咳で漏れる、笑って漏れる―腹圧性尿失禁は「まず鍛える」から始まる
第108回医師国家試験 D問題 第46問
国試問題にチャレンジ
57歳の女性。3回経妊3回経産婦。52歳で閉経。尿失禁を主訴に来院した。2年前から咳嗽時に下着が濡れることに気付いていた。半年前から笑ったり重い荷物を持ち上げたりするときにも漏れるようになったため受診した。頻尿,排尿痛および尿意切迫感を認めない。少量用尿とりパッドを1日1枚交換している。尿所見に異常を認めない。腹部超音波検査で残尿を認めない。1時間パッドテストでの尿失禁量は5 gである。 まず行う対応として適切なのはどれか。
- a.水分摂取制限
- b.α1遮断薬の内服
- c.尿道スリング手術
- d.経腟式膀胱頸部挙上術
- e.骨盤底筋訓練〈骨盤底筋体操〉
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
咳・笑い・重い物の持ち上げなど腹圧が上がる場面に限った尿漏れで、尿意切迫感も残尿もなければ腹圧性尿失禁と考えます。経腟分娩や閉経によって骨盤底の筋・支持組織が弱まることが主な原因で、1時間パッドテストや生活への影響から重症度を評価します。治療は保存的治療から始めるのが原則で、軽症〜中等症では骨盤底筋訓練が第一選択となり、効果判定には2〜3か月の継続と正しい収縮の指導が欠かせません。水分制限は根本的な改善にならず、α1遮断薬は尿道閉鎖圧を下げて悪化させうるため不適切であり、尿道スリング手術は保存的治療で改善しない場合に検討します。尿失禁のタイプ分類と段階的な治療選択の考え方は、高齢化社会で頻繁に出会う排尿トラブルに対応するための基本となります。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・57歳の閉経後女性で、3回の経腟分娩歴(3回経産)がある。経腟分娩と閉経後のエストロゲン低下は、骨盤底の筋・結合組織を弱める代表的な危険因子である。 ・尿漏れは咳、笑い、重い物を持ち上げる動作といった、腹圧が上昇する場面に限って起こっている。 ・頻尿、尿意切迫感(急に起こる我慢しがたい強い尿意)、排尿痛はない。 ・尿所見は正常で尿路感染症を示唆しない。残尿もなく、排出障害(溢流性尿失禁)も否定的である。 ・1時間パッドテスト(一定量の水分を飲んだ後、歩行・階段昇降・咳などの決められた動作を1時間行い、パッドの重量増加から漏れた尿量を測る検査)の尿失禁量は5 gで、軽症の範囲にある。パッドも少量用を1日1枚交換する程度であり、生活への影響は比較的小さい。
診断へのプロセス
尿失禁は主に、腹圧性(腹圧上昇時の漏れ)、切迫性(強い尿意とともに間に合わず漏れる)、混合性(両者の合併)、溢流性(残尿が多く、膀胱からあふれ出る)、機能性(認知機能や運動機能の低下でトイレに間に合わない)に分けられる。本例は腹圧上昇時のみ漏れ、尿意切迫感がなく、残尿もないため、典型的な腹圧性尿失禁である。重症度は1時間パッドテストの結果と症状から軽症と判断できる。
設問の考え方
腹圧性尿失禁の治療は、まず負担が少なく副作用のない保存的治療から始め、効果が不十分な場合に手術を考慮するのが原則である。保存的治療の中心は骨盤底筋訓練であり、特に軽症〜中等症では第一選択となる。「まず行う対応」を問われているので、手術ではなく保存的治療を選ぶ。
選択肢考察
- ×a. 水分摂取制限
水分を減らせば尿量は減るが、腹圧がかかったときに尿道を閉じておけないという腹圧性尿失禁の根本的な原因は改善しない。1日尿量が明らかに多い(過剰な飲水習慣がある)場合には適正量への調整を指導することはあるが、本例にその情報はない。過度の水分制限は脱水、便秘(いきみによる腹圧上昇で失禁を悪化させうる)、濃縮尿による膀胱刺激や尿路感染症の誘因にもなり、まず行う対応として適切ではない。
- ×b. α1遮断薬の内服
α1遮断薬は膀胱頸部から尿道の平滑筋に分布するα1受容体を遮断して尿道の緊張を緩め、尿を出しやすくする薬で、前立腺肥大症などに伴う排出障害(尿の出にくさ)に用いられる。尿道の閉鎖圧を低下させるため、腹圧性尿失禁にはむしろ漏れを悪化させる方向に働き、禁忌的である。なお、女性の腹圧性尿失禁に対して日本で用いられる薬物療法には、尿道の閉鎖を強めるβ2刺激薬(クレンブテロール)などがある。
- ×c. 尿道スリング手術
尿道スリング手術は、中部尿道の下にテープ(メッシュ)を通して支えることで、腹圧がかかったときに尿道が閉じるようにする手術である。TVT手術(恥骨後式)とTOT手術(経閉鎖孔式)が代表的で、成功率が高く、腹圧性尿失禁に対する標準的な手術である。ただし、骨盤底筋訓練などの保存的治療で十分な改善が得られない中等症〜重症例が適応であり、軽症の本例で最初に行う対応ではない。
- ×d. 経腟式膀胱頸部挙上術
経腟式膀胱頸部挙上術(Stamey法、Raz法、Pereyra法など)は、腟から針を用いて膀胱頸部周囲の組織を糸で吊り上げる、かつて腹圧性尿失禁に行われていた手術である。長期成績が不良で再発が多いため、現在は尿道スリング手術に置き換わり、ほとんど行われない。いずれにせよ手術療法であり、軽症例に対してまず行う対応には当たらない。
- ○e. 骨盤底筋訓練〈骨盤底筋体操〉
骨盤底筋訓練は、肛門・腟・尿道の周囲を取り囲む骨盤底筋群(肛門挙筋や外尿道括約筋など)を意識的に締めたり緩めたりする運動を繰り返し、筋力と持久力を高める方法である。骨盤底筋が強くなると、腹圧が上昇した瞬間に尿道を締めて支える力が増し、漏れが減る。副作用がなく、自宅で継続できる安全な方法であり、軽症〜中等症の腹圧性尿失禁では第一選択の治療として強く推奨されている。効果の判定には少なくとも2〜3か月の継続が必要で、正しく筋を収縮させられるよう指導することが重要である。軽症の本例で最初に行う対応として最も適切である。
腹圧性尿失禁の病態
・正常では、腹圧が上がると膀胱と同時に尿道にも圧が伝わり、さらに骨盤底筋が反射的に収縮して尿道を閉じるため、尿は漏れない。 ・経腟分娩、加齢、閉経によるエストロゲン低下、肥満、慢性の咳(喘息・COPD)、便秘による慢性的ないきみなどで骨盤底の筋や支持組織が弱ると、①尿道が下方へ移動して腹圧が尿道に十分伝わらなくなる(尿道過可動)、②尿道そのものの閉じる力が弱まる(内因性括約筋不全)、の機序で腹圧上昇時に尿が漏れる。 ・中高年の経産婦に多い。
尿失禁の分類と治療の整理
・腹圧性:咳・くしゃみ・運動時に漏れる。骨盤底筋訓練、生活指導(減量、便秘の改善など)、β2刺激薬、改善しなければ尿道スリング手術(TVT・TOT)など。 ・切迫性:尿意切迫感とともに漏れる。過活動膀胱が代表。抗コリン薬、β3刺激薬、膀胱訓練。 ・混合性:両者の合併。より困っている症状を優先して治療する。 ・溢流性:残尿が多く、少しずつあふれ出る。前立腺肥大症や神経因性膀胱(糖尿病など)が原因。原因の治療、α1遮断薬(男性)、導尿。 ・機能性:認知症やADL低下による。排尿誘導、環境整備。
評価に用いる検査
・問診・排尿日誌(排尿時刻・量・失禁の有無を記録)、質問票による症状評価。 ・尿検査(感染・血尿の除外)、残尿測定(超音波)。 ・パッドテスト:1時間パッドテストでは、漏れ量が2 g以下で正常、2.1〜5 gで軽症、5.1〜10 gで中等症、10.1〜50 gで重症、50 g超で極めて重症とされる。 ・ストレステスト(膀胱に尿がある状態で咳をさせ、外尿道口からの漏れを確認)、Qチップテスト(尿道の可動性の評価)。
骨盤底筋訓練の実際
・肛門・腟を締める収縮を数秒〜10秒程度保持し、同じ時間休む動作を1セットとして、1日数十回を目安に繰り返す。 ・速い収縮(すばやく締めてすぐ緩める)も組み合わせ、咳の瞬間に締める動作を習慣化する。 ・正しく収縮できない場合には、バイオフィードバックや電気刺激療法を併用する。
POINT
・腹圧上昇時(咳・笑い・重い物を持つ)のみの尿漏れ、尿意切迫感なし、残尿なし → 腹圧性尿失禁。 ・経産婦、閉経後、肥満、慢性咳嗽が危険因子。 ・治療の原則は保存的治療から:軽症〜中等症ではまず骨盤底筋訓練。 ・保存的治療で改善しない場合に尿道スリング手術(TVT・TOT)を行う。 ・α1遮断薬は尿道の閉鎖圧を下げるため、腹圧性尿失禁を悪化させうる。
