包丁は使えるのに料理ができない―前交通動脈瘤破裂が残す「段取りの障害」
第120回医師国家試験 A問題 第33問
国試問題にチャレンジ
68歳の女性。1か月前に前交通動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症し,開頭クリッピング術を受けた。意識は清明で,明らかな麻痺は認めない。食事,整容,更衣,移動,排尿および排便は自立している。家族や友人を認識して穏やかに話すことができる。包丁は使えるが,段取りが悪くなり,順序立てて調理ができなくなった。 この患者の高次脳機能障害で最も考えられるのはどれか。
- a.失行
- b.失語
- c.失認
- d.せん妄
- e.遂行機能障害
対話形式の解説
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ドクターまとめ
遂行機能障害とは、目標を設定し、計画を立て、手順どおりに実行し、必要に応じて修正するという一連の能力の障害で、言語・認知・個々の動作が保たれていても目的を達成する作業がうまくいかなくなります。「包丁は使えるが調理の段取りが組めない」は失行ではなく遂行機能障害の典型像であり、会話可能なら失語、人物がわかるなら失認、意識清明ならせん妄を、それぞれ否定できます。責任病巣は前頭葉(前頭前野)で、前交通動脈瘤破裂は前頭葉底面・内側面や前脳基底部を障害しやすく、記憶障害や作話、人格変化を伴うこともあります。ADLが自立していても家事や仕事で困難が生じる「見えない障害」であるため、症状を要素ごとに切り分けて評価し、リハビリや社会的支援につなげる視点が重要です。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・68歳の女性。1か月前に前交通動脈瘤の破裂によるくも膜下出血を起こし、開頭クリッピング術を受けた。 ・意識は清明で、明らかな麻痺はない。 ・食事、整容、更衣、移動、排泄といった基本的な日常生活動作(ADL)はすべて自立している。 ・家族や友人を見分けられ、穏やかに会話できる。 ・包丁という道具そのものは使えるが、段取りが悪くなり、手順を組み立てて調理を進めることができなくなった。
病変部位の推定
前交通動脈は左右の前大脳動脈をつなぐ血管で、前頭葉の底面(眼窩面)や内側面、前脳基底部の近くに位置する。前交通動脈瘤の破裂では、脳内への血腫、脳血管攣縮による前大脳動脈領域の梗塞、前交通動脈から出る細い穿通枝の障害、手術時の前頭葉の圧排などにより、これらの部位が損傷されやすい。前頭葉、特に前頭前野は、目標を立てて計画し、手順どおりに実行し、結果を確かめて修正するという「遂行機能」を担っている。
設問の考え方
高次脳機能障害の各類型を、症状のどこに問題があるかで切り分ける。会話ができる→言語は保たれている。人物がわかる→認知は保たれている。意識清明→せん妄ではない。包丁が使え、更衣などのADLも自立→個々の動作や道具の使用は保たれている。障害されているのは、一つひとつはできる動作を目的に向けて順序立てて組み合わせる能力であり、遂行機能障害と判断できる。調理は、献立を決める、材料を準備する、複数の工程を並行して時間配分を考えながら進める、といった計画性が求められる作業であり、遂行機能障害が表れやすい代表的な場面である。
選択肢考察
- ×a. 失行
失行は、麻痺や感覚障害、理解の障害がなく、何をすべきかもわかっているのに、目的に沿った動作ができない状態である。道具の使い方がわからなくなる観念失行、パントマイムや身振りの模倣ができなくなる観念運動失行、服を正しく着られない着衣失行、図形の模写や組み立てができない構成失行などがあり、主に優位半球(多くは左)の頭頂葉の病変で起こる(着衣失行・構成失行は右頭頂葉病変でも生じる)。本例は包丁を使え、更衣も自立しているため、失行は考えにくい。問題は個々の動作ではなく、動作の順序立てにある。
- ×b. 失語
失語は、いったん獲得した言語の理解・表出(話す、聞いて理解する、読む、書く)が脳の損傷によって障害された状態である。発語が非流暢になるBroca失語(左前頭葉下部)、流暢だが理解が障害されるWernicke失語(左側頭葉上部)などがある。本例は家族や友人と穏やかに会話できており、失語は否定的である。
- ×c. 失認
失認は、視覚や聴覚などの感覚そのものは保たれているのに、その感覚を通して対象が何かを認識できない状態である。見慣れた顔がわからない相貌失認(主に右後頭側頭葉)、物を見ても何かわからない視覚性物体失認、左側の空間を無視する半側空間無視(右頭頂葉)などがある。本例は家族や友人を認識できており、失認を示す所見はない。
- ×d. せん妄
せん妄は、身体疾患、薬剤、手術などを背景に急に発症する軽度の意識障害で、注意の障害、見当識障害、幻覚、興奮などを伴い、症状が1日の中で変動し夜間に悪化しやすい。本例は意識清明で穏やかに会話でき、術後1か月にわたる持続的な症状であることからもせん妄ではない。また、せん妄は意識障害であり、脳の局所損傷による高次脳機能障害の類型とは区別される。
- ○e. 遂行機能障害
遂行機能とは、目標を設定し、計画を立て、手順に沿って効率よく実行し、うまくいかなければ修正する、という一連の能力である。遂行機能障害では、言語、記憶、個々の動作などの要素的な能力は保たれていても、それらを組み合わせて目的を達成することができない。本例は包丁を使えるのに調理の段取りが組めなくなっており、典型的である。前頭葉(前頭前野)の損傷で生じ、前交通動脈瘤破裂によるくも膜下出血は前頭葉底面・内側面を障害しやすいため、遂行機能障害の原因として代表的である。
高次脳機能障害の主な類型と責任病巣
・失語:優位半球(多くは左)の言語野。Broca野(前頭葉下部)、Wernicke野(側頭葉上部)など。 ・失行:主に優位半球頭頂葉(観念失行・観念運動失行)。着衣失行・構成失行は右頭頂葉でも。 ・失認:視覚性失認・相貌失認は後頭側頭葉、半側空間無視は右頭頂葉。 ・記憶障害:海馬などの側頭葉内側、視床、前脳基底部。 ・注意障害:前頭葉をはじめ広範な病変。 ・遂行機能障害:前頭葉(前頭前野)。 ・社会的行動障害(感情のコントロール不良、意欲低下、こだわりなど):前頭葉、特に眼窩面・内側面。
前交通動脈瘤破裂後の高次脳機能障害
前交通動脈瘤は脳動脈瘤の好発部位の一つである。破裂後には前頭葉底面・内側面や前脳基底部が障害されやすく、遂行機能障害のほか、記憶障害(新しいことを覚えられない)、作話(記憶の欠落を事実でない話で埋める)、意欲低下や人格変化などを生じることがある。これらの組み合わせは前交通動脈症候群と呼ばれることがある。
行政上の「高次脳機能障害」
医学的には失語・失行・失認なども高次脳機能障害に含まれるが、厚生労働省の高次脳機能障害支援モデル事業で定められた診断基準では、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害を主な症状とするものを「高次脳機能障害」と定義している。これらは外見からわかりにくく「見えない障害」と呼ばれ、精神障害者保健福祉手帳の対象となる。一方、失語症は身体障害者手帳(音声・言語機能障害)の対象となりうる。
遂行機能の評価法の例
BADS(遂行機能障害症候群の行動評価)、ウィスコンシンカード分類検査、Trail Making Test(TMT)、語流暢性課題などが用いられる。
POINT
・遂行機能障害=目標を立て、計画し、順序立てて実行・修正する能力の障害。個々の動作や言語・認知は保たれる。責任病巣は前頭葉(前頭前野)。 ・「道具は使えるが段取りが組めない」は失行ではなく遂行機能障害。 ・前交通動脈瘤破裂は前頭葉底面・内側面を障害しやすく、遂行機能障害や記憶障害・作話の原因となる。 ・会話可能→失語なし、人物を認識→失認なし、意識清明→せん妄なし、と一つずつ除外する。
