20年後に曇った角膜―前房レンズが残した「内皮の傷あと」水疱性角膜症
第99回医師国家試験 G問題 第9問
国試問題にチャレンジ
70歳の女性。右眼の眼痛と視力低下とを主訴に来院した。20年前に右眼の白内障手術と前房眼内レンズ挿入術とを受けている。1年前から徐々に視力が低下し,眼痛も出てきている。視力は右0.01(矯正不能),左0.6(矯正不能)。眼圧は右19mmHg,左15mmHg。右眼の前眼部写真を別に示す。 右眼で考えられるのはどれか。

- a.角膜ヘルペス
- b.角膜ジストロフィー
- c.角膜辺縁潰瘍
- d.水疱性角膜症
- e.角膜細菌感染症
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
角膜の透明性は、ほとんど再生しない角膜内皮細胞のポンプ機能によって保たれており、内皮細胞が大きく減ると角膜浮腫・上皮下水疱が生じて水疱性角膜症となります。内眼手術、とくに内皮に近い前房レンズの挿入は長い年月をかけて内皮を減少させる代表的な原因で、術後何年も経ってから緩徐な視力低下・眼痛・角膜のびまん性混濁として現れ、眼圧は正常であることが多いです。角膜ヘルペスは樹枝状潰瘍や円板状角膜炎、角膜辺縁潰瘍は周辺部の潰瘍・菲薄化、細菌性角膜炎は急性の充血・膿性眼脂・浸潤、角膜ジストロフィーは原則両眼性という点で鑑別できます。治療の根本は角膜移植で、現在はDSAEKやDMEKなどの角膜内皮移植が主流です。角膜内皮の生理を理解しておくことは、白内障手術の術前評価や術後合併症の理解にも直結します。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
・70歳女性。右眼の眼痛と視力低下。 ・20年前に右眼の白内障手術を受け、前房に眼内レンズ(前房レンズ:虹彩の前方、角膜と虹彩の間に固定するレンズ)を挿入されている。 ・1年前から徐々に視力が低下し、眼痛も加わった(慢性・進行性の経過)。 ・視力は右0.01で矯正しても改善しない。左は0.6(左も矯正不能であり、加齢性の白内障などが考えられるが、主題は右眼である)。 ・眼圧は右19mmHg、左15mmHgで、いずれも正常範囲(10〜21mmHg)であり、緑内障発作のような高眼圧による疼痛ではない。 ・前眼部写真では、角膜全体がむくんで透明性を失い、すりガラス状に混濁している。
診断へのプロセス
角膜の透明性は、角膜の最内層にある角膜内皮細胞が角膜実質から水分をくみ出す働き(ポンプ機能)によって保たれている。内皮細胞はほとんど再生しないため、手術侵襲や前房内の異物の接触などで数が大きく減ると、角膜実質や上皮に水がたまって角膜浮腫が生じる。上皮下に水疱ができ、それが破れると上皮欠損となって強い眼痛や異物感を生じる。これが水疱性角膜症である。 本症例は、内皮障害の原因として重要な内眼手術歴、とくに内皮を傷めやすい前房レンズの挿入歴があり、長い年月をかけて内皮細胞が減少し、角膜浮腫・混濁と眼痛が徐々に進行したと考えられる。経過が1年と長く、充血や膿性眼脂、角膜潰瘍などの感染を示唆する記載もないことから、感染性角膜炎は考えにくい。
設問の考え方
「内眼手術(とくに前房レンズ)後の数年〜数十年経過」「緩徐な視力低下と眼痛」「角膜のびまん性浮腫・混濁」「眼圧正常」という組み合わせから、角膜内皮機能不全による水疱性角膜症と判断する。
選択肢考察
- ×a. 角膜ヘルペス
単純ヘルペスウイルスによる角膜炎で、上皮型ではフルオレセイン染色で樹枝状(先端が膨らんだ枝分かれ状)の潰瘍、実質型では円板状の実質浮腫・混濁(円板状角膜炎)を呈する。再発を繰り返すのが特徴で、角膜知覚低下も伴う。本症例のような前房レンズ挿入後の緩徐進行性でびまん性の角膜浮腫とは経過・所見が合わない。
- ×b. 角膜ジストロフィー
角膜ジストロフィーは、遺伝子異常により角膜に混濁や変性が生じる疾患群の総称で、通常は両眼性・進行性である。日本では顆粒状角膜ジストロフィーなど実質型が代表的で、角膜に特徴的な形の混濁を示し、眼痛は通常目立たない。なお内皮型のFuchs角膜内皮ジストロフィーは水疱性角膜症の原因となるが、両眼性に生じるのが原則である。本症例は片眼性で、明らかな手術歴という誘因があるため、ジストロフィーは考えにくい。
- ×c. 角膜辺縁潰瘍
角膜辺縁潰瘍は、角膜の周辺部(輪部近く)に潰瘍や菲薄化を生じる病態の総称で、主に次のようなものがある。 ・関節リウマチ、多発血管炎性肉芽腫症などの全身性膠原病・血管炎に伴う周辺部角膜潰瘍(PUK:peripheral ulcerative keratitis)。周辺部がえぐれたように薄くなり、穿孔に至ることもある。 ・Mooren潰瘍:全身疾患を伴わない特発性(自己免疫性と考えられる)の周辺部角膜潰瘍で、強い眼痛を伴い、潰瘍の中心側の縁が掘れ込んだように進行するのが特徴である。膠原病に伴うPUKとは区別される。 ・カタル性角膜潰瘍:眼瞼縁のブドウ球菌に対する免疫反応により、輪部との間に透明帯を残して周辺部に浸潤・潰瘍を生じる。 いずれも病変は角膜周辺部が主体であり、本症例のような角膜全体のびまん性浮腫・混濁とは異なる。
- ○d. 水疱性角膜症
角膜内皮細胞の減少によりポンプ機能が破綻し、角膜全体の浮腫・混濁と上皮下水疱を生じた状態である。原因として白内障手術などの内眼手術が最も多く、なかでも前房レンズは角膜内皮に近い位置にあり、接触や慢性炎症によって内皮細胞を減少させやすい。そのため現在では前房レンズはほとんど用いられず、水晶体嚢内に固定する後房レンズが標準となっている。本症例の手術歴、緩徐な視力低下と眼痛、角膜のびまん性混濁、正常眼圧はすべてこれに合致する。
- ×e. 角膜細菌感染症
細菌性角膜炎は、コンタクトレンズ装用や外傷などを契機に急性に発症し、強い充血、眼痛、膿性眼脂、角膜の浸潤・潰瘍、前房蓄膿などを伴う。起炎菌(緑膿菌、肺炎球菌、ブドウ球菌など)によって、小さな斑状の混濁から角膜全体に及ぶ強い混濁まで病像はさまざまだが、1年かけて徐々に進行する本症例の経過とは合わない。
角膜の構造と角膜内皮
角膜は外側から上皮、Bowman膜、実質、Descemet膜、内皮の5層からなる。内皮細胞は一層の細胞で、ヒトではほとんど分裂・再生しない。健常成人の内皮細胞密度はおおむね2,500〜3,000個/mm²で、加齢とともに徐々に減少する。細胞が減ると残った細胞が大きく広がって補うが、密度が著しく低下(目安としておよそ500個/mm²以下)すると角膜の水分を保てなくなり、浮腫が生じる。内皮細胞密度はスペキュラーマイクロスコープで測定する。
水疱性角膜症の主な原因
・内眼手術:白内障手術(とくに前房レンズ挿入)、緑内障手術、角膜移植後など。 ・Fuchs角膜内皮ジストロフィー(両眼性、中高年女性に多い)。 ・レーザー虹彩切開術後(閉塞隅角緑内障の治療後、日本で比較的多い原因)。 ・外傷、ぶどう膜炎、急性緑内障発作の既往など。
症状
視力低下(朝方に強く、日中は角膜表面からの水分蒸発で改善することがある)、霧視、上皮下水疱の破綻による眼痛・異物感・流涙・羞明。
治療
・保存的治療:高張食塩水の点眼・眼軟膏、治療用ソフトコンタクトレンズ(疼痛緩和)。 ・根本治療は角膜移植。現在は、病的な内皮層だけを入れ替える角膜内皮移植(DSAEK、DMEKなど)が主流であり、全層角膜移植に比べて術後乱視や拒絶反応が少ない。培養角膜内皮細胞の注入療法も実用化されつつある。
POINT
・角膜の透明性は角膜内皮のポンプ機能で保たれ、内皮細胞はほとんど再生しない。 ・内眼手術(とくに前房レンズ)後に緩徐な視力低下・眼痛・角膜浮腫混濁 → 水疱性角膜症。 ・前房レンズは内皮障害を起こしやすく、現在は後房レンズが標準。 ・治療の基本は角膜内皮移植(DSAEK、DMEK)などの角膜移植。 ・角膜ヘルペス=樹枝状潰瘍・円板状角膜炎、角膜辺縁潰瘍=周辺部の菲薄化・潰瘍(膠原病随伴のPUK、特発性のMooren潰瘍など)。
