「遅く・鈍く・冷たく」―甲状腺機能低下症が奪う、もの忘れの正体
第108回医師国家試験 B問題 第54問(連問)
国試問題にチャレンジ
連問の共通文
次の文を読み,53~55の問いに答えよ。 74歳の女性。意欲低下と全身倦怠感とを主訴に来院した。 現病歴:3年前に夫を亡くし,そのころから意欲低下を自覚するようになったが誰にも相談しなかった。3か月前から意欲低下がこれまでより増悪し,全身倦怠感も徐々に出現した。一昨日,転倒して尻もちをついた。昨日,腰痛も自覚したためかかりつけ医を受診し,カルシトニンの筋肉注射を受け,さらに精査のため紹介されて受診した。 既往歴:68歳で脂質異常症と骨粗鬆症とを指摘され,HMG-CoA還元酵素阻害薬と活性型ビタミンDとを服用中である。 生活歴:3年前から一人暮らし。喫煙歴と飲酒歴とはない。 家族歴:夫が心筋梗塞のため75歳で死亡。妹が脂質異常症で治療中。 現症:意識は清明。身長153 cm,体重58 kg。体温35.8℃。脈拍52/分,整。血圧116/64 mmHg。甲状腺はびまん性に腫大し硬い。心音と呼吸音とに異常を認めない。腹部は平坦,軟で,肝・脾を触知しない。 検査所見:血液所見:赤血球408万,Hb 12.0 g/dL,Ht 38%,白血球5,300,血小板17万。血液生化学所見:総蛋白7.0 g/dL,アルブミン3.7 g/dL,AST 62 IU/L,ALT 42 IU/L,LD 484 IU/L(基準176~353),ALP 275 IU/L(基準115~359),γ-GTP 33 IU/L(基準8~50),CK 682 IU/L(基準30~140),CK-MB 15 IU/L(基準20以下),尿素窒素16 mg/dL,クレアチニン0.9 mg/dL,尿酸7.2 mg/dL,血糖98 mg/dL,総コレステロール216 mg/dL,トリグリセリド130 mg/dL,HDLコレステロール45 mg/dL,Na 137 mEq/L,K 4.5 mEq/L,Cl 102 mEq/L,Ca 9.5 mg/dL,TSH 56.3 μU/mL(基準0.2~4.0),FT3 0.8 pg/mL(基準2.5~4.5),FT4 0.2 ng/dL(基準0.8~2.2)。CRP 1.0 mg/dL。心電図で肢誘導の低電位を認める。胸部エックス線写真で心胸郭比54%。
この患者で他に予想される症候はどれか。
- a.下痢
- b.発汗過多
- c.圧痕性浮腫
- d.認知機能低下
- e.アキレス腱反射亢進
対話形式の解説
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクター
医学生
ドクターまとめ
甲状腺ホルモンは全身の代謝と交感神経作用を高めるため、その不足である甲状腺機能低下症では「遅く・鈍く・冷たく」の方向の症候が現れ、徐脈、便秘、発汗減少と皮膚乾燥、寒がり、アキレス腱反射の弛緩相遅延などがみられます。浮腫はグリコサミノグリカン沈着による粘液水腫で、指で押しても跡が残らない非圧痕性である点が重要です。下痢、発汗過多、腱反射亢進はいずれも機能亢進症側の症候です。精神面では無気力や認知機能低下をきたし、高齢者では抑うつや認知症と誤認されやすいものの、ホルモン補充で改善が期待できる「治療可能な認知症」の代表です。高齢者の意欲低下やもの忘れを診たらTSH・FT4を測定するという習慣が、見逃しを防ぐ臨床の基本となります。
解答・解説
正解はdです
診断の確認
74歳女性。配偶者との死別後の意欲低下が3か月前から悪化し、全身倦怠感を伴う。死別反応による抑うつだけでは、3年経過してからの増悪は説明しにくい。身体所見では低体温(35.8℃)、徐脈(52/分)、硬いびまん性甲状腺腫を認め、検査ではTSH 56.3 μU/mLと著明高値、FT3・FT4は低値である。これは甲状腺そのものが障害されて甲状腺ホルモンが不足し、下垂体がTSHを過剰に分泌している状態、すなわち原発性甲状腺機能低下症を示す。硬いびまん性甲状腺腫から、原因は慢性甲状腺炎(橋本病)と考えられる。 このほか、骨格筋由来のCK上昇(CK-MBは基準内)、スタチン服用下でも推定LDLコレステロール145 mg/dLと高いこと、心電図の肢誘導低電位と心胸郭比54%(心嚢液貯留を示唆)も甲状腺機能低下症に合致する。Ca・Na・血糖は正常で、高カルシウム血症や副腎不全による倦怠感は考えにくい。
設問の考え方
甲状腺ホルモンは全身の代謝を高め、交感神経系の作用を増強する働きをもつ。したがって機能低下症では「代謝が落ち、あらゆる働きが遅く・鈍く・冷たくなる」方向の症候が現れる。選択肢の中から、この方向に合うもの、つまり甲状腺機能亢進症とは逆向きの症候を選ぶ。下痢・発汗過多・腱反射亢進はいずれも機能亢進症側の症候であり、浮腫については「圧痕を残すかどうか」という性状に注意する。
選択肢考察
- ×a. 下痢
甲状腺機能低下症では腸管の蠕動運動が低下するため、下痢ではなく便秘となるのが典型である。重症例では麻痺性イレウスをきたすこともある。下痢や排便回数の増加は、腸管運動が亢進する甲状腺機能亢進症(Basedow病など)でみられる症候である。
- ×b. 発汗過多
甲状腺機能低下症では熱産生と交感神経活動が低下し、汗腺の分泌も減るため、発汗はむしろ減少して皮膚は乾燥し、冷たく、粗くなる。寒がりも特徴である。発汗過多や暑がりは、代謝が亢進する甲状腺機能亢進症の症候である。
- ×c. 圧痕性浮腫
甲状腺機能低下症の浮腫は粘液水腫と呼ばれ、ヒアルロン酸などのグリコサミノグリカン(ムコ多糖)が皮下の間質に沈着し、それが水分を抱え込むことで生じる。水分が自由に動ける通常の浮腫と異なり、指で押しても圧痕が残らない非圧痕性浮腫となるのが特徴である。本症例のアルブミン3.7 g/dLは軽度低下にとどまり、低アルブミン血症による圧痕性浮腫を起こすほどではない。
- ○d. 認知機能低下
甲状腺ホルモンは脳のエネルギー代謝や神経伝達にも必要であり、不足すると精神活動が全般に鈍くなる。無気力、傾眠、思考緩慢、記銘力低下が現れ、高齢者では認知症と見誤られることがある。本症例の意欲低下もこの一部と考えられる。甲状腺機能低下症による認知機能低下はホルモン補充で改善が期待できるため、「治療可能な認知症(treatable dementia)」の原因として必ず鑑別に挙げるべき疾患である。
- ×e. アキレス腱反射亢進
甲状腺機能低下症のアキレス腱反射は、叩打後に足がゆっくりと元に戻る「弛緩相の遅延」が特徴であり、反射の減弱として観察されることが多い。筋の収縮・弛緩の速度が低下していることを反映する。腱反射の亢進は甲状腺機能亢進症でみられる所見である。
甲状腺機能低下症の主な症候
・全身: 易疲労感、寒がり、低体温、体重増加(食欲はむしろ低下) ・精神神経: 無気力、傾眠、記銘力低下・認知機能低下、抑うつ様症状、アキレス腱反射の弛緩相遅延、手根管症候群 ・皮膚・毛髪: 皮膚乾燥、発汗減少、非圧痕性浮腫(粘液水腫)、眉毛外側1/3の脱落、脱毛、嗄声、巨舌 ・循環器: 徐脈、心拍出量低下、心嚢液貯留(心電図低電位、心胸郭比拡大)、拡張期血圧上昇 ・消化器: 便秘、腹部膨満 ・筋: 筋力低下、筋痛・こわばり、CK上昇 ・女性: 月経過多、月経不順 ・検査: TSH上昇(原発性の場合)、FT4低下、LDLコレステロール上昇、CK・AST・LD上昇、低ナトリウム血症、貧血
機能亢進症との対比
甲状腺機能亢進症では、頻脈、発汗過多・暑がり、体重減少(食欲は亢進)、下痢・頻回排便、手指振戦、腱反射亢進、精神的な落ち着きのなさなど、機能低下症とは逆向きの症候がみられる。前脛骨部に生じる「前脛骨粘液水腫」はBasedow病に特有の所見であり、機能低下症の全身性粘液水腫と区別する。
治療可能な認知症(treatable dementia)
甲状腺機能低下症のほか、ビタミンB12欠乏症、正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫、神経梅毒、低血糖、電解質異常、薬剤性などが挙げられる。認知症を疑ったら、これらを血液検査・画像検査で除外することが重要である。
重症型: 粘液水腫性昏睡
重度の機能低下症に感染・寒冷・手術・鎮静薬などの誘因が加わると、意識障害、低体温、低換気、低ナトリウム血症、循環不全をきたす粘液水腫性昏睡となり、致死的となりうる。
POINT
・甲状腺機能低下症は「遅く・鈍く・冷たい」: 徐脈、便秘、発汗減少、皮膚乾燥、寒がり、腱反射弛緩相遅延。 ・浮腫は非圧痕性(粘液水腫、グリコサミノグリカン沈着による)。 ・無気力・認知機能低下をきたし、治療可能な認知症(treatable dementia)の代表である。 ・下痢、発汗過多、腱反射亢進は甲状腺機能亢進症の症候。 ・高齢者の抑うつ・認知症様症状ではTSH・FT4を測定する。
