妊婦の血圧160―「下げてよい薬」と「使ってはいけない薬」を見極める
第100回医師国家試験 I問題 第22問
国試問題にチャレンジ
36歳の妊婦。妊娠26週の定期健康診査のため来院した。身長160cm,体重58kg(非妊時50kg)。血圧160/92mmHg。子宮底長22cm。下腿に軽度の浮腫を認める。内診所見に異常を認めない。尿所見:蛋白(-),糖(-)。超音波検査で胎児の発育と羊水量とに異常を認めない。 この状態が続く場合の第一選択薬はどれか。
- a.β受容体遮断薬
- b.ACE阻害薬
- c.硫酸マグネシウム
- d.塩酸ヒドララジン
- e.アンジオテンシン受容体拮抗薬
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
妊娠20週以降に初めて出現し、蛋白尿や臓器障害を伴わない高血圧は妊娠高血圧であり、収縮期160mmHg以上または拡張期110mmHg以上で重症と判断します。重症域の高血圧が続く場合は母体の脳出血や子癇、常位胎盤早期剝離を防ぐため降圧治療を行い、胎児への安全性が確立したヒドララジン、メチルドパ、ラベタロール、ニフェジピン徐放剤が用いられます。ACE阻害薬とARBは胎児腎障害から羊水過少や頭蓋骨低形成などを起こすため妊娠中は禁忌で、硫酸マグネシウムは降圧薬ではなく子癇の予防・治療薬です。降圧は子宮胎盤血流を損なわないよう穏やかに行い、根本治療は分娩であることも重要です。妊婦の薬物療法では「母体に効く」だけでなく「胎児に安全か」を常に考える視点が、産科以外の診療科でも役立ちます。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
・36歳の妊婦、妊娠26週(妊娠20週以降)。 ・血圧160/92mmHg:収縮期血圧が160mmHg以上であり、妊娠中の高血圧としては重症域に入る。 ・尿蛋白(-):蛋白尿を伴わない。 ・体重は非妊時50kgから58kgへと、26週の時点で8kg増加しており、増加がやや大きい。下腿の軽度浮腫は妊婦にしばしばみられる所見で、現在の分類では診断基準に含まれない。 ・子宮底長22cm、超音波で胎児発育・羊水量ともに正常:胎児発育不全や胎盤機能低下を示す所見はない。 ・頭痛、視覚異常、上腹部痛などの子癇・重症化の前駆症状の記載もない。
診断
妊娠20週以降に初めて高血圧が出現し、蛋白尿や臓器障害を伴わないものは妊娠高血圧(gestational hypertension)に分類される。本例は収縮期160mmHg以上であるため、重症の妊娠高血圧と判断できる。なお、かつては「妊娠中毒症」と呼ばれ、浮腫・蛋白尿・高血圧の3徴で定義されていたが、現在は高血圧を中心に据えた妊娠高血圧症候群(HDP:hypertensive disorders of pregnancy)という概念に改められ、浮腫は診断項目から除かれている。
設問の考え方
「この状態が続く場合」、すなわち重症域の高血圧が持続する場合には、母体の脳出血や子癇、常位胎盤早期剝離などを防ぐため降圧薬を用いる。妊婦の降圧薬選択では、(1)胎児への安全性が確立していること、(2)胎児に有害な薬剤(催奇形性・胎児毒性)を避けること、が最大のポイントである。妊娠中に使用実績があり、安全性が確認されている代表的な経口降圧薬はメチルドパ、ヒドララジン、ラベタロール、ニフェジピン(徐放剤)である。選択肢のなかでは塩酸ヒドララジンがこれに該当し、本問の正解となる。一方、ACE阻害薬とアンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬(ARB)は胎児毒性のため妊娠中は禁忌であり、硫酸マグネシウムは降圧薬ではなく子癇の予防・治療薬である。
選択肢考察
- ×a. β受容体遮断薬
β遮断薬は一般の高血圧治療では広く用いられるが、妊娠中の第一選択とはいえない。アテノロールなどβ選択性の強い薬剤を妊娠早期から長期に使うと胎児発育不全や新生児の徐脈・低血糖との関連が報告されている。本問が出題された当時は妊婦への投与は非常に慎重に扱われていた。現在では、α遮断作用を併せ持つラベタロール(αβ遮断薬)は妊娠中に使える経口降圧薬の一つとされ使用可能になっているが、選択肢のように「β受容体遮断薬」一般として第一選択に挙げるのは適切でない。
- ×b. ACE阻害薬
ACE(アンジオテンシン変換酵素)阻害薬は妊娠中禁忌である。特に妊娠中期以降に用いると、胎児の腎血流が低下して腎不全・無尿を起こし、その結果羊水過少、肺低形成、四肢拘縮、頭蓋骨の骨化障害、胎児死亡などを生じうる(レニン・アンジオテンシン系阻害薬による胎児毒性)。妊娠が判明した時点で他剤へ変更する必要がある。
- ×c. 硫酸マグネシウム
硫酸マグネシウムは子癇発作の予防と治療に用いる薬剤であり、中枢神経の興奮を抑えて痙攣を防ぐのが主な作用で、降圧薬として用いるものではない。重症妊娠高血圧腎症、頭痛・視覚障害などの子癇前駆症状がある場合や分娩時の子癇予防に投与されるが、本例には子癇の前兆がなく、現時点で使用する段階ではない。なお、高マグネシウム血症では膝蓋腱反射の消失や呼吸抑制が起こるため、投与中は腱反射・呼吸数・尿量を監視し、中毒時の拮抗薬としてグルコン酸カルシウムを用いる。
- ○d. 塩酸ヒドララジン
ヒドララジンは細動脈平滑筋に直接作用して血管を拡張させる降圧薬で、妊婦への長い使用実績があり、胎児への重大な有害作用が知られていない。このため妊娠高血圧症候群の降圧治療で第一選択薬の一つとされ、出題当時は代表的な第一選択薬であった。経口投与のほか、重症高血圧の急速な降圧には静注でも用いられる。副作用として反射性頻脈、頭痛、動悸、顔面紅潮などがあり、長期大量投与ではループス様症候群に注意する。現在はメチルドパ、ラベタロール、ニフェジピンと並ぶ選択肢の一つとして位置づけられている。
- ×e. アンジオテンシン受容体拮抗薬
ARB(アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬)もACE阻害薬と同様にレニン・アンジオテンシン系を抑えるため、胎児腎障害、羊水過少、頭蓋骨低形成、胎児死亡などの胎児毒性を生じうる。したがって妊娠中は禁忌であり、妊娠の可能性がある女性に処方する際にも注意を要する。
妊娠高血圧症候群(HDP)の病型分類
・妊娠高血圧腎症(preeclampsia):妊娠20週以降に高血圧が出現し、蛋白尿、または蛋白尿がなくても肝機能障害・腎機能障害・神経障害・血液凝固障害・子宮胎盤機能不全(胎児発育不全など)のいずれかを伴うもの。分娩後12週までに正常化する。 ・妊娠高血圧(gestational hypertension):妊娠20週以降に高血圧のみが出現し、上記の所見を伴わないもの。 ・加重型妊娠高血圧腎症:妊娠前または妊娠20週までに存在した高血圧や腎疾患に、妊娠高血圧腎症の所見が加わったもの。 ・高血圧合併妊娠:妊娠前または妊娠20週までに高血圧があり、加重型に該当しないもの。
重症の基準
収縮期血圧160mmHg以上、または拡張期血圧110mmHg以上のいずれかを満たせば重症とする。妊娠高血圧腎症では、臓器障害や子宮胎盤機能不全を伴うものも重症と扱う。かつては蛋白尿の量(2g/日以上)も重症の基準に含まれていたが、現在は蛋白量のみで重症とはしない。
妊娠中に使用する主な降圧薬
・経口:メチルドパ(中枢性α2作動薬)、ヒドララジン(血管拡張薬)、ラベタロール(αβ遮断薬)、ニフェジピン徐放剤(Ca拮抗薬)。 ・静注(重症高血圧の緊急降圧):ニカルジピン、ヒドララジン。 ・禁忌:ACE阻害薬、ARB、直接的レニン阻害薬などのレニン・アンジオテンシン系阻害薬。 ・利尿薬は循環血漿量をさらに減らして胎盤血流を悪化させうるため、原則として降圧目的には用いない(肺水腫などを除く)。
降圧の注意点
急激・過度な降圧は子宮胎盤血流を減らし胎児機能不全を招くおそれがあるため、目標は正常血圧まで下げることではなく、重症域を脱する程度に緩やかに下げることにある。根本的治療は妊娠の終了(分娩)であり、母児の状態に応じて分娩時期を判断する。
子癇予防
子癇の予防・治療の第一選択は硫酸マグネシウムであり、ジアゼパムなどより再発予防効果が高い。
POINT
・妊娠20週以降に出現した蛋白尿を伴わない高血圧は妊娠高血圧。収縮期160mmHg以上または拡張期110mmHg以上で重症。 ・浮腫は現在の妊娠高血圧症候群の診断基準に含まれない。 ・妊婦に使う降圧薬:メチルドパ、ヒドララジン、ラベタロール、ニフェジピン(静注ではニカルジピン、ヒドララジン)。 ・ACE阻害薬・ARBは胎児毒性(腎障害・羊水過少・頭蓋骨低形成)のため妊娠中禁忌。 ・硫酸マグネシウムは子癇の予防・治療薬であり降圧薬ではない。中毒時は腱反射消失・呼吸抑制が起こり、拮抗薬はグルコン酸カルシウム。
