鼠径部の地図を描けるか―「NAV」と鼠径靱帯で守る大腿静脈穿刺
第119回医師国家試験 F問題 第2問
国試問題にチャレンジ
大腿静脈の周辺臓器の解剖で誤っているのはどれか。
- a.鼠径靱帯は坐骨結節に付着する。
- b.鼠径靱帯の頭側には後腹膜腔がある。
- c.縫工筋は大腿三角の一辺を構成する。
- d.大腿静脈は大腿動脈の内側を走行する。
- e.大腿神経は大腿動脈の外側を走行する。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
鼠径靱帯は外腹斜筋腱膜の下縁が肥厚したもので、上前腸骨棘と恥骨結節に付着し、坐骨結節には付きません。鼠径靱帯の頭側では大腿動静脈が外腸骨動静脈となって後腹膜腔を走るため、高位穿刺による出血は圧迫しにくい後腹膜血腫となり、出血性ショックの原因となりえます。大腿三角は鼠径靱帯・縫工筋・長内転筋で囲まれ、内部は外側から大腿神経・大腿動脈・大腿静脈(NAV)の順に並び、神経は筋裂孔、動静脈は血管裂孔を通ります。この位置関係は、拍動の内側を鼠径靱帯より尾側で穿刺するという大腿静脈穿刺の基本や、神経損傷・後腹膜血腫といった合併症の予防、鼠径ヘルニアと大腿ヘルニアの鑑別に直結するため、手技の安全を支える知識として確実に押さえておきたい領域です。
解答・解説
正解はaです
本問は、中心静脈カテーテル挿入や大腿動脈穿刺(採血、血管造影、カテーテル治療のアクセス)の際に必須となる鼠径部の局所解剖を問う問題である。「誤っているのはどれか」という形式なので、解剖学的に正しくない記述を一つ選ぶ。
考え方の軸
(1) 鼠径靱帯の付着部(上前腸骨棘と恥骨結節) (2) 鼠径靱帯を境とした上下の空間(頭側は腹腔・後腹膜腔へ、尾側は大腿三角へ続く) (3) 大腿三角を構成する3辺(鼠径靱帯・縫工筋・長内転筋) (4) 大腿三角内での神経・動脈・静脈の並び(外側から N-A-V、内側から V-A-N) この4点を整理しておけば、すべての選択肢を判断できる。
臨床とのつながり
大腿静脈穿刺では、鼠径靱帯より2〜3 cm 程度尾側で大腿動脈の拍動を触れ、そのすぐ内側を穿刺するのが基本である。鼠径靱帯より頭側で穿刺すると外腸骨動静脈を損傷するおそれがあり、出血は後腹膜腔に広がるため体表から圧迫止血しにくく、気付かれにくい後腹膜血腫となって出血性ショックを来しうる。また外側を深く穿刺しすぎると大腿神経を損傷しうる。解剖の知識がそのまま合併症予防に直結する領域である。
選択肢考察
- ○a. 鼠径靱帯は坐骨結節に付着する。
誤った記述であり、これが正解である。鼠径靱帯は外腹斜筋腱膜の下縁が肥厚・折れ返ってできた索状の構造で、外側端は上前腸骨棘、内側端は恥骨結節に付着する。坐骨結節は骨盤の後下方にあり、座ったときに体重を支える部位で、大腿二頭筋長頭・半腱様筋・半膜様筋(ハムストリングス)や仙結節靱帯が付着する。坐骨結節は鼠径部の前面にある鼠径靱帯とは位置がまったく異なる。「恥骨結節」と「坐骨結節」の取り違えを狙った選択肢である。
- ×b. 鼠径靱帯の頭側には後腹膜腔がある。
正しい記述である。後腹膜腔は壁側腹膜と腹壁内面の筋膜(横筋筋膜など)との間の腔で、背側に限らず骨盤腔の前下方まで連続している。大腿動静脈は鼠径靱帯の下(血管裂孔)をくぐって頭側に入ると外腸骨動静脈と名前を変えるが、これらは後腹膜腔を走る後腹膜器官である。したがって鼠径靱帯の頭側で血管を傷つけると、出血は後腹膜腔に広がり後腹膜血腫を生じる。大腿血管の穿刺を鼠径靱帯より尾側で行うべき理由はここにある。
- ×c. 縫工筋は大腿三角の一辺を構成する。
正しい記述である。大腿三角(スカルパ三角)は、上辺が鼠径靱帯、外側辺が縫工筋の内側縁、内側辺が長内転筋の外側縁で囲まれた三角形の領域である。底面(床)は外側から腸腰筋と恥骨筋で構成され、天井は大腿筋膜(篩状筋膜を含む)である。この三角の中を大腿神経・大腿動脈・大腿静脈が走り、大腿管(大腿ヘルニアの通り道)や深鼠径リンパ節も含まれる。
- ×d. 大腿静脈は大腿動脈の内側を走行する。
正しい記述である。大腿三角内では、外側から大腿神経(Nerve)、大腿動脈(Artery)、大腿静脈(Vein)の順に並び、「NAV」、内側から読めば「VAN」と覚える。さらに静脈の内側には大腿管(リンパ管・リンパ節を含む空間)があるため、内側から「VAN の次に空所(Empty space)」と覚える方法もある。大腿静脈穿刺では、動脈の拍動を指で確認し、その約1 cm 内側を穿刺するのはこの位置関係による。
- ×e. 大腿神経は大腿動脈の外側を走行する。
正しい記述である。鼠径靱帯と寛骨との間の隙間は腸恥筋膜弓によって外側の筋裂孔と内側の血管裂孔に分けられる。大腿神経は腸腰筋(腸骨筋・大腰筋)とともに筋裂孔を通り、大腿動静脈は血管裂孔を通るため、大腿神経は大腿動脈の外側に位置する。大腿神経は大腿動静脈を包む大腿鞘の外にある。大腿動脈穿刺で針を外側へ向けすぎると大腿神経を損傷し、大腿四頭筋の筋力低下や大腿前面〜下腿内側(伏在神経領域)の感覚障害を生じうる。
鼠径靱帯
外腹斜筋腱膜の下縁が肥厚したもので、上前腸骨棘から恥骨結節に張る。内側端付近から裂孔靱帯(ジンベルナート靱帯)が後方へ広がる。鼠径靱帯の上方には鼠径管(男性では精索、女性では子宮円索が通る)があり、鼠径ヘルニアは鼠径靱帯の頭側、大腿ヘルニアは尾側(大腿輪〜大腿管)に脱出する。
筋裂孔と血管裂孔
鼠径靱帯と寛骨の間は腸恥筋膜弓により2つに分けられる。 ・筋裂孔(外側):腸腰筋、大腿神経、外側大腿皮神経が通る。 ・血管裂孔(内側):外側から大腿動脈、大腿静脈、さらに内側の大腿輪(大腿管の入口)が並ぶ。陰部大腿神経の大腿枝も通る。
大腿三角(スカルパ三角)
・上辺:鼠径靱帯 ・外側辺:縫工筋の内側縁 ・内側辺:長内転筋の外側縁 ・床:腸腰筋、恥骨筋(長内転筋の一部も含む) ・内容:大腿神経、大腿動脈、大腿静脈、大腿管、深鼠径リンパ節 大腿三角の尖端から下方は内転筋管(ハンター管)に続き、大腿動静脈と伏在神経がここを通る。大伏在静脈は伏在裂孔を通って大腿静脈に注ぐ。
後腹膜腔と外腸骨血管
外腸骨動静脈は鼠径靱帯の下を通過すると大腿動静脈となる。外腸骨血管は後腹膜腔にあるため、鼠径靱帯より頭側での穿刺や高位穿刺後の出血は後腹膜血腫となる。後腹膜血腫では、体表の腫脹が目立たないまま血圧低下、腰背部痛、ヘモグロビン値の低下で気付かれることが多く、診断には CT が有用である。
POINT
・鼠径靱帯は上前腸骨棘と恥骨結節を結ぶ(坐骨結節ではない)。 ・大腿三角は鼠径靱帯・縫工筋・長内転筋で囲まれる。 ・大腿三角内は外側から神経・動脈・静脈(NAV)、内側から VAN の順に並ぶ。 ・大腿神経は筋裂孔を、大腿動静脈は血管裂孔を通る。 ・鼠径靱帯の頭側は後腹膜腔に続き、ここで血管を損傷すると後腹膜血腫を来す。大腿血管の穿刺は鼠径靱帯より尾側で行う。
