ・演技性:注目の的であることを求める、誘惑的な態度、芝居がかった感情表現 ・自己愛性:誇大性、賞賛を求める、共感の欠如 ・回避性:批判や拒絶を恐れて対人接触を避ける ・依存性:世話をされたい過剰な欲求、自分で決められない ・強迫性:完璧主義、秩序へのとらわれ、融通のなさ
治療の概要
境界性パーソナリティ障害では精神療法が中心で、弁証法的行動療法(dialectical behavior therapy:DBT)やメンタライゼーションに基づく治療などの有効性が示されている。薬物療法は気分の不安定さや衝動性などに対する補助的・対症的な位置づけである。過量服薬のリスクがあるため、処方薬の量や種類には注意を要する。
POINT
・自傷の反復、見捨てられ不安、理想化と脱価値化を揺れ動く対人関係、激しい怒り、感情の不安定さ → 境界性パーソナリティ障害 ・境界性パーソナリティ障害の診断基準には「慢性的な空虚感」が含まれる ・繰り返す嘘 → 反社会性、魔術的思考・第六感 → 統合失調型、完璧主義 → 強迫性、注目の的を求める → 演技性 ・境界性と演技性の区別:境界性は見捨てられ不安が動機、演技性は注目や性的魅力のアピールが中心
