膨らんだ膀胱が「漏れる」理由―向精神薬が招く溢流性尿失禁
第99回医師国家試験 A問題 第37問
国試問題にチャレンジ
50歳の女性。半年前からの頻尿と尿失禁とのため来院した。3年前からうつ症状があり,複数の向精神薬を服用している。下腹部正中に緊満した半球状の腫瘤を触知する。 尿失禁のタイプで可能性が最も高いのはどれか。
- a.切迫性
- b.真性
- c.腹圧性
- d.機能性
- e.溢流性
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
下腹部正中に緊満した半球状の腫瘤を触れ、頻尿や尿失禁を伴う場合は、尿閉で過伸展した膀胱と、そこから尿が溢れ出る溢流性尿失禁を考えます。三環系抗うつ薬や抗精神病薬、抗パーキンソン病薬などの抗コリン作用は、M3受容体を介した排尿筋の収縮を弱め、女性でも尿閉の原因になります。切迫性・腹圧性・真性・機能性尿失禁では膀胱は緊満しないため、「残尿の有無」が鑑別の決め手です。治療は導尿で膀胱を空にしたうえで原因薬剤を見直すことであり、残尿を確認せずに抗コリン薬を追加すると悪化させかねません。尿失禁を漏れ方と残尿の両面から整理し、服薬歴を確認する姿勢は、日常診療で薬剤性の排尿障害を見逃さないための基本になります。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・50歳女性、半年前からの頻尿と尿失禁。 ・3年前からうつ症状があり、複数の向精神薬を服用している。 ・下腹部正中に緊満した半球状の腫瘤を触知する。
診断へのプロセス
下腹部正中にある緊満した半球状の腫瘤は、尿で過度に膨らんだ膀胱(膀胱の過伸展)と考えるのが最も自然である。子宮筋腫や卵巣腫瘍なども下腹部腫瘤となりうるが、頻尿・尿失禁という排尿症状と結びつけると、まず尿閉による膀胱の充満を疑う。確認には導尿で大量の尿が出て腫瘤が消えること、または超音波で残尿量を測ることが有用である。 尿閉の原因として注目すべきは向精神薬の服用である。三環系抗うつ薬や一部の抗精神病薬、抗コリン性の抗パーキンソン病薬(薬剤性パーキンソニズムに対して併用されることが多い)などは抗コリン作用をもつ。膀胱の収縮を担う排尿筋はアセチルコリンがムスカリン受容体(主にM3)に作用して収縮するため、抗コリン作用により排尿筋の収縮力が弱まり、排尿が困難になる。女性では前立腺肥大症のような機械的閉塞がないため、薬剤性の排尿筋収縮障害を真っ先に考えるべき状況である。 膀胱が限界まで尿で満たされると、膀胱内圧が尿道の抵抗(閉鎖圧)を上回った分だけ、尿が少量ずつ漏れ出てくる。これが溢流性尿失禁である。1回の排出量が少ないため、患者は頻尿として自覚することが多い。
設問の考え方
尿失禁のタイプは、「どういう状況で漏れるか」と「膀胱に尿が溜まっているか(残尿の有無)」で整理する。残尿が多く膀胱が膨らんでいる状態で尿が漏れるのは溢流性尿失禁の特徴であり、他のタイプでは膀胱は緊満しない。
選択肢考察
- ×a. 切迫性
急に強い尿意(尿意切迫感)が起こり、トイレまで我慢できずに漏れてしまうタイプである。排尿筋が蓄尿中に不随意に収縮すること(排尿筋過活動)が主な機序で、過活動膀胱、脳血管障害などの中枢神経疾患、膀胱炎などでみられる。膀胱は早い段階で収縮して尿を出してしまうため、大量の尿が溜まって膀胱が緊満することはない。本例の緊満した膀胱とは合致しない。なお、抗コリン薬は過活動膀胱の治療薬であり、むしろ切迫性尿失禁を抑える方向に働く。
- ×b. 真性
尿意や膀胱内の尿量と無関係に、尿が持続的に漏れ続ける状態である。尿道括約筋の高度な損傷(骨盤手術後や外傷など)で膀胱に尿を保持できない場合のほか、膀胱腟瘻などの尿路の瘻孔、尿管が括約筋より遠位の尿道や腟に開口する尿管異所開口(先天奇形)でも起こる(瘻孔や異所開口によるものは尿道外尿失禁として区別することもある)。膀胱に尿が溜まらないため膀胱が緊満することはなく、本例とは合致しない。治療は原因に応じた外科的修復である。
- ×c. 腹圧性
咳・くしゃみ・笑う・重い物を持つ・立ち上がるなど、腹圧が急に上がったときに膀胱内圧が尿道の閉鎖圧を上回って漏れるタイプである。出産や加齢、閉経による骨盤底筋群の脆弱化や尿道の支持組織の弛緩が原因で、中高年女性に最も多い尿失禁である。男性では前立腺全摘除術後にみられる。膀胱の排出機能は保たれているので残尿は少なく、膀胱が緊満することはない。治療は骨盤底筋訓練、薬物療法、尿道スリング手術(TVT、TOTなど)である。
- ×d. 機能性
膀胱や尿道の機能そのものは正常であるのに、認知症で排尿動作やトイレの場所がわからない、身体障害で移動や衣服の着脱に時間がかかる、などの理由でトイレに間に合わず漏れるタイプである。高齢者や要介護者に多く、対策はトイレ誘導、ポータブルトイレや尿器の設置、環境整備などである。本例は下部尿路に異常があり膀胱が緊満しているので、機能性尿失禁ではない。
- ○e. 溢流性
尿がうまく排出できず膀胱内に大量の尿が溜まった状態(慢性尿閉)で、膀胱内圧が尿道抵抗を超えた分の尿が少しずつ溢れ出るタイプである。本当は排尿できない状態なのに尿が漏れるため、奇異性尿失禁(paradoxical incontinence)とも呼ばれる。原因は、前立腺肥大症や尿道狭窄などの下部尿路閉塞と、糖尿病性神経障害・骨盤内手術後・抗コリン作用をもつ薬剤などによる排尿筋の収縮力低下(低活動膀胱)である。本例では、向精神薬の抗コリン作用で排尿筋の収縮が弱まり尿閉となったと考えられ、下腹部正中の緊満した半球状腫瘤は過伸展した膀胱である。少量ずつしか漏れないため頻尿として自覚される。治療はまず導尿で膀胱を空にし、原因薬剤の中止・変更を検討する。改善しなければ間欠的自己導尿などを行う。
尿失禁の主なタイプ
・腹圧性尿失禁:腹圧上昇時に漏れる。骨盤底筋群の脆弱化。中高年女性に最多。残尿なし。 ・切迫性尿失禁:強い尿意とともに我慢できずに漏れる。排尿筋過活動。過活動膀胱、脳血管障害など。残尿なし(少量)。 ・混合性尿失禁:腹圧性と切迫性の合併。女性に多い。 ・溢流性尿失禁:慢性尿閉で溢れ出る。下部尿路閉塞や排尿筋低活動。残尿が多く、膀胱が緊満する。 ・機能性尿失禁:下部尿路機能は正常だが、認知機能や運動機能の障害でトイレに間に合わない。 ・真性尿失禁:尿の保持ができず持続的に漏れる。括約筋の高度損傷、瘻孔、尿管異所開口など。
抗コリン作用をもつ代表的薬剤
三環系抗うつ薬(アミトリプチリン、イミプラミンなど)、フェノチアジン系などの抗精神病薬、抗パーキンソン病薬(トリヘキシフェニジル、ビペリデン)、第一世代抗ヒスタミン薬、鎮痙薬(ブチルスコポラミン)、過活動膀胱治療薬などがある。これらは排尿障害・尿閉、口渇、便秘、閉塞隅角緑内障の悪化などの副作用をもつ。高齢男性で前立腺肥大症がある場合は特に尿閉をきたしやすい。
排尿の神経支配
・副交感神経(骨盤神経、S2〜S4):アセチルコリン→ムスカリン受容体(M3)で排尿筋を収縮させる(排尿)。 ・交感神経(下腹神経、Th11〜L2):膀胱体部のβ3受容体で排尿筋を弛緩させ、膀胱頸部・尿道のα1受容体で収縮させる(蓄尿)。 ・体性神経(陰部神経、S2〜S4):外尿道括約筋を収縮させる(蓄尿)。
POINT
・下腹部正中の緊満した半球状腫瘤+尿失禁 → 尿閉による膀胱の過伸展 → 溢流性尿失禁。 ・向精神薬(特に三環系抗うつ薬、抗精神病薬、抗パーキンソン病薬)の抗コリン作用は排尿筋の収縮を弱め、尿閉の原因となる。 ・溢流性尿失禁は残尿が多く、「頻尿」として訴えられることがある。治療は導尿と原因(薬剤・閉塞)の除去。 ・腹圧性・切迫性・機能性・真性尿失禁では膀胱は緊満しない。
