出血源のない小球性貧血、答えは職業歴にあり―バッテリー再生作業と鉛中毒
第103回医師国家試験 E問題 第47問
国試問題にチャレンジ
52歳の男性。易疲労感と食思〈欲〉不振とを主訴に来院した。自動車用バッテリーの解体・再生作業に従事している。身長163cm,体重51kg。血圧142/86mmHg。眼瞼結膜は蒼白。胸腹部に異常を認めない。便潜血(-)。血液所見:赤血球370万,Hb 9.8g/dL,Ht 29%,網赤血球0.7%,白血球7,500。上部消化管造影で異常を認めない。 診断に有用な測定項目はどれか。
- a.毛髪中ヒ素
- b.血液中鉛
- c.血液中水銀
- d.尿中マンガン
- e.尿中カドミウム
対話形式の解説
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ドクターまとめ
出血源のない小球性低色素性貧血に食欲不振などの消化器症状を伴い、自動車用バッテリー(鉛蓄電池)の解体・再生作業歴がある場合は、慢性無機鉛中毒を疑い、曝露量を直接反映する血液中鉛濃度を測定します。鉛はδ-アミノレブリン酸脱水酵素やフェロキラターゼを阻害してヘム合成を障害し、尿中δ-アミノレブリン酸や赤血球プロトポルフィリンの増加、好塩基性斑点赤血球、鉛疝痛、下垂手などをもたらします。ヒ素は皮膚病変と発癌、水銀は神経症状、マンガンはParkinson症候群、カドミウムは近位尿細管障害と骨軟化症と、金属ごとの標的臓器を整理しておくと鑑別が容易になります。中高年の小球性貧血ではまず消化管出血を除外しつつ、職業歴を丁寧に聴取することが、見逃されやすい職業性疾患の診断につながります。
解答・解説
正解はbです
所見の整理
・52歳の男性、易疲労感と食欲不振 ・職業:自動車用バッテリーの解体・再生作業 ・身長163cm、体重51kg(BMI約19.2でやせ気味) ・眼瞼結膜蒼白、Hb 9.8 g/dL → 貧血 ・赤血球指数を計算すると、MCV(平均赤血球容積)=Ht÷赤血球数=29÷370万×1,000万≒78 fL、MCH(平均赤血球ヘモグロビン量)=9.8÷370万×1,000万≒26.5 pg で、軽度の小球性低色素性貧血である ・網赤血球0.7%で増加しておらず、骨髄での赤血球産生が十分に高まっていない ・便潜血陰性、上部消化管造影で異常なし → 消化管出血や上部消化管疾患は考えにくい
診断へのプロセス
中高年男性の小球性貧血では、まず消化管出血による鉄欠乏性貧血を除外する必要があるが、本例では便潜血陰性で上部消化管造影にも異常がなく、出血源を示す所見はない。食欲不振を説明する消化器疾患も明らかでない。 ここで鍵となるのが職業歴である。自動車用バッテリーは鉛蓄電池で、電極に鉛や酸化鉛が用いられている。その解体・再生作業では鉛の粉じんやヒュームを吸入・経口摂取しやすく、慢性の無機鉛中毒が起こりうる。鉛はヘム合成を阻害して小球性低色素性貧血を起こし、食欲不振、便秘、腹痛(鉛疝痛)などの消化器症状や倦怠感を伴う。以上から慢性鉛中毒が最も疑われる。
設問の考え方
鉛中毒を疑ったら、曝露量の指標として血液中の鉛濃度を測定する。加えて、ヘム合成阻害の影響をみる指標(尿中δ-アミノレブリン酸、赤血球プロトポルフィリンなど)も診断や健康管理に用いられる。
選択肢考察
- ×a. 毛髪中ヒ素
ヒ素は毛髪や爪に蓄積するため、慢性ヒ素中毒の評価に毛髪中ヒ素が用いられる。慢性ヒ素中毒では皮膚の色素沈着・脱色素斑、手掌・足底の角化症、爪の横走白線(Mees線)、末梢神経障害がみられ、長期的には皮膚癌(Bowen病など)、肺癌、膀胱癌のリスクが高まる。本例は皮膚所見がなく、職業歴からもヒ素曝露は考えにくい。
- ○b. 血液中鉛
自動車用バッテリー(鉛蓄電池)の解体・再生作業という鉛曝露の職業歴に、原因の明らかでない小球性低色素性貧血と食欲不振・易疲労感を伴っており、慢性無機鉛中毒が強く疑われる。血液中鉛濃度は体内への鉛の取り込み(曝露量)を直接反映する指標で、診断に最も有用である。鉛中毒予防規則に基づく鉛業務従事者の特殊健康診断でも、血液中鉛と尿中δ-アミノレブリン酸の測定が行われる。
- ×c. 血液中水銀
有機水銀(メチル水銀)中毒では、感覚障害、求心性視野狭窄、小脳性運動失調、構音障害、難聴など(Hunter-Russell症候群、水俣病)が生じ、評価には血液中や毛髪中の水銀濃度が用いられる。金属水銀蒸気や無機水銀では、振戦、精神症状(易刺激性など)、歯肉炎、腎障害がみられる。本例にはこれらの所見がなく、職業歴からも水銀曝露は考えにくい。
- ×d. 尿中マンガン
マンガン中毒は鉱石の採掘・精錬や溶接作業などで起こり、錐体外路系が障害されてParkinson症候群に似た症状(無表情、小刻み歩行、筋強剛など)や精神症状を呈する。粉じんの吸入によりマンガン肺炎を起こすこともある。本例には神経症状がなく、曝露歴もない。
- ×e. 尿中カドミウム
慢性カドミウム中毒では近位尿細管が障害され、β2-ミクログロブリンなどの低分子蛋白尿や糖尿、アミノ酸尿を呈し、リン・カルシウムの喪失から骨軟化症・骨粗鬆症(イタイイタイ病)をきたす。吸入曝露では肺気腫もみられる。腎障害に伴う貧血もありうるが、本例の職業歴や所見はカドミウム中毒を示唆しない。
鉛中毒の機序
鉛はSH基をもつ酵素を阻害し、とくにヘム合成系を障害する。 ・δ-アミノレブリン酸脱水酵素(ALAD)の阻害 → δ-アミノレブリン酸(δ-ALA)が蓄積し、尿中δ-ALAが増加する ・コプロポルフィリノーゲン酸化酵素の阻害 → 尿中コプロポルフィリンが増加する ・フェロキラターゼ(プロトポルフィリンに鉄を組み込む酵素)の阻害 → 赤血球中にプロトポルフィリン(亜鉛プロトポルフィリン)が蓄積する ヘム合成の障害により小球性低色素性貧血となり、骨髄では環状鉄芽球がみられることがある。さらにピリミジン5'-ヌクレオチダーゼの阻害により赤血球内にRNAが残存し、末梢血塗抹標本で好塩基性斑点赤血球がみられる。赤血球寿命の短縮(軽度の溶血)も貧血に関与する。
慢性鉛中毒の症状
・血液:小球性低色素性貧血、好塩基性斑点赤血球、顔面蒼白(鉛蒼白) ・消化器:食欲不振、便秘、激しい腹痛(鉛疝痛)、歯肉の鉛縁(硫化鉛の沈着による青黒い線) ・末梢神経:運動優位の末梢神経障害。橈骨神経麻痺による下垂手(伸筋麻痺)が典型 ・中枢神経:小児や高濃度曝露で鉛脳症(頭痛、けいれん、意識障害) ・腎:尿細管障害、慢性腎臓病、高尿酸血症(鉛痛風) ・高血圧
検査と治療
・曝露指標:血液中鉛 ・影響指標:尿中δ-ALA、尿中コプロポルフィリン、赤血球プロトポルフィリン ・治療:曝露からの隔離が基本。症状があるか高濃度の場合はキレート剤(エデト酸カルシウム二ナトリウム〈CaNa2EDTA〉、ジメルカプロール〈BAL〉、D-ペニシラミンなど)を用いる。
鉛曝露の多い作業
鉛蓄電池の製造・解体・再生、鉛の精錬、はんだ付け、鉛含有塗料の剥離、鉛ガラス製造など。
主な金属中毒と特徴的所見
・鉛:小球性貧血、鉛疝痛、下垂手 ・ヒ素:皮膚角化・色素異常、Mees線、皮膚癌・肺癌 ・水銀:有機水銀でHunter-Russell症候群、無機・金属水銀で振戦・歯肉炎・腎障害 ・マンガン:Parkinson症候群、マンガン肺炎 ・カドミウム:近位尿細管障害、骨軟化症(イタイイタイ病)、肺気腫 ・クロム(六価):鼻中隔穿孔、肺癌
POINT
・自動車用バッテリー=鉛蓄電池 → 解体・再生作業歴があれば鉛中毒を想起する。 ・出血源のない小球性低色素性貧血+消化器症状(食欲不振・便秘・腹痛)+職業歴 → 鉛中毒。 ・診断・健康管理には血液中鉛(曝露指標)と尿中δ-ALA(影響指標)を測定する。 ・鉛はヘム合成(ALAD、フェロキラターゼ)を阻害し、好塩基性斑点赤血球や下垂手(橈骨神経麻痺)を伴う。 ・金属ごとの特徴的な障害(ヒ素=皮膚、水銀=神経、マンガン=Parkinson症候群、カドミウム=腎・骨)を整理しておく。
