2000年以上前の約束―「ヒポクラテスの誓い」に刻まれた医の倫理の原点
第100回医師国家試験 E問題 第49問
国試問題にチャレンジ
「Hippocratesの誓い」にあるのはどれか。
- a.清濁併せのむ度量を持つ。
- b.婦人に堕胎用器具を与える。
- c.必要あれば致死薬を投与する。
- d.どんな不正や加害をも目的としない。
- e.患者の私生活の内容は医師間で共有する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
ヒポクラテスの誓いは、古代ギリシアのヒポクラテスとその学派に由来するとされる医の倫理の原点で、患者の利益のために尽くし、不正や加害をなさないことを誓う内容が含まれます。一方で、致死薬を与えない、堕胎器具を与えない、見聞きした秘密を守るといった禁止事項も明記されており、これらを肯定する形の記述は誓いとは正反対です。守秘の一節は現代の医師の守秘義務の源流であり、無危害・善行の考え方は生命倫理の4原則にも受け継がれています。現代版のジュネーブ宣言、研究倫理のニュルンベルク綱領・ヘルシンキ宣言、患者の権利のリスボン宣言とあわせて整理し、自律尊重の原則が近代以降に加わった点も理解しておくと、医の倫理の歴史的な流れを立体的にとらえられます。
解答・解説
正解はdです
「ヒポクラテスの誓い」は、古代ギリシアの医師ヒポクラテス(Hippocrates、紀元前460年頃〜紀元前370年頃)とその学派に由来するとされる、医師が医神アポロンやアスクレピオスらに立てる誓いの文である。成立の経緯には諸説あるが、「ヒポクラテス全集」に収められ、西洋医学における医の倫理の原点として現在まで受け継がれている。 誓いの主な内容は次のように整理できる。 ・医術を授けてくれた師を親のように敬い、その子弟には無償で医術を教える ・自分の能力と判断の限りを尽くして患者の利益となる治療法を選び、患者を害や不正から守る ・頼まれても致死的な薬を与えず、そのような助言もしない ・女性に堕胎のための器具(ペッサリー)を与えない ・生涯を清らかに、敬虔に過ごし、自分の技術を守る ・(膀胱結石の截石術のような)手術は行わず、それを専門とする者に任せる ・どの家に入るときも患者の利益のためであり、故意の不正や加害、男女・身分を問わず相手を性的に利用する行為をしない ・治療の場で、あるいは治療と関係なく見聞きした人々の生活上の事柄で、口外すべきでないものは秘密として守る 選択肢のうち、この内容に合致するのは「どんな不正や加害をも目的としない」だけである。致死薬の投与、堕胎器具の供与、患者の私的な事柄の共有は、誓いがむしろ禁じている行為であり、「清濁併せのむ度量」は誓いにはない。
選択肢考察
- ×a. 清濁併せのむ度量を持つ。
誓いには含まれない。「清濁併せのむ」とは、善も悪も分け隔てなく受け入れる度量の大きさを指す東洋的な表現で、大人物や政治家の資質として語られることが多い。ヒポクラテスの誓いが求めるのは、むしろ生活と医術を清らかに保ち、不正を行わないという倫理的な厳しさであり、この表現とは方向性が異なる。
- ×b. 婦人に堕胎用器具を与える。
誓いの内容と逆である。誓いでは「女性に堕胎のためのペッサリー(腟内に挿入する器具・薬)を与えない」と述べられている。なお現代の日本では、母体保護法に定める要件のもとで、指定医師による人工妊娠中絶が認められており、この一節は当時の価値観を反映したものと理解される。
- ×c. 必要あれば致死薬を投与する。
誓いの内容と逆である。誓いには「たとえ頼まれても致死的な薬を誰にも与えず、そのような助言もしない」という一節がある。医師の技術を患者の生命を奪う方向に用いないという原則であり、現代でも積極的安楽死や医師による自殺幇助をめぐる議論の中でしばしば引用される。
- ○d. どんな不正や加害をも目的としない。
誓いにある内容である。誓いでは、患者の利益のために治療法を選び、患者を害や不正から遠ざけること、どの家を訪れるときも患者のためであって、故意の不正や加害を一切行わないことが述べられている。これは現代の生命倫理の4原則のうち、無危害原則(害をなさない)と善行原則(患者の利益をはかる)の源流とされ、「まず害をなすなかれ(first, do no harm)」という格言にもつながっている。
- ×e. 患者の私生活の内容は医師間で共有する。
誓いの内容と逆である。誓いには、治療の中で見聞きしたこと、また治療とは関係なくても人々の生活について知ったことのうち、他言すべきでないものは秘密として守るという守秘の一節がある。これは医師の守秘義務の原点であり、現代の日本でも刑法第134条(秘密漏示罪)で医師の守秘義務が定められている。現代の医療では診療に必要な範囲で医療チーム内の情報共有は行われるが、患者の私生活を無制限に共有することが許されるわけではない。
医の倫理に関する主な宣言・綱領
・ヒポクラテスの誓い(古代ギリシア):医の倫理の原点。患者の利益、無危害、守秘、生命の尊重などを説く。 ・ジュネーブ宣言(1948年、世界医師会):ヒポクラテスの誓いを現代的に言い改めたもの。患者の健康と安寧を第一に考えること、人種・宗教・社会的地位などによる差別をしないこと、患者の秘密を守ることなどを誓う。その後も数回改訂されている。 ・ニュルンベルク綱領(1947年):ナチスの人体実験の反省から生まれた、人を対象とする研究の倫理原則。被験者の自発的同意を絶対的な要件とした。 ・ヘルシンキ宣言(1964年、世界医師会):人を対象とする医学研究の倫理原則。倫理委員会の審査、インフォームド・コンセントなどを定め、改訂を重ねている。 ・リスボン宣言(1981年、世界医師会):患者の権利に関する宣言。良質の医療を受ける権利、選択の自由、自己決定権、情報を得る権利、守秘の権利などを掲げる。
生命倫理の4原則
自律尊重、無危害、善行(仁恵)、正義(公正)。ヒポクラテスの誓いは主に無危害と善行の考え方を含むが、患者の自己決定を重視する自律尊重の原則は近代以降に確立したものであり、誓いは医師が患者にとって良いことを判断するというパターナリズム(父権主義)的な性格を持つと指摘されることもある。
ヒポクラテスの業績
病気を神の罰や呪いではなく自然現象としてとらえ、観察と経験に基づく医学を築いたことから「医学の父」と呼ばれる。体液病理説(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の4体液の調和で健康が保たれるとする説)を唱えたことでも知られる。
POINT
・ヒポクラテスの誓い:患者の利益のために尽くし、害や不正をなさない、致死薬を与えない、堕胎器具を与えない、秘密を守る、師を敬う。 ・誓いの守秘の一節は医師の守秘義務の原点である。 ・現代版はジュネーブ宣言(世界医師会、1948年)。研究倫理はニュルンベルク綱領・ヘルシンキ宣言、患者の権利はリスボン宣言。
