「嫁が財布をとった」―物盗られ妄想の裏に潜む記憶障害を測る
第102回医師国家試験 A問題 第24問
国試問題にチャレンジ
65歳の女性。「嫁が財布をとった」と言っては騒ぐと家族に伴われて来院した。家族によれば,患者は最近わがままで短気になり,物忘れも目立つようになったと言う。財布は家族が一緒に捜すと,机の引き出しの中に見つかったりする。患者は憮然として,「嫁は意地悪だ」と言う。 診断に有用な検査はどれか。
- a.Rorschachテスト
- b.Minnesota多面人格検査〈MMPI〉
- c.Mini-Mental State Examination〈MMSE〉
- d.簡易精神症状評価尺度[Brief Psychiatric Rating Scale〈BPRS〉]
- e.Hamiltonうつ病評価尺度
対話形式の解説
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ドクターまとめ
高齢者に新たに出現した「物盗られ妄想」は、しまい忘れという記憶障害から二次的に生じることが多く、物忘れや性格変化を伴う場合はAlzheimer型認知症をまず疑います。診断の第一歩は認知機能低下の客観的評価で、MMSE(30点満点、23点以下で疑い)や改訂長谷川式簡易知能評価スケール(20点以下で疑い)がスクリーニングに用いられます。Rorschachテスト(投影法)やMMPI(質問紙法)は人格検査、BPRSやHamiltonうつ病評価尺度は精神症状の重症度評価尺度であり、認知症の診断には用いません。実際の診療では、頭部MRIや脳血流SPECTなどの画像検査と、甲状腺機能低下症やビタミンB12欠乏症など治療可能な病態の除外を組み合わせます。検査を「何を測るものか」で整理しておくことは、国家試験だけでなく、適切な検査選択という臨床判断の基本にもつながります。
解答・解説
正解はcです
所見の整理
・65歳の女性。 ・「嫁が財布をとった」と訴えるが、実際には机の引き出しから見つかる。自分でしまった場所を忘れ、それを身近な介護者(ここでは嫁)に盗まれたと確信している。これは「物盗られ妄想」と呼ばれる被害妄想である。 ・最近わがままで短気になった(性格変化・易怒性)。 ・物忘れが目立つ(記憶障害)。
診断へのプロセス
高齢者に新たに生じた被害妄想では、統合失調症などの機能性精神病よりも、まず脳の器質的な変化による精神症状を疑う。本例では、妄想に先立って・あるいは並行して物忘れが目立ってきており、妄想の内容も「しまい忘れ」という記憶障害から二次的に生じたものと解釈できる。性格変化(わがまま、怒りっぽさ)も認知症の初期にしばしばみられる。 物盗られ妄想は、Alzheimer型認知症の行動・心理症状(BPSD)として特に頻度が高く、女性に多く、同居して世話をしている家族が対象になりやすいことが知られている。以上から、Alzheimer型認知症などの認知症を最も疑う。
設問の考え方
認知症の診断には、まず認知機能が実際に低下しているかを客観的に評価する必要がある。そのためのスクリーニング検査として、MMSE(Mini-Mental State Examination)や改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)が用いられる。選択肢のうち認知機能を評価する検査はMMSEのみであり、他は人格検査や、統合失調症・うつ病の症状の重症度を評価する尺度である。なお、実際の診断では、認知機能検査に加えて、頭部CT・MRIによる脳萎縮の評価、脳血流SPECTなどの画像検査、甲状腺機能低下症やビタミンB12欠乏症など治療可能な認知症様病態を除外するための血液検査を組み合わせる。
選択肢考察
- ×a. Rorschachテスト
Rorschachテストは、左右対称のインクのしみが描かれた10枚の図版を見せ、何に見えるかを自由に答えてもらい、その反応から人格の特徴や思考の様式を読み取る投影法の人格検査である。被検者の無意識的な側面や思考障害の評価に用いられ、精神疾患の診断の補助になることはあるが、記憶や見当識などの認知機能の低下を定量的に評価する検査ではない。解釈に熟練を要し、認知症のスクリーニングには用いない。
- ×b. Minnesota多面人格検査〈MMPI〉
MMPIは、数百項目の質問に「はい」「いいえ」で答える質問紙法の人格検査である。心気症、抑うつ、ヒステリーなどの臨床尺度と、回答の信頼性をみる妥当性尺度からなり、人格傾向や精神的な問題を多面的に把握するのに用いられる。質問項目が非常に多く、読解力と回答の持続が必要なため、認知機能が低下している可能性のある高齢者には適さない。また認知機能そのものを測定する検査ではない。
- ○c. Mini-Mental State Examination〈MMSE〉
MMSEは、時間と場所の見当識、3単語の記銘と遅延再生、注意と計算(100から7を順に引く)、物品の呼称、文の復唱、口頭による3段階の命令、書字命令の理解、文の書字、図形の模写からなる30点満点の簡易認知機能検査である。10分程度で施行でき、世界的に最も広く用いられている認知症のスクリーニング検査である。23点以下で認知症の疑いとされることが多い。物忘れと物盗られ妄想からAlzheimer型認知症が疑われる本例で、認知機能障害の有無と程度を客観的に評価するのに有用である。
- ×d. 簡易精神症状評価尺度[Brief Psychiatric Rating Scale〈BPRS〉]
BPRSは、心気的訴え、不安、概念の統合障害、猜疑心、幻覚、思考内容の異常、情動の平板化などの精神症状を、面接者が各項目7段階で評価する尺度(18項目版が広く用いられる)である。主に統合失調症の精神症状の重症度や、治療による経過を包括的に評価するのに用いられる。すでにある精神症状の程度を測るためのものであり、認知症の診断に用いる検査ではない。
- ×e. Hamiltonうつ病評価尺度
Hamiltonうつ病評価尺度(HAM-D)は、抑うつ気分、罪責感、自殺念慮、睡眠障害、精神運動制止、不安、身体症状などを面接者が評価する尺度(17項目版などがある)である。うつ病と診断された患者の重症度の評価や、治療効果の判定・経過観察に用いられ、うつ病そのものの診断を目的とするものではない。本例の主病態は記憶障害と物盗られ妄想であり、認知症の診断には役立たない。なお高齢者ではうつ病による仮性認知症が鑑別になるが、その場合もまず認知機能の評価が優先される。
Alzheimer型認知症の特徴
・最も頻度の高い認知症で、女性にやや多い。アミロイドβの沈着(老人斑)とタウ蛋白の蓄積(神経原線維変化)を特徴とし、海馬を含む側頭葉内側から障害が始まる。 ・初期症状は近時記憶障害(新しいことを覚えられない)で、次第に見当識障害(時間→場所→人の順に障害されやすい)、実行機能障害、失語・失行・失認などが加わる。 ・病識が乏しく、取り繕い反応(できないことを言い訳でごまかす)がみられる。 ・行動・心理症状(BPSD)として、物盗られ妄想、徘徊、易怒性、抑うつ、不安、睡眠障害などがみられる。 ・画像:頭部MRIで海馬を中心とする側頭葉内側の萎縮、脳血流SPECTで後部帯状回・楔前部・頭頂葉の血流低下。 ・治療:コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)、NMDA受容体拮抗薬(メマンチン)。近年は軽度認知障害(MCI)~軽度認知症を対象に、アミロイドβを標的とする抗体薬(レカネマブ、ドナネマブ)も用いられている。
認知機能の簡易検査
・MMSE:30点満点。23点以下で認知症の疑い。図形模写や書字など動作性の課題を含む。 ・改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R):30点満点。20点以下で認知症の疑い。すべて口頭で行い、動作性課題を含まない。 ・いずれもスクリーニング検査であり、点数のみで認知症と確定するものではない。教育歴や難聴、うつ状態、意識障害(せん妄)の影響を受ける点に注意する。
心理検査の分類
・知能・認知機能検査:MMSE、HDS-R、WAIS(成人用Wechsler知能検査)、WISC(児童用)、田中ビネー知能検査など ・人格検査(質問紙法):MMPI、YG性格検査(矢田部ギルフォード性格検査)など ・人格検査(投影法):Rorschachテスト、TAT(主題統覚検査)、SCT(文章完成法)、バウムテスト、P-Fスタディなど ・症状評価尺度:BPRS、PANSS(統合失調症)、HAM-D(うつ病)、Beck抑うつ質問票(BDI)など
高齢者の妄想の鑑別
認知症(Alzheimer型、Lewy小体型など)、せん妄、遅発性の統合失調症様病態、妄想を伴ううつ病などが挙がる。Lewy小体型認知症では具体的でありありとした幻視、認知機能の変動、パーキンソニズム、レム睡眠行動異常症が特徴となる。
POINT
・高齢者の「物盗られ妄想」+物忘れ+性格変化はAlzheimer型認知症を疑う。物盗られ妄想は身近な介護者(嫁など)に向けられやすい。 ・認知症のスクリーニングにはMMSE(23点以下で疑い)やHDS-R(20点以下で疑い)を用いる。 ・Rorschachテスト(投影法)とMMPI(質問紙法)は人格検査、BPRSは統合失調症、Hamiltonうつ病評価尺度はうつ病の重症度評価に用いる尺度であり、認知症の診断には用いない。
