小さな傷ほど侮れない―猫咬傷を「縫ってはいけない」理由
第120回医師国家試験 B問題 第31問
国試問題にチャレンジ
45歳の女性。左手の疼痛と腫脹を主訴に来院した。昨夜,飼い猫に左手関節付近をかまれた。今朝は創が小さく出血も止まっていたため出勤し,事務作業を行った。昼ごろから疼痛が増悪し,夕方になり疼痛と腫脹で手指が動かせなくなったため受診した。左手関節の伸側と屈側に径3~5mmの創を2か所認める。左手背は腫脹し,発赤を肘関節付近まで認める。左の手指は全体的に腫脹し,疼痛で伸展が困難であった。 実施すべきでない処置はどれか。
- a.創の洗浄
- b.創の縫合
- c.抗菌薬の投与
- d.左上肢の安静
- e.破傷風トキソイドの投与
対話形式の解説
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ドクターまとめ
猫咬傷は細く鋭い歯による小さく深い穿通創となり、感染率が高く、Pasteurella multocidaによる感染は受傷後24時間以内に急速な発赤・腫脹・疼痛として現れます。処置の基本は十分な洗浄とデブリドマン、βラクタマーゼ阻害薬配合ペニシリンによる抗菌薬投与、患肢の安静・挙上、破傷風予防であり、汚染創である咬傷、とくに手の咬傷や感染創は縫合せず開放創とするのが原則です。縫合すると細菌や膿が閉じ込められ、膿瘍や腱鞘・関節・骨への感染波及を招きます。手指の伸展時痛や紡錘状腫脹は屈筋腱腱鞘炎のサインであり、易感染者ではCapnocytophagaによる重症敗血症にも注意が必要です。「小さな傷でも深い」という猫咬傷の特徴を理解しておくことは、救急外来での適切な初期対応に直結します。
解答・解説
正解はbです
所見の整理
・45歳の女性。昨夜、飼い猫に左手関節付近をかまれた。 ・創は径3〜5mmと小さく出血も止まっていたが、受傷から十数時間後の昼ごろより疼痛が増強し、夕方には疼痛と腫脹で手指を動かせなくなった。 ・左手関節の伸側と屈側に1か所ずつ創があり、上下の歯が手関節を挟むように深く刺さった穿通創と考えられる。 ・左手背の腫脹と、肘関節付近にまで及ぶ発赤がある。手指全体が腫れ、痛みのため伸展が困難である。
診断
猫咬傷後、半日から1日以内に急速に広がる発赤・腫脹・疼痛が出現しており、猫咬傷による創感染から蜂窩織炎(皮下組織に広がる化膿性炎症)に進展した状態と判断できる。猫の口腔内に高率に常在するPasteurella multocida(パスツレラ菌)は、受傷後24時間以内という短時間で激しい炎症を起こすのが特徴で、本例の経過によく合う。猫の歯は細く鋭いため、創口は小さくても深部まで細菌が押し込まれやすい。手関節や手指の近くでは腱鞘、関節、骨に感染が及びやすく、手指の伸展時痛と腫脹は屈筋腱腱鞘炎などの深部感染を示唆するため注意が必要である。
処置の考え方
感染を伴う動物咬傷に対する処置の基本は、(1)十分な洗浄とデブリドマン(壊死組織や異物の除去)、(2)創を閉鎖せず開放して排膿を妨げないこと、(3)起因菌を考慮した抗菌薬投与、(4)患肢の安静と挙上、(5)破傷風の予防である。本問は「実施すべきでない」処置を問うており、細菌を創内に閉じ込めてしまう創の縫合が誤りとなる。
選択肢考察
- ×a. 創の洗浄
実施すべき処置である。咬傷は動物の唾液や口腔内細菌で汚染されているため、大量の生理食塩水や水道水で創内を十分に洗浄し、細菌量を減らすことが感染対策の基本となる。本例のように感染が成立している場合も、洗浄に加えて必要に応じて創を広げて膿を出し、壊死組織を除去する(デブリドマン)。
- ○b. 創の縫合
実施すべきでない処置であり、これが正解である。咬傷は細菌で汚染された創であり、縫合して閉鎖すると創内に細菌や膿が閉じ込められ、嫌気的な環境ができて感染を増悪させ、膿瘍形成や深部への波及を招く。特に本例はすでに感染徴候が明らかで、受傷から時間も経過しているため、創は開放して排膿を確保する。顔面など整容的に重要で血流の豊富な部位の新鮮な咬傷では、十分な洗浄後に一次縫合を検討することもあるが、手の咬傷、受傷から時間の経った創、感染創、深い穿通創(猫咬傷の典型)では縫合しないのが原則である。
- ×c. 抗菌薬の投与
実施すべき処置である。本例はすでに蜂窩織炎を発症しており、抗菌薬による治療が必要である。起因菌はPasteurella属のほか、黄色ブドウ球菌、レンサ球菌、嫌気性菌などの混合感染が多いため、これらをカバーするβラクタマーゼ阻害薬配合ペニシリン(経口ならアモキシシリン・クラブラン酸、静注ならアンピシリン・スルバクタム)が第一選択となる。Pasteurellaには第一世代セフェム系やクリンダマイシン単剤が効きにくい点に注意する。本例のように発赤が肘まで広がり手指の運動障害もある場合は、入院のうえ血液培養や創部培養を提出してから静注で治療する。
- ×d. 左上肢の安静
実施すべき処置である。感染した手を動かすと炎症が周囲に広がりやすく、疼痛も増す。副子(シーネ)などで固定して安静を保ち、さらに心臓より高く挙上することで腫脹(浮腫)が軽減し、症状の改善が早まる。
- ×e. 破傷風トキソイドの投与
実施すべき処置である。動物咬傷は破傷風菌の芽胞が入りうる汚染創(破傷風を起こしやすい創)に分類される。基礎免疫が完了していても最終接種から5年以上経過していれば、破傷風トキソイドを追加接種する。45歳の成人では小児期の定期接種から長期間が経過しているのが通常で、トキソイドの投与が勧められる。接種歴が不明または基礎免疫が不完全な場合は、トキソイドに加えて抗破傷風ヒト免疫グロブリンの投与も考慮する。
動物咬傷の特徴
・咬傷の原因動物は犬が最も多く、次いで猫である。 ・犬咬傷:顎の力が強く、挫滅や組織欠損、大量出血を伴いやすいが、感染率は比較的低い(5〜10%程度とされる)。小児では顔面・頭頸部の受傷が多い。 ・猫咬傷:歯が細く鋭いため小さく深い穿通創となり、洗浄しにくく感染率が高い(30〜50%程度とされる)。手の受傷が多く、腱鞘炎、化膿性関節炎、骨髄炎に進展しやすい。
主な起因菌
・Pasteurella multocida:犬・猫の口腔内常在菌で、特に猫での保有率が高い。受傷後24時間以内に急速に発赤・腫脹・疼痛が現れるのが特徴で、重症化すると壊死性筋膜炎や敗血症を起こす。 ・Capnocytophaga canimorsus:犬・猫の口腔内常在菌で、脾摘後、肝硬変、アルコール多飲者などで敗血症や播種性血管内凝固(DIC)を起こし、致死的となることがある。 ・黄色ブドウ球菌、レンサ球菌、嫌気性菌:混合感染として関与することが多い。
動物咬傷の処置のまとめ
・十分な洗浄とデブリドマン ・原則として創は縫合しない(特に手、感染創、受傷から時間が経った創、穿通創) ・抗菌薬:アモキシシリン・クラブラン酸(経口)、アンピシリン・スルバクタム(静注)。感染リスクの高い咬傷(猫咬傷、手の咬傷、深い創、免疫不全者など)では、感染徴候がなくても予防的投与が推奨される。 ・患肢の固定と挙上 ・破傷風予防(トキソイド、必要に応じて抗破傷風ヒト免疫グロブリン) ・狂犬病:日本国内の犬・猫からの感染は長く報告されていないが、海外での受傷では曝露後予防(狂犬病ワクチン、必要に応じ免疫グロブリン)を検討する。
猫に関連する他の感染症
・猫ひっかき病:Bartonella henselae による。ひっかき傷・咬傷の数日〜数週後に、受傷部位の丘疹と所属リンパ節腫脹をきたす。本例のような受傷当日の急速な蜂窩織炎とは経過が異なる。
手の深部感染を疑う所見
屈筋腱腱鞘炎では、Kanavel徴候(指の軽度屈曲位、指全体の紡錘状腫脹、腱鞘に沿った圧痛、他動伸展時の激痛)がみられる。疑われれば外科的な切開排膿・洗浄を要することがあり、整形外科(手外科)への相談が必要である。
POINT
・猫咬傷は小さく深い穿通創となり感染率が高い。Pasteurella multocida による感染は受傷後24時間以内に急速に進行する。 ・動物咬傷、特に手の咬傷や感染創は縫合せず開放創とする。 ・処置の基本は、洗浄・デブリドマン、抗菌薬(βラクタマーゼ阻害薬配合ペニシリン)、患肢の安静・挙上、破傷風予防。 ・手指の腫脹と伸展時痛は腱鞘炎など深部感染を示唆するため注意する。
