ボイラー保守35年の胸に残る影―石綿ばく露が予告する肺癌と胸膜中皮腫
第105回医師国家試験 E問題 第56問
国試問題にチャレンジ
65歳の男性。健康診断のために来院した。半年前から労作時に息苦しさを感じるようになったが,加齢によるものと思いそのままにしていた。3年前の健康診断で胸部エックス線写真に経過観察が必要な陰影を指摘されたが,今回まで受診しなかった。喫煙は30本/日を40年間。20歳から55歳まで工場でボイラーの点検保守を行っていた。家族歴に特記すべきことはない。身長170 cm,体重64 kg。体温36.4℃。呼吸数16/分。脈拍64/分,整。血圧122/78 mmHg。心音と呼吸音とに異常を認めない。肺機能検査所見:%VC 78%,FEV1.0%75%。今回の胸部エックス線写真を別に示す。 この病態の原因に関連し,注意すべき疾患はどれか。2つ選べ。

- a.過敏性肺炎
- b.珪肺症
- c.肺癌
- d.胸膜中皮腫
- e.胸腺腫瘍
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
ボイラー・配管保温材・造船・建築解体などの職業歴は石綿ばく露を示唆し、胸膜肥厚や胸膜プラーク、下肺野優位の線維化(石綿肺)、心陰影辺縁の不明瞭化(shaggy heart)が画像上の手がかりになります。石綿に関連して注意すべき悪性腫瘍は肺癌と悪性中皮腫で、肺癌は喫煙と相乗的にリスクが上昇し、中皮腫は喫煙と無関係に30〜50年という長い潜伏期間を経て発生します。上肺野優位の粒状影と卵殻状石灰化を示す珪肺、有機抗原による過敏性肺炎、前縦隔に生じる胸腺腫瘍は石綿とは関連しません。職業歴から原因物質を推定し、その物質がもたらす将来のリスクまで見据える視点は、早期発見や労災補償にもつながる重要な臨床能力です。
解答・解説
正解はc, dです
所見の整理
・65歳男性。半年前から労作時の息切れがある。 ・3年前の健康診断で胸部エックス線の異常陰影を指摘されたが放置していた。 ・喫煙は30本/日×40年(ブリンクマン指数1,200)と重喫煙者である。 ・20〜55歳の35年間、工場でボイラーの点検保守に従事していた。ボイラーや配管には保温・断熱材として石綿(アスベスト)が大量に使われてきたため、その点検・補修作業は代表的な石綿ばく露職種である。ばく露開始から現在まで約45年が経過している。 ・身体所見に明らかな異常はない。 ・肺機能:%VC(予測値に対する肺活量の割合)78%と80%をわずかに下回り、軽度の拘束性換気障害を示す。FEV1.0%(1秒率)は75%で70%以上に保たれ、閉塞性障害はない。
胸部エックス線写真の読影
両側の胸壁に沿って胸膜の肥厚像がみられ、とくに中下肺野で目立つ。両下肺野には網状の間質性陰影があり、心陰影の左縁は不明瞭化している(shaggy heart:心陰影の辺縁が毛羽立ったように見える所見)。上肺野優位の粒状影や肺門リンパ節の卵殻状石灰化はない。
診断へのプロセス
職業歴(ボイラー保守=石綿ばく露)、長い潜伏期間、下肺野優位の線維化と胸膜肥厚、軽度の拘束性障害という組み合わせから、石綿ばく露による胸膜病変(胸膜肥厚・胸膜プラーク)と石綿肺を考える。石綿肺はじん肺の一種で、吸入された石綿線維が肺の下葉・胸膜直下に沈着して間質の線維化を起こすため、他のじん肺と異なり下肺野優位となるのが特徴である。
設問の考え方
問われているのは「この病態の原因」、すなわち石綿ばく露に関連して今後注意すべき疾患である。石綿は国際がん研究機関(IARC)がグループ1(ヒトに対する発がん性あり)に分類する物質で、関連する悪性腫瘍の代表が肺癌と悪性中皮腫(胸膜・腹膜など)である。本例は重喫煙者でもあり、喫煙と石綿ばく露は肺癌の発生に対して相乗的に作用するため、肺癌のリスクは特に高い。したがって肺癌と胸膜中皮腫の2つを選ぶ。
選択肢考察
- ×a. 過敏性肺炎
過敏性肺炎は、真菌(夏型過敏性肺炎のトリコスポロンなど)、鳥の羽毛・排泄物由来の蛋白、農作業での好熱性放線菌などの有機抗原を繰り返し吸入することで起こる、Ⅲ型およびⅣ型アレルギーを機序とする間質性肺炎である。急性型では抗原ばく露後の発熱・咳嗽・呼吸困難が特徴で、画像ではびまん性のすりガラス影や小葉中心性の粒状影を示す。石綿は無機の鉱物線維であり、過敏性肺炎の原因抗原ではない。本例には抗原ばく露を示すエピソードもなく、石綿ばく露に関連して注意すべき疾患には当たらない。
- ×b. 珪肺症
珪肺症は遊離珪酸(結晶質シリカ、SiO2)の粉じんを長期に吸入して起こるじん肺で、鉱山・トンネル工事・採石・鋳物・窯業などの従事者にみられる。胸部エックス線では上肺野優位の粒状影や結節影を呈し、進行すると大陰影(塊状線維化)を形成する。肺門リンパ節の卵殻状石灰化(eggshell calcification)が特徴的所見で、結核の合併が多いことも重要である。石綿ばく露とは原因物質が異なり、本例の下肺野優位の線維化と胸膜肥厚という画像とも一致しない。石綿によるじん肺は石綿肺であって珪肺症ではないため、誤りである。
- ○c. 肺癌
石綿は肺癌の確立した原因物質であり、石綿肺や胸膜プラークを有する人では肺癌の発生に注意して経過観察する必要がある。さらに喫煙と石綿ばく露が重なると、肺癌リスクは両者の単純な和ではなく掛け合わせに近い形(相乗効果)で上昇することが知られている。本例は喫煙指数1,200の重喫煙者で、長期の石綿ばく露歴もあるため、肺癌の高リスク群である。組織型は特定のものに限られず、腺癌・扁平上皮癌などいずれも起こりうる。石綿ばく露から肺癌発生までの潜伏期間は多くの場合30〜40年程度と長い。したがって、原因に関連して注意すべき疾患として正しい。
- ○d. 胸膜中皮腫
悪性胸膜中皮腫は胸膜の中皮細胞から発生する悪性腫瘍で、その大部分に石綿ばく露歴があり、石綿との因果関係が極めて強い。石綿ばく露から発症までの潜伏期間は30〜50年程度と非常に長く、比較的少量・短期間のばく露でも発生しうる点が肺癌と異なる。喫煙との関連は明らかでない。臨床的には胸痛、呼吸困難、片側性の胸水で発症することが多く、画像では胸膜のびまん性・結節状の肥厚が肺を全周性に取り囲むように進展する。胸水は滲出性で血性のことがあり、ヒアルロン酸が高値になるのが特徴である。確定診断は胸腔鏡下胸膜生検などによる組織診断で行う。本例は20歳からばく露が始まっており、約45年経過した現在はまさに中皮腫の好発時期に当たるため、注意すべき疾患として正しい。
- ×e. 胸腺腫瘍
胸腺腫瘍(胸腺腫、胸腺癌など)は前縦隔に発生する腫瘍で、石綿ばく露との関連は知られていない。胸腺腫は重症筋無力症を合併することがよく知られ、そのほか赤芽球癆(赤血球系のみの産生低下)や低γグロブリン血症(Good症候群)などの自己免疫・免疫異常を伴うことがある。本例の画像にも前縦隔腫瘤を示唆する所見はなく、誤りである。
石綿(アスベスト)とは
天然の繊維状けい酸塩鉱物の総称で、耐熱性・断熱性・耐薬品性に優れるため、建材(吹き付け材、スレート)、ボイラーや配管の保温材、ブレーキライニング、造船などに広く用いられてきた。わが国では2006年に製造・使用等が原則禁止され、2012年に全面禁止となったが、過去のばく露による疾患は長い潜伏期間を経て現在も発生しており、既存建築物の解体作業などでのばく露も問題となっている。クロシドライト(青石綿)やアモサイト(茶石綿)などの角閃石系は、クリソタイル(白石綿)より中皮腫を起こす力が強いとされる。
石綿ばく露による主な疾患
1. 胸膜プラーク(胸膜肥厚斑):壁側胸膜に生じる限局性の線維性肥厚で、しばしば石灰化する。横隔膜面や側胸壁に好発する。それ自体は通常無症状だが、石綿ばく露の重要な指標(マーカー)である。 2. びまん性胸膜肥厚:臓側胸膜を含む広範な肥厚で、高度になると拘束性換気障害と呼吸困難をきたす。 3. 良性石綿胸水:石綿ばく露による非悪性の胸水。中皮腫や結核などを除外して診断する。 4. 円形無気肺:肥厚した胸膜に肺が巻き込まれてできる腫瘤状の無気肺で、肺癌との鑑別が問題となる。 5. 石綿肺:比較的高濃度の石綿を長期に吸入した場合に生じる肺の線維化で、下肺野・胸膜直下優位に網状影や蜂巣肺を呈し、拘束性障害・拡散障害を起こす。聴診で捻髪音(fine crackles)を聴取することがある。 6. 肺癌:喫煙との相乗効果が大きい。 7. 悪性中皮腫:胸膜に最も多く、腹膜・心膜・精巣鞘膜にも発生する。
じん肺の比較
・珪肺:遊離珪酸。上肺野優位の粒状影、肺門リンパ節の卵殻状石灰化、結核の合併。 ・石綿肺:石綿。下肺野優位の線維化、胸膜プラーク、肺癌・中皮腫の合併。 ・炭鉱夫肺:石炭粉じん。上肺野優位の粒状影。関節リウマチを合併した場合にCaplan症候群として多発結節影を呈する。
補足
かつて「限局性(良性)中皮腫」と呼ばれた胸膜の限局性腫瘤は、現在は孤立性線維性腫瘍(solitary fibrous tumor)として中皮腫とは別の腫瘍に分類され、石綿との関連もない。
社会的側面
石綿ばく露作業に従事した労働者の肺癌・中皮腫などは労災補償の対象となり、職業ばく露以外(家族の作業衣を介したばく露、工場周辺住民など)の中皮腫などは石綿健康被害救済法による救済の対象となる。このため職業歴の詳細な聴取が重要である。
POINT
・ボイラー、配管保温材、造船、建築(吹き付け材・解体)、断熱材の職業歴は石綿ばく露を想起する。 ・石綿ばく露の画像:胸膜プラーク(石灰化を伴うことがある)、胸膜肥厚、下肺野優位の線維化(石綿肺)、心陰影辺縁の不明瞭化(shaggy heart)。 ・石綿関連の悪性腫瘍は肺癌と悪性中皮腫。肺癌は喫煙と相乗的にリスクが上がり、中皮腫は喫煙と無関係で潜伏期間が30〜50年と長い。 ・珪肺は上肺野優位の粒状影と肺門リンパ節の卵殻状石灰化、結核合併が特徴で、石綿肺とは区別する。 ・中皮腫の胸水はヒアルロン酸高値が特徴で、確定診断は胸膜生検による。
