5週間黙り込んだ彼女―「出来事」と「時間」から読み解くPTSD
第102回医師国家試験 A問題 第29問
国試問題にチャレンジ
27歳の女性。一点を見つめ何事にも無関心なのを心配した夫に伴われて来院した。5週前に,帰宅途中に性的暴行を受けた。それ以後家から出ることができず会社を休んでいる。夜も全く眠れず,食欲もなく,急激に体重が減少した。夫が心配して話しかけるが返事をせず,ぼうっと一点を見つめるのみである。 考えられるのはどれか。
- a.適応障害
- b.強迫性障害
- c.社会不安障害
- d.全般性不安障害
- e.外傷後ストレス障害〈PTSD〉
対話形式の解説
ドクター
医学生
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ドクターまとめ
性的暴行のような生命や身体、尊厳を脅かす出来事の後に、回避、情動麻痺、不眠などの症状が1か月を超えて続き生活に支障をきたしていれば、外傷後ストレス障害(PTSD)を考えます。外傷体験後1か月以内なら急性ストレス障害、1か月を超えればPTSDと、持続期間が鑑別の鍵です。適応障害は他の精神疾患の基準を満たさない場合に用いる診断であり、PTSDの基準を満たせばそちらが優先されます。強迫性障害、社交不安症、全般不安症は、それぞれ強迫観念と強迫行為、他者評価への恐怖、6か月以上の漠然とした不安という特徴で区別できます。治療では安全確保と心理教育を土台に、トラウマ焦点化認知行動療法やSSRIを用い、支援機関と連携して本人を支えることが重要です。
解答・解説
正解はeです
所見の整理
・誘因: 5週前に帰宅途中で性的暴行を受けている。生命や身体の安全、性的な尊厳が脅かされる出来事であり、診断基準でいう「心的外傷的出来事(トラウマ)」に明確に該当する。 ・行動の変化: その後は外出できず、会社も休んでいる。事件現場や外の世界を避ける「回避」と、社会的・職業的機能の障害を示している。 ・身体・睡眠: 全く眠れない(不眠)、食欲低下、急激な体重減少。不眠は覚醒の亢進を示唆する症状である。 ・精神状態: 何事にも無関心で、夫の声かけに返事をせず一点を見つめている。感情が麻痺したような状態(情動麻痺)や、現実感が薄れた解離様の状態と解釈できる。 ・経過: 出来事から5週間、つまり1か月を超えて症状が続いている。
診断へのプロセス
特定の強い外傷体験を起点に症状が始まっていることがまず重要である。トラウマ体験の後に生じる病態としては、急性ストレス障害(ASD)、外傷後ストレス障害(PTSD)、適応障害が鑑別に挙がる。 ・急性ストレス障害は、外傷体験後3日〜1か月以内に限られる反応である。本例は5週経過しており、期間の条件から外れる。 ・PTSDは、外傷体験後の症状が1か月を超えて持続し、生活に支障をきたしているものである。本例は、トラウマの性質(性暴力)、回避、情動の麻痺・無関心、不眠という覚醒亢進症状、1か月以上の持続、就労不能という機能障害がそろっており、PTSDとして矛盾しない。 ・問題文にはフラッシュバックや悪夢などの「再体験(侵入)症状」が明記されていないが、患者が応答しないため本人の体験は聴取できていない状態と考えられ、臨床像全体からはPTSDが最も考えやすい。 ・適応障害は、はっきりしたストレス因に反応した情緒・行動の変化であるが、他の特定の精神疾患の基準を満たす場合はそちらが優先される。 以上より、最も考えられるのは外傷後ストレス障害である。
選択肢考察
- ×a. 適応障害
適応障害は、はっきり特定できるストレス因(転職、離婚、人間関係の問題など)が生じてから3か月以内に、抑うつ気分・不安・行動の問題などが出現し、苦痛や機能障害をもたらす状態である。ストレス因やその結果が終わってから通常6か月以内に症状は消える。ただし、適応障害は「他の精神疾患の診断基準を満たさない場合」に用いる、いわば除外診断的な位置づけである。本例は性暴力という生命・身体を脅かす極度のトラウマを経験し、回避・情動麻痺・覚醒亢進が1か月以上続くPTSDの基準を満たしうるため、PTSDの診断が優先され、適応障害とはしない。
- ×b. 強迫性障害
強迫性障害(現在の名称は強迫症)は、本人も過剰・不合理だとわかっている考え(強迫観念: 汚染への恐れ、確認しないと不安など)が繰り返し浮かび、それを打ち消すための行為(強迫行為: 手洗い、確認、数を数えるなど)に長時間を費やして生活が障害される疾患である。本例には強迫観念や強迫行為を思わせる記載はなく、トラウマ体験を起点とした発症という点でも臨床像が合わない。
- ×c. 社会不安障害
社会不安障害(社会恐怖、現在の名称は社交不安症)は、人前で話す、会食する、注目を浴びるなどの社会的な場面で、他者から否定的に評価されることや恥をかくことを強く恐れ、その場面を避けたり強い緊張に耐えたりする疾患である。多くは10代から発症し、慢性に経過する。本例の外出困難は他者からの評価を恐れるためではなく、性的暴行という外傷体験を契機に生じたものであり、無関心や情動麻痺も社交不安症の特徴とは異なる。
- ×d. 全般性不安障害
全般性不安障害(現在の名称は全般不安症)は、仕事・健康・家族など多くの事柄について、制御しにくい過剰な不安や心配が6か月以上、大半の日に持続する疾患である。落ち着きのなさ、疲れやすさ、集中困難、易刺激性(いらいらしやすさ)、筋肉の緊張、睡眠障害などを伴う。本例は特定の外傷体験の直後から急に生じた5週間の経過であり、期間の条件を満たさず、不安の対象が漠然と多岐にわたるという特徴もない。
- ○e. 外傷後ストレス障害〈PTSD〉
PTSD(posttraumatic stress disorder)は、実際に死にそうになる、重傷を負う、性的暴力を受けるといった出来事を体験・目撃した後に、①侵入症状(フラッシュバック、悪夢などによる再体験)、②回避(出来事に関連する場所・人・話題を避ける)、③認知と気分の陰性の変化(興味の喪失、孤立感、陽性の感情を感じられない=情動麻痺など)、④覚醒と反応性の変化(不眠、易怒性、集中困難、過度の警戒、驚愕反応)が1か月を超えて続き、生活に大きな支障をきたす疾患である。本例は性的暴行という典型的な外傷的出来事の後、外出できない(回避)、何事にも無関心で一点を見つめる(情動麻痺・解離様状態)、全く眠れない(覚醒亢進)といった症状が5週間続き、就労も不能になっている。再体験症状の記載はないものの、全体像はPTSDに最もよく合致する。
トラウマ・ストレス関連の病態の整理
・急性ストレス障害(ASD): 外傷的出来事の後、3日〜1か月の間に侵入・解離・回避・覚醒亢進などの症状がみられるもの。1か月を超えて続けばPTSDの診断を検討する。 ・外傷後ストレス障害(PTSD): 症状が1か月を超えて持続するもの。出来事から6か月以上たって基準を満たす場合は「遅延顕症型」とされる。 ・適応障害: トラウマに限らない日常的なストレス因に対する反応で、ストレス因の発生から3か月以内に発症し、他の精神疾患の基準を満たさないもの。
DSM-5におけるPTSDの4つの症状群
①侵入症状: 苦痛な記憶が意図せず繰り返しよみがえる、悪夢、フラッシュバック、きっかけに対する強い心理的苦痛や生理的反応。 ②回避: 出来事に関する記憶・感情や、それを思い出させる人・場所・状況を避ける。 ③認知と気分の陰性の変化: 出来事の重要な部分を思い出せない、自分や世界への過度に否定的な信念、自責、持続的な恐怖・怒り・恥、興味の喪失、他者からの孤立感、幸福感や愛情を感じられない。 ④覚醒度と反応性の著しい変化: いらだち・怒りの爆発、無謀な行動、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、集中困難、睡眠障害。
分類と名称の変遷
かつてはPTSD、強迫性障害、社会不安障害、全般性不安障害などはまとめて「不安障害」に分類されていた。DSM-5(2013年)以降は、PTSD・急性ストレス障害・適応障害は「心的外傷およびストレス因関連障害群」に、強迫症は「強迫症および関連症群」に分けられ、社交不安症・全般不安症・パニック症などが「不安症群」に残っている。
治療の概要
安全の確保と心理教育が基本である。トラウマに焦点を当てた認知行動療法(持続エクスポージャー療法など)やEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)が有効とされ、薬物療法ではSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が第一選択である。性暴力被害者では、ワンストップ支援センターなどの支援機関との連携も重要となる。
POINT
・生命や身体、性的尊厳を脅かす出来事(事故、災害、暴力、性被害)の後に症状が出たら、まずASDとPTSDを考える。 ・症状の持続が1か月以内ならASD、1か月を超えればPTSDである。 ・PTSDの中核症状は、侵入(再体験)、回避、認知と気分の陰性の変化(情動麻痺を含む)、覚醒亢進の4つである。 ・適応障害は他の精神疾患の基準を満たさない場合に用いる診断であり、PTSDの基準を満たせばPTSDが優先される。 ・全般不安症は6か月以上の持続が必要である。
