「食べられない」のか「食べない」のか―ICU退室後の拒食に潜む抑うつを見逃さない
第106回医師国家試験 H問題 第25問
国試問題にチャレンジ
78歳の男性。1か月前に重症肺炎で集中治療室に入院し,全身状態が改善したため7日前から一般病棟に移っている。意識は清明。認知機能と嚥下機能とに異常を認めない。食事形態を工夫したが,患者は食事を拒否し終日ふさぎこんでいる。患者は経管経腸栄養も拒否している。 現時点の対応として適切なのはどれか。
- a.食欲の回復を待つ。
- b.終末期として対応する。
- c.中心静脈栄養を開始する。
- d.患者の心理状態を評価する。
- e.介護保険施設への入所を勧める。
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
意識・認知機能・嚥下機能が正常なのに食事や栄養療法を拒み、ふさぎこんでいる高齢者では、まず「なぜ食べないのか」を明らかにするため心理状態を評価することが最優先です。重症疾患やICU治療を経た高齢者は、集中治療後症候群(PICS)の一環として抑うつに陥りやすく、高齢者のうつ病は食欲低下などの身体症状として表れやすいため、医療面接やGDSを用いて評価し、希死念慮も確認します。原因が不明なまま食欲の回復を待つ、終末期として扱う、同意なく中心静脈栄養を始める、施設入所を勧めるといった対応は、治療可能な病態を見逃すことにつながります。また、治療拒否の背景に抑うつがある場合には、その意思表示が本人の本来の価値観を反映しているかを見極める必要があります。「評価が先、方針はその後」という原則は、高齢者医療のあらゆる場面で求められる基本姿勢です。
解答・解説
正解はdです
所見の整理
・78歳の高齢男性で、1か月前に重症肺炎のため集中治療室(ICU)で治療を受け、全身状態が改善して7日前に一般病棟へ移った。 ・意識は清明で、認知機能と嚥下機能はいずれも正常である。つまり「食べられない」わけではなく、「食べようとしない」状態である。 ・食事形態を工夫しても食事を拒否し、経管経腸栄養も拒み、一日中ふさぎこんでいる。
どう考えるか
身体的には経口摂取が可能で、意識障害や認知症による拒食も否定されている。そのうえで「終日ふさぎこんでいる」という抑うつ気分を示唆する行動があり、食事も栄養療法もすべて拒むという点から、背景に心理的な問題、特にうつ病・抑うつ状態が存在する可能性を第一に考える必要がある。 高齢者は、健康や身体機能の喪失感、配偶者・友人との死別、経済的基盤の喪失などを契機に抑うつに陥りやすい。本例では、重症肺炎という生命の危機、ICUという閉鎖的で刺激の多い環境での治療、家族や親しい人からの隔離、今後の生活や身体への不安などが誘因として重なっている。ICU退室後に抑うつ・不安・認知機能低下・身体機能低下が生じる病態は集中治療後症候群(PICS:post-intensive care syndrome)として知られており、本例もその文脈で理解できる。
設問への考え方
「現時点の対応」を問われている。拒食の原因が分からないまま栄養ルートの選択や療養場所の変更、終末期の方針を決めるのは順序が逆である。まず、なぜ食べないのか、なぜ栄養療法を拒むのかを明らかにするために、患者の心理状態を評価することが最優先となる。評価の結果、抑うつが確認されれば、傾聴や環境調整などの精神的ケアや抗うつ薬による治療につなげ、その間も栄養状態に注意を払いながら、本人の同意を得たうえで必要な栄養管理を行う。
選択肢考察
- ×a. 食欲の回復を待つ。
拒食の理由を探らずに経過を見るだけでは、抑うつなど治療可能な原因を見逃すことになる。肺炎後で消耗している高齢者が摂取ゼロのまま待てば、低栄養が進行してサルコペニア(筋肉量・筋力の低下)、褥瘡、感染症の再燃などを招き、回復がさらに遠のく。自然に食欲が戻ることは期待しにくく、受け身の対応は不適切である。
- ×b. 終末期として対応する。
終末期とは、適切な治療を行っても回復が見込めず、近い将来の死が避けられない状態を指す。本例は重症肺炎から回復して一般病棟へ移っており、意識・認知・嚥下にも異常がない。食べない原因は心理的なものが疑われ、治療で改善しうる。終末期と判断する根拠はなく、治療の放棄につながる誤った対応である。
- ×c. 中心静脈栄養を開始する。
中心静脈栄養は侵襲的な処置であり、カテーテル関連血流感染などの合併症もある。患者は経管経腸栄養すら拒否しており、判断能力のある患者の同意なしに中心静脈栄養を開始することはできない。また栄養療法の原則は「腸が使えるなら腸を使う」ことで、本例は嚥下機能が保たれ経口摂取が物理的に可能である。当面の水分・電解質補給が必要なら末梢静脈からの輸液で対応しつつ、拒食の原因を評価するのが先決である。
- ○d. 患者の心理状態を評価する。
認知機能・嚥下機能が正常で身体的には食べられるにもかかわらず、食事と栄養療法を拒み、終日ふさぎこんでいる。この状況はうつ病・抑うつ状態を強く疑わせ、重症疾患とICU治療という大きなストレスが誘因として考えられる。拒食の原因を明らかにしなければ適切な治療方針は立てられないため、医療面接で本人の思いや不安を丁寧に聴き取り、高齢者用うつ尺度(GDS:Geriatric Depression Scale)などを用いて抑うつの有無と程度を評価することが、現時点で最も適切な対応である。必要に応じて精神科やリエゾンチームへの相談も考慮する。
- ×e. 介護保険施設への入所を勧める。
食事を摂らないという問題が未解決で、その原因も評価されていない段階で施設入所を勧めても、問題を先送りするだけで解決にはならない。医療機関として原因の評価と治療を行う責任を放棄することになる。さらに、療養場所の変更という環境変化は、抑うつをかえって悪化させるおそれもある。
高齢者のうつ病の特徴
・高齢者のうつ病は、抑うつ気分の訴えが目立たず、食欲低下、体重減少、倦怠感、不眠、頭痛や便秘などの身体症状が前面に出やすい(仮面うつ病的な病像)。 ・意欲低下や思考の遅さから認知症と紛らわしい「仮性認知症」を呈することがある。 ・身体疾患の合併、入院、喪失体験(健康・配偶者・社会的役割・経済基盤など)が誘因となりやすい。 ・自殺の危険は高齢男性で特に高く、希死念慮の確認も評価に含める。
評価のツール
・GDS(Geriatric Depression Scale):高齢者向けの抑うつスクリーニング尺度で、15項目の短縮版(GDS-15)が広く使われる。 ・高齢者総合機能評価(CGA:Comprehensive Geriatric Assessment):身体機能(ADL・IADL)、認知機能、気分・意欲、栄養状態、社会的環境などを多面的に評価する手法で、抑うつと低栄養が絡み合う本例のような高齢患者の全体像把握に有用である。
集中治療後症候群(PICS)
ICUでの治療中あるいは退室後に生じる身体機能障害(筋力低下など)、認知機能障害、精神障害(うつ、不安、心的外傷後ストレス障害)を総称した概念である。家族にも精神的影響が及ぶことがあり(PICS-F)、ICU退室後もフォローが必要とされる。
治療の概略
抑うつと判断されれば、傾聴・支持的精神療法、家族との面会など環境調整を行い、薬物療法としては選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)などの抗うつ薬が用いられる。高齢者では副作用(低ナトリウム血症、転倒、薬物相互作用など)に注意して少量から開始する。並行して栄養状態を評価し、本人の同意のもとで栄養管理を行う。
意思決定と同意
判断能力のある患者には治療を拒否する権利がある。ただし、拒否の背景にうつ病などの治療可能な精神状態がある場合、その意思表示が本来の価値観を反映しているかを慎重に見極める必要がある。心理状態の評価は、この意思決定能力の評価という意味でも重要である。
POINT
・意識・認知・嚥下が正常なのに食事を拒否する場合は、まず「なぜ食べないのか」を評価する。 ・重症疾患やICU治療後の高齢者は抑うつ状態に陥りやすい(集中治療後症候群:PICS)。 ・高齢者のうつ病は食欲低下・拒食などの身体症状として表れやすく、GDSや高齢者総合機能評価で評価する。 ・原因評価の前に中心静脈栄養の開始、終末期対応、施設入所などを決めるのは不適切である。 ・患者の同意なしに侵襲的な栄養療法は開始できない。
