「12時間の空白」をどう伝えるか―実害のないインシデントに指導医がかけるべき一言
第120回医師国家試験 E問題 第39問
国試問題にチャレンジ
78歳の女性。感染性心内膜炎の治療のため入院中である。血液培養2セットからGram陽性球菌が検出され,広域抗菌薬を1日3回(8時間ごと)点滴静注していた。入院5日目に薬剤感受性試験でペニシリン系抗菌薬に感受性があることが判明したため,指導医は,抗菌薬をペニシリン系抗菌薬に変更するよう病棟担当医に指示した。しかし,病棟担当医が抗菌薬変更のオーダー入力を失念し,かつ,広域抗菌薬のオーダーが入院6日目の朝までとなっていたため,入院6日目の夜勤の看護師が気付くまでの約12時間,抗菌薬投与が行われなかった。患者は,意識は清明で,全身状態に変化はなく,その後,速やかにペニシリン系抗菌薬の投与が開始された。 指導医から病棟担当医への言葉として適切なのはどれか。
- a.「医療安全管理部門に報告しましょう」
- b.「院外の医療事故調査委員会に報告しましょう」
- c.「患者への影響はなかったので患者への説明は控えましょう」
- d.「速やかに対応したので診療録に記載する必要はありません」
- e.「あなたの問題なので私はインシデントレポートを書けません」
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
患者に明らかな実害がなかった投与漏れはインシデント(ヒヤリ・ハット)に当たり、院内の医療安全管理部門に報告するのが原則です。報告の目的は個人の責任追及ではなく、原因分析と再発防止であり、当事者に限らず関係者や発見者なら誰でもインシデントレポートを書けます。院外の医療事故調査・支援センターへの報告対象は、医療に起因する(疑いを含む)予期しない死亡・死産であり、本例は該当しません。また、実害がなくても患者には事実を誠実に説明し、経過と対応を診療録に正確に記録する必要があります(医師法第24条)。ハインリッヒの法則が示すように、小さなヒヤリ・ハットを組織で共有して仕組みを改善することが、重大事故を防ぐ医療安全の土台になります。
解答・解説
正解はaです
事例の整理
・78歳の女性。感染性心内膜炎の治療で入院中である。血液培養2セットからGram陽性球菌が検出され、まず広域抗菌薬を8時間ごとに点滴静注していた(原因菌が確定する前に、想定される菌を広くカバーする経験的治療)。 ・入院5日目に、薬剤感受性試験でペニシリン系抗菌薬が効くことがわかった。指導医は、抗菌薬をより狭い範囲に効くペニシリン系へ変更するよう病棟担当医に指示した。広域抗菌薬から、感受性に合わせた狭域抗菌薬に切り替えることをde-escalationという。 ・病棟担当医が変更オーダーの入力を忘れた。さらに広域抗菌薬のオーダーが6日目の朝で終わっていたため、夜勤看護師が気付くまで約12時間、抗菌薬が投与されなかった。 ・患者の意識は清明で全身状態に変化はなく、その後すぐにペニシリン系抗菌薬が始まった。
この事象の位置づけ
指示どおりの治療が行われなかったという、医療上の誤り(投与漏れ)である。現時点で患者に明らかな健康被害は起きていないため、医療事故(アクシデント)ではなく、インシデント(ヒヤリ・ハット事例)として扱う。ただし、感染性心内膜炎は長期間、確実に抗菌薬を投与し続けることが治療の基本である。約12時間の中断は患者を不利益の危険にさらした出来事であり、今後も経過を注意深くみる必要がある。
設問の考え方
医療安全の基本原則に照らして、指導医が病棟担当医にかけるべき言葉を選ぶ。原則は次の4つである。 ①実害がなくても、インシデントは組織(医療安全管理部門)に報告する。 ②報告の目的は個人の責任追及ではなく、仕組みの問題を見つけて再発を防ぐことである。 ③患者・家族には事実を誠実に説明する。 ④起きたことと行った対応を、診療録に正確に記録する。 この原則に合う言葉を選べばよい。本例では、口頭指示がオーダーに反映されなかったこと、オーダーの期限切れに気付く仕組みがなかったことなど、個人の不注意だけでなく、システムとして改善すべき点もある。
選択肢考察
- ○a. 「医療安全管理部門に報告しましょう」
正しい。患者への実害がなかったインシデントでも、病院内の医療安全管理部門(医療安全管理室など)に報告するのが原則である。インシデントの報告を集めて分析すると、事故につながる前の段階で仕組みの弱点がわかる。本例では、指示がオーダーに反映されたかを確認する手順や、抗菌薬オーダーの期限切れを知らせる仕組みなどを見直すきっかけになる。報告によって再発防止策を組織全体で共有することが、医療安全の基本である。
- ×b. 「院外の医療事故調査委員会に報告しましょう」
誤り。医療法に基づく医療事故調査制度(2015年開始)が対象とするのは、提供した医療が原因となった、または原因と疑われる死亡・死産のうち、管理者が予期しなかったものである。この場合、医療機関の管理者が第三者機関である医療事故調査・支援センターに報告し、院内で調査を行う。重大な事故の調査のための委員会も、原則として院内に設けられる。本例は死亡事例ではなく、患者への実害もないインシデントなので、院外の機関へ報告する場面ではない。まず院内の医療安全管理部門に報告する。
- ×c. 「患者への影響はなかったので患者への説明は控えましょう」
誤り。結果として明らかな影響がなかったとしても、予定された抗菌薬が約12時間投与されず、患者は治療上の不利益を受ける危険にさらされた。患者は意識清明で、説明を理解できる状態にある。医療者には誠実に説明する責任があり、起きた事実、現在の状態、今後の対応や経過観察の方針を伝えるべきである。説明を避けることは事実を隠すことにつながり、患者との信頼関係を大きく損なう。
- ×d. 「速やかに対応したので診療録に記載する必要はありません」
誤り。診療録(カルテ)は、行った診療を正確に残す法的な記録である。医師法第24条は、医師に診療内容を遅滞なく記録することを義務づけている。抗菌薬の投与が中断した事実、その時間、気付いた経緯、その後の対応と患者の状態は、すべて事実のまま記載しなければならない。正確な記録は、今後の診療の判断材料になるとともに、患者や医療者を守る根拠にもなる。
- ×e. 「あなたの問題なので私はインシデントレポートを書けません」
誤り。インシデントレポートは、当事者に限らず、事象に関わった人や気付いた人なら誰でも書ける。職種も問わない。目的は個人の責任を追及することではなく、組織で原因を分析して再発を防ぐことにある。本例は指導医の指示がきっかけで起きた事象であり、指導医自身も関係者である。また、問題を個人のせいにして突き放す言い方は、報告しにくい雰囲気を生み、医療安全の文化を損なう。
医療安全に関する主な用語
・インシデント(ヒヤリ・ハット):誤った医療行為などが患者に実施される前に発見された事例、または実施されたが結果として患者に実害がなかった(あっても軽微だった)事例。 ・アクシデント(医療事故):医療の過程で患者に何らかの被害が生じた事例。医療者に過失がない場合も含む。 ・医療過誤:医療事故のうち、医療者の過失によって起きたもの。 ・患者への影響の大きさは、レベル0(実施前に発見)からレベル5(死亡)までの段階で分類されることが多い。
インシデントレポートの考え方
・目的は、原因分析と再発防止(システムの改善)であり、懲罰ではない。 ・当事者、関係者、発見者など誰でも報告できる。 ・ハインリッヒの法則(1件の重大事故の陰に29件の軽い事故、300件のヒヤリ・ハットがある)が示すように、ヒヤリ・ハットを集めて分析することが重大事故の予防につながる。 ・医療安全では、人は誤りを犯すものという前提で、個人を責めずに仕組みを改善する考え方が重視される。
医療事故調査制度(医療法、2015年10月施行)
・対象:医療に起因し、または起因すると疑われる死亡または死産で、管理者が予期しなかったもの。 ・流れ:医療機関の管理者が医療事故調査・支援センター(第三者機関)に報告し、院内調査を行い、その結果を同センターに報告するとともに遺族に説明する。 ・目的は再発防止であり、個人の責任追及ではない。
本事例の再発防止策の例
・指示を受けたら、その場でオーダーを入力し、入力を確認する。指示を出した医師が入力内容を確認する手順を設ける。 ・抗菌薬など、中断してはならない薬のオーダーの終了・期限切れを、電子カルテが警告する仕組みを導入する。 ・医師・看護師・薬剤師で投与予定を相互に確認する。
感染性心内膜炎の抗菌薬治療
原因菌と薬剤感受性が判明したら、より効果的で狭い範囲に効く抗菌薬に切り替える(de-escalation)。治療は殺菌的な抗菌薬を十分量、通常4~6週間程度と長期に続ける必要があり、投与の中断は治療の失敗や耐性菌の出現につながるおそれがある。
POINT
・患者に実害のないインシデントでも、院内の医療安全管理部門に報告する。 ・インシデントレポートの目的は再発防止であり、個人の責任追及ではない。当事者でなくても誰でも報告できる。 ・医療事故調査・支援センターへの報告対象は、医療に起因する(疑いを含む)予期しない死亡・死産である。 ・患者には事実を誠実に説明し、隠さない。 ・起きた事実と対応は、診療録に正確に記録する(医師法第24条)。
